蟋蟀庵便り

山野草、旅、昆虫、日常のつれづれなどに関するミニエッセイ。

静寂の中で

2019年02月07日 | つれづれに

 長い長い闘いの途上にある。

「もう病気のブログはやめようよ」と思いながら、やっぱり今の身近な話の素材は、帯状疱疹の思いがけない後遺症の神経痛に辿り着いてしまう。そして、こんなツラい状況の時に、何故か人との距離感と温もりの温度差を実感したりもする。

 弱り目に祟り目、突然テレビの画像が出なくなった。メーカーのサービスセンターに連絡したが、10年過ぎているから、もう部品がなくて修理できないという。慌ただしく買い替えに走る羽目になった。あとのサービスの小回りを考えて、近くの小さな電気店に駆け込んだ。(因みに、電機メーカーの家電部門に勤めていた現役時代の私は、常に大型店や量販店ではなく、地域に根差し、人と人の触れ合いを大事にする、小さな「町の電気屋さん」の味方だった。)
 運よく売出し中で、時代の先を行く4Kチューナー内蔵の43インチの液晶テレビが格安で手にはいった。祟り目の出来事が、運を呼んだ。

 食事をしながら、無意識に写ってないのにテレビに目が行く。いつの間にか、見なくてもテレビをつけっぱなしにする習慣が身についていたことを悟らされる。静寂の中で、読書が進む。カミさんとの会話が弾む。テレビのない二日間が、忘れていた何かを思い出させてくれた。

 さて、やっぱり帯状疱疹後遺症に話が戻る。発症から47日目である。皮膚科から紹介され、とうとう痛み専門のペインクリニックに通うことになった。麻酔医の資格を持った女医さんで、スキューバダイビングをやるという共通の趣味を持つ先生だった。リリカOD、トラマールOD、カロナールという3種類の神経ブロックと鎮痛剤を、配合を変えたり量を加減したりしながら服み続け、ようやくズキンズキンと24時間続いていた痛みは消えた。
 ただ、肩から腕にかけて、重い鈍痛と麻痺が残り、箸の上げ下ろしや文字を書くのに不自由している。高齢故の神経痛である。最悪の場合は治るのに数年かかると宣告されて一瞬怯んだが、握力は維持出来ているし、痛みさえ我慢すれば、日常生活にそれほど不自由はない。医師からも、少々痛くても我慢して腕を使うように言われている。庇い過ぎて筋力が落ちると、リハビリに通う羽目になると脅された。
 だから、掃除・洗濯をしたり、風呂を洗ったり、包丁を研いだり、たまに日溜まりで庭いじりをしたり、掃いたり、カミさんの横で炊事の手伝いをしたり、洗い物をしたりして、日常を維持しようと努力している。普通に腕を使っても、それで痛みや痺れが増すことはないことに気付いた。霧の中に、一条の光を見た思いだった。
 逆に、じっとしていると、痛みだけが道連れになり、却って痛みばかりを意識することになる。だから、毎週1時間半の気功にも復帰したし、毎朝30分の股関節リハビリストレッチも再開した。九州道往復2時間のドライブにも耐えた。

 何よりもの癒しは風呂である。最初はシャワーの水流で皮膚がピリピリと痛むが、湯船に浸かり温まると、嘘のように痛みが消えていく。「別府・鉄輪温泉の、自炊出来る安い湯治場に1週間ほど行こうよ」とカミさんが言う。ご近所さんからも勧められる。大いなる誘惑である。

 お正月明けに、出入りの植木屋さんに八朔を捥いでもらった。例年になく小振りで、顏が悪いのが多いが、数だけは百数十を超える。綺麗で大きいものを幾つか、友人におすそ分けしたが、とても二人では食べ切れないほどの数である。 
 ふと思い立って、久し振りに八朔のマーマレードを作ることにした。台所に立つこと4時間、5個の八朔の皮を剥き、マイ包丁で細く刻んで、滾った熱湯で4度煮立てて苦みを取る。3個分の身もほぐし入れてことことと煮立て、グラニュー糖をたっぷり入れて煮詰めていく。次第に水気が飛び、ほどほどのとろみが出たところで、檸檬を絞り込めば出来上がりである。ほろ苦い八朔特有の味わいを載せたマーマレードが出来上がった。
 これだけ動けるのだから、腕の鈍痛と痺れは「時間が薬」だろうと、自分に言い聞かせる。。
 
 バレンタインにはまだ間があるのに、気功の仲間たちや、町内の人からチョコレートが4つも届いた。皆が元気づけてくれる。同じ帯状疱疹神経痛を抱える知人から、度々見舞いと励ましのメールが来る。これが、人の温もりである。人生、まだまだ捨てたものではない。

 ラジオの音楽を聴きながら、肩の痛みを忘れてキーボードを叩いていた。今夜も温かい湯に浸って、夢路を辿ることにしよう。
                   (2019年2月:写真:八朔のマーマレード)