忘我の淵に沈みこんで、夜の眠りはいつまでも訪れなかった。部屋に付いた檜風呂から、かけ流しの湯音がかすかに耳元に転がってくる。ひと時、ふた時、輾転反側する中に夜が更けていった。左手首を捻ると、反応して腕時計に光が灯り、浮かび上がった時刻は午前1時を過ぎていた。
6月30日、福岡県が「避密の旅」観光キャンペーンを発表した。コロナで打撃を受けた県内の観光業を支援するため、県民に限り5割引きの宿泊券と旅行券を売り出すというものだった。1泊当たり最大5千円、日帰り3千円の割引となる。わかりやすく言えば、1万円買えば、2万円のクーポンが来るということだった。早速、帰省していた長女に手伝ってもらいながら、スマホでリストにある旅行社に申し込もうとしたが、すでに大手は全て売り切れ、ようやく農協のJA筑紫旅行センターで2万5千円を払い込むことが出来た。折り返しスマホに、5万円のクーポンが表示された。利用期間は7月12日から12月31日までである。
ところが、直後に福岡県にも緊急事態宣言が出た。解禁になったのは、10月20日だった。2ヶ月14日間先延ばしになり、2月14日、バレンタインデーまで有効という。
解禁を待って、船小屋温泉に走った。旅行も、クルーズも、温泉も、外食も、この2年近く殆ど我慢して自粛してきた。せめて、県民の特権を使い、日ごろの鬱憤を晴らそうと、二つの温泉旅館の特別室で贅沢することにした。
船小屋温泉――凝った料理は美味しかったが、バリアフリーを無視した大理石のつるつるの階段や、ぬるい湯に落胆。矢部川を渡る白鷺の群舞を楽しんだだけで終わった。
立冬を過ぎて10日、寒波の後の小春日に、原鶴温泉を目指した。古い「サンパチロク」と親しまれる386号線を避けて、田園の中の裏道を、大宰府市から筑紫野市、筑前町から朝倉路へと南下する。時たま路傍に見る紅葉は彩り悪く、既に多くが枯葉色だった。
リニューアルして2年、バリアフリーを施した「ほどあいの宿」と謳う筑後川沿いの宿が、今夜の贅沢だった。4階の準特別室「夕月」、半露天檜風呂付客室は、8畳のツインベッドに8畳のリビングルームが付き、1泊一人2万8千6百円。1万以下の宿を探していた2年前が嘘に思えるほど、今回は贅を尽くした。
同じ狙いと思われる高齢家族が多い日だった。露天風呂を覗いたが、すでに先客が4人ほど浸かっており、引き返して部屋の半露天檜風呂で足を伸ばすことにた。吐口から注ぐ湯音に、1時間のドライブの緊張がほぐれていく。ベッドと部屋付き露天風呂、この組み合わせを知ると、もう病みつきになる年代である。
「雅」と謳う料理も、申し分なかった。鮑の刺身を食べたのは、もう20年振りだろうか。赤のグラスワインを添えて、下を向けないほど飽食の限りを尽くした。
2度目の露天風呂に温まってベッドに入ったが、喪われた「日常」の数々を思い浮かべ偲ぶうちに、我を忘れ、眠りを忘れた。
コロナが急速に鎮まっている。日常回帰への様々な試みが始まっているが、もうあの「日常」が帰ってくることは決してないだろう。次の波は必ずやってくる。コロナと共に生きることが、新たな「日常」になる。マスクが、下着と同じように人前では決して脱げない、そんな「日常」――。
かつて、カナディアン・ロッキーを二日がかりで南下し、古城のようなバンフ・スプリングス・ホテルに泊まって、近くの『帰らざる河』(River of No Return)のロケ地の河を見た。マリリン・モンローとロバート・ミッチャムが演じた1954年のアメリカの西部劇である。「No Return No Return♪」と繰り返すフレーズが耳に蘇る。
翌朝、寝起きと朝食後、計4度の露天風呂三昧を満喫して、10時に宿を出た。チェックアウトのあと、「お気をつけてお帰り下さい」と書かれたキャンディーを渡される。こんな、さりげない心遣いが嬉しい。
50キロ足らずの近場である。まっ直ぐ帰れば、昼前に帰り着いてしまう。「そうだ、K子ちゃんに頼まれた梅干を買いに行こう」とカミさんが言う。K子ちゃんとは、カミさんの小学校と高校の同窓生で、生涯歌うことを生き甲斐とする、市井の声楽家である。
果物の郷・杷木から、天領・日田を抜けて、30分足らずで大分県の梅の郷・大山町の「木の花ガルテン」に着き、紅葉の下に車を停めた。平日で、此処も客は少なく、買い物を済ませ、日田ICから大分道に乗って、13時過ぎに「避密の旅」を終えた。
結局、我が家の庭の紅葉が一番綺麗だった。
師走が、もうそこまで近付いていた。
(2021年11月:写真:「木の花ガルテン」の紅葉)