蟋蟀庵便り

山野草、旅、昆虫、日常のつれづれなどに関するミニエッセイ。

Graduationー卒業ー

2018年12月19日 | つれづれに

 前回計画書からの改善・変化点「左股関節可動域及び股間周囲筋群、ほぼゴールレベル。また、歩行及び階段昇降等、問題ないようです。但し、端坐位保持後の起立動作及び左股外転動作時に、僅かに疼痛出現すること残存。」
 目標:最終「疼痛緩和、左股関節機能向上による応用歩行能力向上」
 本人の希望「来年夏には、スキューバ・ダイビングに再挑戦したい」

 リハビリ期限150日終了を前に、担当の理学療法士による最後の機能検査が行われ、「もう、大丈夫でしょう。人口股関節としての機能は、ほぼ回復しました。年齢に対しても平均以上の筋力です。」
 その後の医師の診断でもOKが出て、昨年12月から始まった左股関節変形との闘いから晴れて卒業することになった。冬、春、夏、秋、そしてまた冬……1年に及ぶストレッチ、手術、リハビリの日々だったが、一度も休むことなく重ねて来た努力が報われた日だった。若干残る一時的な疼痛は時が薬、徐々に緩和してくるだろう。なんといっても、人工股関節置換手術の術後5ヶ月である。焦ることもあるまい。
 リハビリがない日は、朝5時半に起きて30分の筋トレ・ストレッチをやり、6時25分からのテレビ体操で身体を目覚めさせる。お天気のいい日は、時々御笠川沿いや博物館裏山を、6~7000歩を目途に歩く。習慣になってしまえば、さほど負担にはならないし、年寄りにとって、やり過ぎてもいけないのが筋トレ……だから、毎日歩くことを自分には強いない。それがストレスになっては、意味がないからだ。
 健康に関しては、慎重且つ臆病な私のことだから、きっと今後も、この習慣は続けていくことだろう。

 振り返れば、変形の痛みを発症してから5ヶ月のリハビリ・ストレッチで筋力を強化し、右股関節や膝に異常が生じないうちに早期の人口股関節置換手術を決断した時が、この治療の重要なターニングポイントだった。手術の前日まで、入院した病室で筋トレをやって手術に臨んだ。だから、僅か16日目で退院し、歩いてリハビリに通うことが出来た。手術翌日から始まった自力歩行のトレーニングから退院まで担当してくれた理学療法士が、「今まで担当した患者さんの中で、最も速い回復です!」と言われた。だから、再入院リハビリのつもりで訪ねた近所の整形外科で、「もう、通院で十分です」と、入院を断られる意外な展開となった。
 「あと1ヶ月くらい入院するだろうから」と、友人と遊ぶ計画を立てていたカミさんは,ちょっと慌てたらしい。

 年が明ければすぐに、70代を卒業する。そして、平成という年号も卒業する。決して急いでいるわけでもないのに、時は韋駄天走りで駆け抜けていく。
 来たるべき年には、社会、政治共に期待することは何もない。むしろ、危惧ばかりが膨らんでいく。
 環境悪化・地球温暖化は加速の一途を辿り、最早人知では回復の可能性が乏しいところまで悪化している。
 少子高齢化で労働力人口は減少、若者の無気力化がさらに経済力を失わせていく。
 外国人観光客が3000万を突破、政府は6000万を目指すと豪語する。数兆円の経済効果と銭勘定ばかりしている陰で、政府は軍事予算を急増させようとしている。
 観光客の急増が既に公害化しているというニュースを見た。更に、古都・京都の街並みが通り一本丸ごと中国人に買われ、その中国人が通りに自分の名前を付けると嘯いているという。観光産業や、水資源の土地や山林が中国人に買い占められつつあるという話も聞く。
 日本民族の存亡は、今や危機的状況に瀕しようとしているのではないか、日本民族さえも「卒業」しようというのか……例年になく、愚痴が多い師走である。

 雑念を払って、来年夏、沖縄・慶良間諸島・座間味島でのダイビングに想いを馳せる。ライセンスを取って12年目、サイボーグとしての復活……あの美しい海が、きっと温かく私を迎えてくれることだろう。
 俄かに「卒業」の喜びが湧きあがってきた。ひと足早い春の先駆け、水仙が匂う季節である。
                     (2018年12月:写真:水仙香る)