蟋蟀庵便り

山野草、旅、昆虫、日常のつれづれなどに関するミニエッセイ。

思い立つ

2019年06月11日 | 季節の便り・花篇

 早朝、5時10分に目覚めた。普段の就寝は23時、朝寝坊しようとしてもこんな時間に目覚めてしまうのが、所謂「年寄り」の習性である。
 いつものように、ベッドの上のストレッチとリハビリ体操を30分。気功を始めて以来、もう十数年習慣にしている足腰の鍛錬である。昨年8月に人工股関節置換手術を受けてから大臀筋内部の鍛錬が加わり、内容が少し変わったものの基本は同じである。やや汗ばんだ身体をベッドから起こし、新聞を取って番組欄をチェックし、気になる番組の録画予約をする。一通り紙面に目を通し、髭を剃り、顏を洗ったところで急に思い立った。
 庭に降りて、買い替えたばかりの「鋼付きねじれ鎌」を手にする。鋭い刃が、雑草を根こそぎにする。何故か値段が高いものと思い込み20年以上使い込んで来た鎌が、さすがに刃も潰れ、柄の部分も割れかけてきたのでホームセンターに買いに走った。何ことはない、840円で新品が手にはいった。
 出入りの植木屋の言葉が気になっていた。「落ち葉を放っといたらいかんよ。腐葉土になるには何年もかかるし、虫の棲家になるだけやけん」
 庭はいつも草1本生えないように、目に付き始めたら一気にねじれ鎌で根こそぎにする。しかし、植栽で囲まれた裏の部分は、もう2年ほど落ち葉が降り積むままに放置していた。日が昇って暑くなる前に片付けてしまおうと、軍手、トレッキングシューズで武装する。近年増えているマダニ被害を避ける対策である。
 この日、朝1時間半、夕方1時間、そして翌日朝2時間かけての作業になった。植栽の間に潜り込み、しゃがみ込んで先ず目立って伸びた雑草や羊歯を抜き、ショウケで庭先に運び出す。博多弁で言うショウケとは、元来竹で編んだザルの一種・笊笥(そうけ)が訛ったものだが、近年は風情のないプラスチック製に姿を変えた。
 因みに、若いころ好きで通った俗にいう「三郡縦走」(若杉山―砥石山―三郡山―宝満山の4つの峰を超える24キロの健脚コース)、その若杉山を下ったところに「ショウケ越え」という峠がある。神功皇后が現在の宇美町で応神天皇を出産した際に、ショウケの籠に入れて峠を越えた事からその名が付いたとされる。

 ツツジやラカンマキなどが育ちすぎて、かつての通路が塞がってしまった。剪定鋏で見苦しくない程度に刈り採って、5か所の通路を確保した。積み重なった落ち葉を、その通路を使って庭に掃き出し、一日日に当ててからゴミ袋に詰め込む。これで一日が終わった。ここからが「鋼付きねじれ鎌」の出番となる。厄介なのは、蔓のように根を張り巡らせて延びる羊歯と藪柑子(一両ともいう)、それになかなか根っこを掘りきれない蔦の類である。抜いても抜いても、根っこの一部でも残っていれば、またいつの間にか生えてくる。不毛の戦いである。
 ねじれ鎌で掘り起こし切り取り、しゃがみ込みの作業が二日目も続いた。その足腰の疲れよりも、こんな姿勢で長時間作業出来る人工股関節の機能に感動していた。初期の人工股関節は、90度以上曲げてはいけない時代があったと聞く。チタン合金とセラミックで構成され現在の人工股関節は、全く人工であることを意識させない。勿論、跳んだり跳ねたり走ったりには多少の怯えがあるが、ラジオ体操は全て違和感なくこなせるし、寿命も30年以上とされる。本体の我が身は、せいぜいあと10年の寿命である。焼き場で、ゴロンと転がるチタン合金の股関節を見ながら骨を拾う娘や孫たちの顔を想像すると、何とも可笑しい。

 掘り起こし、引き抜き、根を切り、かき集めて掃き出す。二日間の作業の成果は、市の可燃ゴミ袋の大に3袋分になった。見違えるように綺麗になった植栽の裏っ側、庭先から見えない部分だから、その成果は自己満足だけである。
 帯状疱疹後遺症の神経痛の痛みを忘れて、右腕でねじれ鎌を振い続けた「しゃがみ込み作業」の報いは、翌日に来た。太ももと腰、背中と右腕に凝りが出た。若い頃はその日のうちに出ていた凝りが、歳を取ると翌日や翌々日に出るようになる。
 思い立って始めたら、徹底的にやってしまわないと気が済まない性分である。

 庭のいたる所、山野草の鉢のあちこちに、いつの間にかムラサキカタバミが拡がった。根っこがしぶといから、どんなに葉を引っこ抜いても必ず生えてくる。ここにも不毛の戦いがあるが、花の可愛さを見ると抜くに抜けなくなる。「南アメリカ原産であるが、江戸時代末期に観賞用として導入されて以降、日本に広く帰化している。環境省により要注意外来生物に指定されている」というネットの記事を見ながら、納得と諦めを重ねる日々は、きっとこれからも続くことだろう。
 「明日は、一日中寝てやるぞ!」と出来もしないことを呟きながら、気怠い腰を叩いて夜が更けた。
                  (2019年6月:写真:ムラサキカタバミ)

