多事多端の中に、慌ただしく年を越した。太宰府天満宮の初詣に行く余裕も見い出せままに松の内を過ぎて、ようやく平穏な日々が還って来て間もなく、78歳の誕生日を迎えた。5日生まれの家内と、18日生まれの私と、同い年は僅か2週間しかない。
「78」という数字には、ある思い入れがある。もう数十年前、何かの本で「22パーセントの余白」という言葉を知った。ユダヤの人生観だったと思う。
実は、乾燥大気の成分を分析すると、窒素が78%、酸素が21パーセント、残る1%がアルゴンと二酸化炭素である。
人は生きて行くのに、ギリギリ一杯ではいけない。よく「全力を出せ!」、「120%の力を出せ!」という。私たちのように高度成長期を支え、その凋落まで見届けた世代は、休日出勤も、労働基準法を無視した時間外勤務も、何の抵抗もなく受け入れて来た。電通の「鬼十訓」も、社員教育の場では当たり前だった。
そんな中で、偶然巡り合った「22パーセントの余白」という言葉は衝撃的だった。「常に、22パーセントの余裕を持って生きよ」……「常に膝を緩めておけ。背伸びしたり、膝が伸びた状態では、いざという時に跳び上がれない」という言葉も、同じ意味だろう。
以来、部下に対する訓示に、この言葉を何度も使った。「仕事の虫になれ。但し、仕事だけの虫にはなるな」「仕事だけが生き甲斐ではない。また、家庭だけが生き甲斐でもない。仕事と家庭を車の両輪として、その上に自分の世界を見い出せ」
生きることが随分楽になり、楽しくなったのは、きっとこの言葉に巡り合ったからだろう。
改めて思う。越年の慌ただしい1ヶ月半の緊張で、この「余白」を見失いかけていた。一歩退いて、直面する様々な事態に距離を置いてみよう。それが、余生の中の「余白」でもあるのだから。
甘やかされた世代に、これからの日本を託さなければならない時代である。電通の「鬼十訓」が叩かれる一方で、オリンピックのメダルを競う風潮が蔓延っている矛盾は、いったい何だろう?
金メダルが取れなかったからと言って泣く銀メダリストの女々しさ。東京オリンピックの金メダルの数だけが声高に叫ばれる違和感。勝つことだけが目標になり、本来のスポーツを楽しみ、オリンピックに参加することに意味があった時代は、もう過去のことらしい。
挫折を重ねることで人は強くなる。ある意味で、人生は挫折の積み重ねであり、重ねた挫折の重みが、人を強くし、人生を豊かにする。
しかし、たった一度の挫折で崩れてしまう脆弱な世代に未来を託さなければならないのも、避けられない道筋なのだろう。
……こんな嫌味を言えるのは、高度成長期に「余白」を捨てて働いて来た世代の、老いた狼の遠吠えでもあろうか?次世代を育ててこなかったことに、強い慙愧がある。忸怩たる思いがある。
吹雪の合間に漏れる冬日に、蝋梅が眩しく輝いた。蠟引きしたように黄金を照り返す輝きに、ふと心和む大寒である。
日暮れて、木枯らしが窓で哭いた。石穴稲荷の杜が、轟轟と風に鳴る。夜更け、太宰府は雪に覆われるだろう。
(2017年1月:写真:春を呼ぶ蝋梅)