蟋蟀庵便り

山野草、旅、昆虫、日常のつれづれなどに関するミニエッセイ。

究極の愛

2021年08月23日 | 季節の便り・虫篇

 カネタタキが、秋の扉を「チンチン♪」と叩く。半月続いた熱中症警戒アラート、その後に待っていたのは、無限に続きそうなほどの雨の毎日だった。二つの気候災害(それは決して自然のものでなく、積み重ねてきた人間の奢りへの報いでもあった)を引っ提げて、コロナは感染拡大を続けている。果てしない戦いである。

 切ないまでに壮絶な、究極の愛の記事を見た。8月21日、西日本新聞朝刊のコラム「春秋」から引用させていただく。

 ――生涯同じ相手と暮らし、協力して子を育てる。沖縄の森の朽木に生息するリュウキュウゴキブリは「厳密な一夫一妻」だという。雌雄が出会うと、互いの羽を根元まで食べ合って飛べなくしてしまう▼そんな不思議な生態を発見したのは、九州大の大学院生の大崎遥花さん(27)――

 そうなのだ、沖縄のゴキブリは大型で、飛ぶし、鳴く。限りなく虫を愛でる元昆虫少年の私でも、さすがにゴキブリと藪蚊だけは、殺すことを躊躇わない。
 その仲間のクチキゴキブリの物語である。

 ――雌が雄を食い殺すカマキリなど、異性を一方的に食べる行動は知られていたが、両性で食い合うのは今のところ、この種だけ。「相手を飛べなくして別の相手に出会わせず、育児に参加させ、子をなるべく多く残している可能性がある」と大崎さん。

 ちょっと言葉を添えておこう。「雌が雄を食い殺すカマキリ」という表現、交尾中に背中に跨った雄をむしゃむしゃ食べる、実はこんな例はごく稀で、カマキリの目には動くものは全て餌、それがカマキリの雄だからと言って、容赦はしないだけのことである。食い殺すのではなく、餌として食べる純粋な行為でしかない。

 虫の世界に、切ない愛(?)の話はいろいろある。 

 最近、めっきり見掛けなくなったミノムシ、蓑蛾の幼虫なのだが、その雌は一生蓑から出て空を飛ぶことなく、フェロモンを撒いて雄を呼び寄せ、ミノの底から尾を差し込んだ雄と交尾し、全身卵に埋め尽くされて蓑の中で生涯を終える。

 カゲロウは成虫となって川面を舞う時間は数時間しかない。なぜなら、陽炎の口はほとんど機能しなくて、餌をとることが出来ないのだ。オスは川面などの上空で群飛し、この集団中にメスが来ると、長い前脚でメスを捉え、そのまま群から離れて交尾する。餌を取らず、雌は水中に産卵すると、ごく短い成虫期間を終える。カゲロウは、ただ交尾して種を残す為だけに誕生する。

 里山の放棄・開発などで個体数を激減させているギフチョウの雄は、交尾が終わると、特殊な粘液を分泌して雌の腹部の先に塗りつける習性がある。塗りつけられた粘液は固まって板状の交尾嚢になり、雌は2度とほかの雄と交尾することが出来ない。よく、人間の貞操帯に例えられる。

 春秋の最後は、大崎さんのこんな言葉で閉じられていた。
 ――「好きなものをつぶさに観察していれば、どんどん疑問が湧いてくる。知られていないこと、面白いことは世の中にまだたくさんある」――

 初物の無花果をいただいた。あるブログに、こんな記載があった。
 ――古代から、イチジクは様々な神話に出てきます。ギリシャ神話では、豊穣の女神デメテルが与えたとされています。元々ティターンという巨人族との戦いの中、大地の母神ガイアの子供達が育てたとか、古代ローマでは、バッカスが伝えたとか、ロムルスとレムスがイチジクの木に助けられたとか。
 ユダヤ神話(旧約聖書)では、エデンの園で食べてはならない禁断の果実とされていたのがイチジクとも言われ(りんごとも言われてますが)、罪を犯したアダムとイブが、陰部をイチジクの葉で覆ったとか、
 まぁ、なんだかよくわかりませんが、とにかく古代から西洋ではイチジクが神話の中でも人々の生活でも欠かせなかったのでしょう。
そんな古代の神話と歴史に思いを馳せながら食べるのが、イチジクの醍醐味です――

 フム、神話を噛み締めながら、イチジクの醍醐味を味わうことにしよう。
                      (2021年8月:写真:初物のイチジク)