穏やかな早春の青空が広がっていた。その空の優しさに誘われた。
「ちょっと歩いてくるね」とカミさんに声を掛け、道に降り立った途端、空の優しさを裏切るような烈風が、真正面から吹きつけた。思わず、ウインドブレーカーのファスナーを閉じ、襟を立てた。明るい黄色を目立たせながら、顔を伏せ気味にして歩き始める。冷たい風に吹かれて、思わず涙が滲む。
アラスカからの寒流が流れ下るカリフォルニアの海は冷たい。ダイビングの合間に船の上で凍えあがるから、厚めのウインドブレーカーは離せない。数年前、サンタ・カタリナ島で久し振りに潜った。68歳でライセンスを取った、想い出深い海である。ジャイアントケルプに埋め尽くされた合間を縫って潜っていくと、赤い魚・ガリバルディーが迎えてくれる。
その時娘婿が着ていた黄色のウインドブレーカーを、帰国の際に譲り受けてきた。高齢者の交通事故が多い一つの理由は、地味な黒っぽい服で歩いている人が多いことだ。夕暮れ時や夜間に運転していると、よくわかる。だから、この時期の外歩きには、目立つように出来るだけこの黄色いウインドブレーカーを着るようにしている。アメリカのアウトドアブランドTIMBERLAND製だが、ファスナーの合わせが左右逆という事は、アメリカでは、このサイズは女性用なのであろうか。小柄な次女が、「子供用サイズしかない!」と嘆いていたのを思い出す。
御笠川水は澄み切っていた。マガモやシラサギが遊ぶのを見ながら、桜並木の下の遊歩道を歩く。土手沿いに白や黄色の水仙が植えられ、風に滲む目を癒してくれる。桜並木の蕾はまだ固く、微かな彩りもない。吹く風に縮緬波が川面を走り、小さな瀬の飛沫が霧となって顔に散り掛かる。
突然、千切れた紙片のような白い影が土手に飛んだ。今年のモンシロチョウの初見だった。俄かに、気持ちが浮き立つのを感じた。昆虫少年のなれの果てのご隠居としては、季節の移ろいは、やはり蝶で確かめたい。冬の小春日に、成虫で冬を越すタテハチョウの仲間たちを見掛けることはあるが、春の先駆けはやはりモンシロチョウである。
向こう岸の透明な水底を、素早く走る影があった。ひょいと顔を覗かせたのはカイツブリだった。動きがあまりに速すぎて、望遠に伸ばしたカメラでも捉えることが出来なかった。小さな魚影が底の砂地に影を落とす。鳥たちにとって、この川は格好の餌場でもあるのだ。
赤い橋の袂から右に折れ、観世音寺に向かった。宝物殿傍の駐車場の向こうに、葉を落としたメタセコイアとおぼしき木が数本、梢を伸び伸びと青空に突き刺していた。宝物殿の向こうに白い雲がかかり、空の青さを一層際立たせる。
観世音寺は、大晦日の除夜の鐘で有名な梵鐘(国宝)ばかりでなく、九州随一の仏像彫刻の宝庫である。木造十一面観音立像(像高4.98メートル)、木造十一面観音立像(像高3.03メートル)、木造阿弥陀如来坐像(平安時代)、木造十一面観音立像(平安時代)、木造四天王立像 (平安時代)、木造大黒天立像(平安時代:大黒天像としては日本最古に属する)など、天智天皇が母斉明天皇の追善のために発願したという古刹に相応しい仏像彫刻が並ぶ。宝物殿に居並ぶ仏像の数々は、異様なまでに存在感があり、そして目を見張るほどの圧巻である。願わくば、本殿の須弥壇の暗がりの中で、慈愛のまなざしに手を合わせたかったと思う。
宝物殿の柱の陰に「太宰府市歩こう会」の集印所がある。集印帳に、日付入りのスタンプを捺した。これで10ポイント。この「元気づくりポイント」を貯めると、来年2月には商品券に交換できる。
観世音寺を周回し、路地を戒壇院に辿った。道端にオドリコソウが群れ咲き、青空の欠片のようなオオイヌノフグリが可憐に日差しを受けていた。コブシの白が青空に映える。
再び御笠川に戻り、さざ波の照り返しに目をそばめながら帰途に就いた。冷たかった向かい風が追い風となり、日差しの暖かさに汗ばんでくる。
帰り着いて、手帳に「3月12日、モンシロチョウ初見」と書きつける。7300歩の早春散歩だった。
(2019年3月:写真:天に突き刺さる冬木立)