黄昏の花火

2019年06月11日 | 季節の便り・花篇

 北部九州の梅雨入りが遅れに遅れている。前線が北上せず。中部、関東方面の方が先に梅雨入りし、関西、中国、北部九州などが取り残された形となった。
 ダムの貯水率が40%という気になる報道もある。寒暖の差だけは相変わらず激しく、34度と25度を行きつ戻りつしながら、もう6月も10日を過ぎた。昼間は汗ばみ、朝晩は肌寒くて長袖を着込み、寒暖に対応できない年寄りは、今朝などエアコンを暖房に入れる始末である。
 おかしい!「梅雨の蛾」ユウマダラエダシャクは、今朝も2頭が梅の葉陰を舞い遊んでいるというのに。

 先週、「博多座開場20周年記念6月大歌舞伎」夜の部を観ることにしていた前日のことである。突然、徳島の知人からメールが来た。「明日、ハウステンボスの帰りに、孫の高校合格祈願のお札を受けに、娘と太宰府天満宮に詣でたいけど、会えますか?」博多駅の近くのホテルに泊まり、太宰府に行って、出来れば3時の新幹線に乗りたいという。
 現役時代にお世話になり、リタイア後も金毘羅歌舞伎の手配をして下さったり、自宅に泊めていただいて、アインシュタイン自筆の墓碑銘を刻んだ三宅速博士(私の友人の祖父)のお墓に参らせていただいたり、讃岐うどんのハシゴをしたり、いまだに家族ぐるみのお付き合いをさせていただいている、吉野川上流の、もう「祖谷の蔓橋」に近い山奥の「町の電気屋さん」である。軽々なおもてなしは出来ない。

 10分刻みでスケジュールを組み、出来る限りの歓待をすることが出来た。博多駅を9時40分に発つ高速バス・太宰府ライナー「旅人」を10時20分に太宰府駅で迎えた。参道を歩き、過去・現在・未来の赤い太鼓橋を渡り、本殿に詣でて合格祈願のお札を受け、折りから満開の菖蒲池を回って、エスカレーターと虹の歩く歩道を通って九州国立博物館の偉容を見ていただいた。
 博物館横の九十九折れを下ると、豆腐料理「梅の花・自然庵」がある。個人の別荘を使った雅趣溢れる静かな個室が、前日夕方の電話だったのに、11時半予約で取れた。1時間半の豆腐懐石フルコースを1時間で早出ししてもらって、お嬢さんお好みの豆腐料理を満喫してもらった。駐車場に車を取りに走り、太宰府銘菓・梅園の「宝満山」の詰め合わせと、新幹線で食べて頂こうと太宰府名物「梅が枝餅」を土産に差し上げて、JR二日市13時31分初の快速に間に合うようにお送りしてお別れした。
 走り帰って大急ぎで着替えて博多座に走り、「音羽屋!」「成駒屋~ッ!」「萬屋っ!」「三河屋!」などと声掛けを楽しんだ。
 暑さに茹だって走り回ったこの日、太宰府は34.2度の猛暑だった。博多座から帰る車の車窓に、豪快な稲妻が走った。昨年8月の人工股関節で入院しているときに病室の窓からワクワクしなが見た稲妻、それ以来久し振りの雷だった。夜半、激しい雨になった。

 珍しく人混みが少なく、中国語が聞こえない参道だった。途中寄った親しい「梅が枝餅」の店で訊いたら、クルーズ船が着いてないという。そういえば、中国からのクルーズ船が激減しているというニュースを見た。富裕層のクルーズのブームが終わり、今は中下層のクルーズが続いていたが、2泊3日で5万程度とか、それが更に空き部屋を埋める為に2万とかで売られているともいう。採算が合わないクルーズ会社が相次いで撤退、ひところの2割まで激減しているらしい。政府が4000万人まで増やすと豪語しても、実態は予想通りの推移であり、観光公害に悩む観光地としては、ホッとする事態でもある。むしろ、半減して欲しいとさえ思う。

 政治屋は経済効果しか見ない生き物らしい。それも、実態は次の選挙での得票数に結び付ける為の算盤である。災害復旧事業でさえ、土建屋を太らせて「経済効果」を高める為に利用される。昔、政府が取引する大手事業10社のうち9社が土建業だったのを見て、愕然としたことがある。政治資金と得票を狙った、国家的談合?…アベノミクスだかアベノリスクだか知らないが、血税を濫費して見せかけの成果を作ろうとする醜態が見え見えで……そうだ、つまらない政治の話でブログを汚すまいと決めたのだった。

 雨の合間にスミダノハナビが美しく咲いた。我が家では4種類の紫陽花が競い咲く。カシワバアジサイは少し重い。八朔の葉陰にひっそりと咲くガクアジサイの儚さも捨て難い。数年前にアメリカの二女が父の日に届けてくれたスミダノハナビが、毎年この時期に咲く。 
 雨が似合う花である。夕暮れに火花を弾く風情を愛でながら、いつ訪れるとも知れない梅雨を待つ毎日である。
                    (2019年6月:黄昏のスミダノハナビ)