蟋蟀庵便り

山野草、旅、昆虫、日常のつれづれなどに関するミニエッセイ。

静かな夜

2017年05月21日 | つれづれに

 30度を超える日が二日続いている。群馬県館林では、今年初めて35度を超える猛暑日になったとニュースが伝えていた。今年も、異常な暑さに翻弄される夏になるのだろうか。五月、風薫る紺碧の青空が眩しいこの季節ではあるが、朝と昼の温度差の激しさに戸惑う歳になった。目覚めて肌寒さに長袖のシャツを着て、午後の暑さに袖を捲りあげて汗を流し、日が落ちると25度もあるのに脚がヒンヤリとして窓を閉める……「昔は、こんなことなかったよね!」とカミさんとかこちつつ、夕飯を済ませた。

 障子の黄ばみと小さな破れが目立つようになり、突然障子を張り替えたくなった。これまでは大晦日恒例の行事だったのだが、考えれば何もお正月に合わせる必要もない。確かに気分一新して迎える新年は気持ちいいものだが、忙しない師走に寒さに耐えながら障子を水洗いし、一気に張り替えるのは決して楽なものではない。いっそ梅雨入り前に張り替えてみようと朝から糊を焚き、先日買い求めていた障子紙を取り出した。
 30年前の新築の際に、客間を長年の夢だった雪見障子にした。しかも、一枚張りやアイロン障子紙で楽をするのが嫌で、今も一段ずつの手張りに拘っているから、この雪見障子は一段と手間がかかる。桟を取り外し、ばねを押さえて雪見障子を外す。濡れ雑巾で湿してから古い紙を剥がし、拭き上げて逆さまに立てる。糊を刷毛で塗り、上から障子紙を左から右に転がしながら一段ずつ貼っていく。紙の幅が合うものがないから、三分の一ほどは無駄になるが、カッターの刃を換えながらその部分を切り落とし、次の段に移る。張り終って生乾きの時に霧吹きで湿らせ、張りを出す。

 書けばこれだけのことだが、客間の4面8枚と、玄関の腰高窓の2枚、合わせて10枚を張り終ったら夕暮れが近付いていた。乾いたところで再び雪見障子を組み立て、元の位置に立てる。間違えないように、天の横桟の隅っこに、それぞれ左外、左中、右中、右外と鉛筆で書いてある。張り替えてみて、あらためてどれほど黄ばんでいたかを思い知らされた。立て終った真っ白な障子に、透かし彫りの竹の影が美しい。
 「わぁ、綺麗になったね!」と褒めてくれるのはカミさんだけ、あとは独りよがりの自画自賛。

 訪れるお客様も高齢化して膝が悪くなったり、若い人は椅子の生活に慣れて正座が苦手になっているから、客間を使うことは稀になった。最近になって座椅子を三脚置いて、たまに座るお客様にも喜んでいただいているが、気のおけないお客様はリビングのソファでもてなすから、益々客間の需要は少なくなった。
 将来、足元が覚束なくなり2階の寝室が億劫になったら、此処が老夫婦の寝室になるのかもしれない……切ないが切実な現実である。

 仏間の4枚は次の日に残して、熱いシャワーを浴び夕餉についた。決して力仕事ではないが、けっこう気を遣う作業であり、緊張の汗を流した。ひと缶のビールで、ほろほろと酔った。
 「この前張り替えたのは、いつだっただろう?」
 気になってブログを遡ったら、2011年12月15日にアップしていた。
 「え~っ、5年半も経ってる!」

 昨夜から梟の鳴き声が頻りである。遠く天神の杜辺りだろうか、フクロウが「ホッホ、ホホッホホッホ、ホッホ♪」、アオバズクが「ホッホ、ホッホ、ホッホ♪」と今夜も鳴き交わしている。
 「森の物知り博士」、「森の哲学者」「森の忍者」などと云われ人に親しまれているフクロウだが、夜行性のその姿を目にすることは稀である。鳴き声も「ゴッホウ ゴロッケ ゴゥホウ」などと書かれることが多い。フクロウは特に冬の夜に哀しく聴くことは多かったが、アオバズクを聴いたのは昨夜が初めてだった。
 何はなくても自然がある……太宰府も捨てたものじゃないと、無理な姿勢で少し凝った肩と腰を労わりながら、夜風に吹かれて梟たちの鳴き交わす声を聴いていた。

 静かな夜である。
              (2017年5月:写真:アオバズク  ネットから借用)