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少雨傾向顕著な秋である。昼夜14度もの温度差に翻弄されながら、ようやく空気の冷たさに馴染み始めたというのに、また1ヶ月季節を戻し、24度を超える異常な暖かさが続く毎日になった。昨日、東京ではミンミンゼミが鳴いたという。
朝と昼で下着まで替えないと、温度変化に身体がついていけない。それじゃなくても、寒さに過敏に反応し、暑さに鈍くなるのが年寄りである。だから夏は熱中症で倒れ易く、冬は風呂場の脱衣所で亡くなる人が増える。
「他人ごとじゃないよなぁ!」、とぼやきながら、久し振りに近付く雨の気配に、次第に重くなる空を眺めていた。
ハナミズキの葉がようやく散りつくし、キブシの落ち葉が盛んになった。気温乱高下の中で、季節は秋から冬への歩みを進めている。
これから木枯らしの季節にかけて、山道の散策の度に目を凝らして、カマキリの卵塊(卵鞘)を探す。お馴染みの「野うさぎの広場」に向かう途中、博物館に上る89段の階段の左ののり面が、私の格好の狩場である。葉が落ちて茎だけを残す草や木の数十センチ上に、それはある。
狙うのは、分かりやすいオオカマキリの卵塊。折り取って庭の鉢に挿しておくと、春3月、この卵塊から200匹ほどのちびっこカマキリがワラワラと誕生する。前幼虫という姿で卵塊から這い出るとすぐに脱皮し、一丁前のカマキリの姿になって、斧を振りかざす。ちょっぴり小生意気で、可愛くて、それが見たさに、冬場の卵塊狩りをやめられないのだ。
200匹ほど生まれても、天敵に襲われたり、共食いしたりで、生き残るのは僅か2~3匹でしかない。交尾しながら、雌が雄を食べてしまうのは有名な話だし、目撃したこともある。残酷と言うのはあくまでも人間目線、動くものは獲物と認識する本能が成せる業であり、産卵に必要な栄養を蓄えるための仕方ない行動なのだ。むしろ、頭から食べられながら交尾を続ける雄の健気さにエールを送るべきだろう。神経系統が異なっているから、こんな器用な真似が出来るらしい。多少、羨ましくもある。
このところ2年ほど、卵塊を見付けらずにいた。今年も、リハビリの合間を縫って数度この道を辿ったが、まだ発見出来ていない。
ところが……である。今朝、寝室の窓を開けたら、外に提げた天津簾の裏側に、乾いた泡状のオオカマキリの卵塊が固まっていた。
退院した日に、洗濯物にしがみ付いて迎えてくれたオオカマキリ……香川照之の「昆虫凄いぜ!」のカマキリの着ぐるみを思い出したものだった。その後、キブシの葉陰でセミを貪り食っていたオオカマキリ。「照之、食い逃げかよ!」と書いた、あの一匹ではないと思うが、ちゃんと私の寝室の窓辺に産み付けてくれたのが、何とも粋で健気ではないか。
だから今回は、「照之、でかした!」とタイトルをつけることにした。
卵鞘は、産み付けられたときはふわふわの泡状だが、数時間で固くなる。これから天敵に耐えながら寒い寒い冬を越す。この固くなった卵鞘で、寒さに耐え、衝撃にも耐え、カマキリタマゴカツオブシムシや、オナガアシブトコバチなどの攻撃にも耐えなければならない。生存率の低い幼虫たちは、生まれる前から様々な試練をくぐらなければならないのだ。
ネットの解説に、こんな一節があった。
「(交尾中に雄を喰ってしまうという)この行為は、産卵に必要な栄養を補給するためであり、これによってより多くの子孫を残すことができるのです。 どうせ生き延びても冬は越せないので、ある意味で命を有効活用していると言えます。」
カマキリが産卵する高さによって、冬の降雪量を予測できるとの俗説がある 。天津簾に産み付けられた卵塊は、およそ1メートルの高さである。太宰府は「福岡の豪雪地帯」とからかわれることもあるが、まさかここまで積もることはあるまい。あくまでも、雪国での俗説だろう。
春の楽しみが増えた。歳取るほどに、日々の小さな喜びの発見が貴重になる。明日は、どんな喜びが待っているのだろう。
島根の、20年前の仕事の取引先から、今年もドライアイスで渋を抜いた西条柿が届いた。11月恒例の贈り物である。リタイアして20年も過ぎたのに、いまだに忘れずいてくれて、家族ぐるみのお付き合いが続いている取引先が、島根、徳島、北九州などにある。40年の会社人生の、かけがえのない財産である。
(2018年11月:写真:天津簾に産み付けられたオオカマキリの卵塊)
読み進めていって納得!!まあ、ご自宅寝室の側とは、灯台下暗しでした?蟷螂好きな御隠居様と知って慕ってきた蟷螂さんでしょう。
カマキリのお話、ゾクゾクしながら読ませていただきました。交尾中に・・・の話は、昔、何か推理小説中に出てきて初めて知り「ゾクッ」ときたものでした。
なるほど、命の有効活用と考えればゾクゾクこないかもしれません。
20・40年来のお付き合い、素晴らしいお話有難うございました。
「野うさぎの広場」へのお散歩が続けられていらっしゃるご様子、思わず「良かったあ」と喜んでおります。これから、ますます冬にむかい寒くなります。ご自愛のほどを。福岡、豪雪にならないように。少しぐらいなら嬉しい雪の舞なのですが。
(四六時中、パソコン開きっぱなし、スリーブにしております。スマホでも、時々のぞいております。昨日はバタバタしてたみたいですね・・・私)
朝晩、道路や庭の落ち葉掃きが日課の季節です。キブシの後は紅葉(楓)が散り始めます。ご近所に多少ご迷惑を掛けますが、紅葉を愛で、季節感わ味わっていただけばいいと……。
夏休みの子供たちのラジオ体操がうるさいとか、子供の声がいやだから町内に保育園を作るなとか、人情が冷え切り、殺伐とした世の中になりましたネ。
自分にも子供の時代があったことを思い出させば、そんな自分本位な言葉は出ない筈です。
情報化社会は、人と人の生身のふれあい希薄にさせて、人間を哀しい生き物に変えてしまいました。
私の住む辺りは、工業地帯に勤務されてた方達が故郷に帰らず、こちらに家をたてられたという方が多いようです。我が家も義父が北九州から新潟へ新潟から茨城へなので、付き合いが狭いですね。御近所の方とは、挨拶程度。
寂しい世の中かもしれません。
ご隠居様のブログ、ととろ奥様のブログ覗くと、お付き合いの深い方々とのこと書かれていて羨ましいなあと。
昔は家に電話さえなかったのを考えると、今はスマホ、携帯と、持っているのが当たり前になってしまってて隔世の感。夫はあまり携帯、スマホ、好きじゃなく、かなりIT企業にも批判的です。スマホじゃなくても、パソコンがあれば良いんじゃないかって言ってます。
私は、広辞苑・百科事典、本を読むのに重宝してます。昨日は娘のスマホが故障、新しいのに機種変考えましたが気に入ったものがなく、今のスマホより少し新しいものに交換。やはりないと不便のようです。