轟轟と風が吠える。石穴稲荷の杜の木々が波濤のように揺れ騒ぐ。台風7号が長崎の西から対馬海峡に駆け抜けつつあり、暴風圏から逸れたものの、激しい暴風雨が吹き荒れている。
雨戸を締め切った広縁で、昨夜の2輪に続き3輪目の月下美人が咲こうとしていた。一昨日嫁入りしたひと鉢も、多分今夜開いて、馥郁とした香りで部屋を満たすことだろう。
締め切っているのに、居間と台所の間のガラス戸がガタガタと鳴る。家が揺れているのだろうか。
朝8時、カミさんを助手席に乗せて、近付く台風を背にしながら都市高を走り、F市民病院に駆け付けた。通勤時間帯の渋滞で、40分ほどの走りになった。この悪天候だから、却って患者が少ないだろうという読みが当たって、初診の書類手続きが済んで、さほど待つこともなく呼ばれた。
I医師は、明るく明快だった。だから、初めて身体に大きくメスを入れるのに、何の不安もない。何度も手術を経験しているカミさんから「内臓じゃないし、命に係わる手術じゃないから」と言われると、返す言葉がない。
優れた技術で評判も高く、手術にも待ちがはいる。先日会って方向は話し合っているし、既に手術を決断しての受診だから、全てが順調に進んだ。
「8月1日が空きましたネ。どうします?」「出来るだけ早い方がいいです。ぜひその日にお願いします」「じゃぁ、1か月前ですから、今日のうちに術前検査をやってしまいましょう」……とんとんと事が進む。
血液検査から始まった。「いろいろ検査しますから、5本ほど採りますネ」「わかりました、少しだけ残しておいてください」「ハイ、どのくらい残しましょう?」……戯言を交わしながら始まった検査は、その後、尿検査、肺活量、心電図、胸部レントゲン、股関節レントゲン、胸部CT,股関節CTと検査室を回り、再びI医師の診断を受けた。
「問題ありません。7月31日に入院して、8月1日の午後手術します。かなり出血量が多い手術なので、輸血用に、予めご自分の血を採血しておきます。採血は1日入院するルールになっているので、来週月曜日の午後来て下さい。通常、400ccから800cc採りますが、あなたの血は濃いので、400ccで十分です」
血の気は多くて、テレビを見ては政治のニュースに腹を立ててばかりだが、血が濃いという指摘は初めてだった。
股関節部品交換とは、こんな手術である。――大腿部左の関節部分を15センチほど切開し、金属製のカップを骨盤にビス止めし、大腿骨骨頭を切り取って、代わりの骨頭ボールと、それをを支えるステム(支柱)を大腿骨に打ち込む。カップの内側には軟骨の代わりになるライナーが嵌まる。これで滑らかな股関節の動きが再現出来る。寿命は15年以上――本体が、そんなにはもたないから、終身大丈夫である。こうして私は、サイボーグ(改造人間)になる。
F市民病院で1週間乃至10日間入院リハビリ、その後、家の近くの掛かりつけのK整形に転院する。延べ入院は3~4週間程度、その後通院リハビリを重ね、定期的にF市民病医院で経過観察を受ける……長い長い復活への助走である。
よし、秋には「野うさぎの広場」の木漏れ日を浴びながら、野性の雄叫びをあげよう。
入院手続きを全て完了したら12時半、3時間半の術前手順を済ませて、レストランでランチを摂って帰途に就いた。一段と強くなった風が、都市高を走る車を横殴りに揺する。横揺れが激しく、肩が凝るほどハンドルを握り締めて走り帰った。通行止めになるのは、もう時間の問題だろう。
帰り着くなり、休む間もなく台風対策に取り掛かる。飛びそうなものを全て物置に納め、天津簾7枚を外し、カーポートの屋根を3ヶ所ロープで庭石に縛り付ける頃、雨が一段と激しくなってきた。
間もなく月下美人が香りを放ち始める時間である。
嵐の夜の、眩しいほどに美しい花の舞い……一夜限りの、儚い妖艶。
(2018年7月3日:写真:嫁入り先の月下美人:Yさん撮影)