蟋蟀庵便り

山野草、旅、昆虫、日常のつれづれなどに関するミニエッセイ。

水の真珠

2021年07月15日 | 季節の便り・旅篇

 夜明けの露天風呂は、いつも寛ぐ。夜来の雨が嘘のように、穏やかな朝だった。美味しい「久木野米」で贅沢な朝食を済ませ、胃袋が落ち着いたところで、4度目の露天風呂で名残を惜しんだ。

 食事処で配膳してくれた若いネパール人の男女に見送られて、三たびの隠れ宿を後にした。今日中に大宰府に帰ればいいという、あてもない気紛れ旅である。昨日、「道の駅阿蘇」でもらったガイドブック「あかうしのあくび」を開いたら、もう20年近く前にみんなで行った「高森湧水トンネル公園」を見つけた。ナビで探ると、最短19分とある。
 途中、「あそ望の郷くぎの」で、娘のソフトクリーム巡りに付き合い、東に向かった。ナビは利口なようで不親切な面もある、南阿蘇の外輪山中腹を巻く道は、時に離合困難な農道になったり、突然道が消えて、その向こうに新しく出来た綺麗な道にぶつかったりする。このナビが搭載されたころには、まだ新道が出来ていなかったのだろう。いきなり、湧水トンネルの駐車場に出た。目の下が、トンネルの入り口だった。

 パンフに歴史が書いてあった。
 熊本~延岡間を結ぶ鉄道が昭和37年に認可された。昭和48年、高森~高千穂の間に6480メートルのトンネル工事が始まったが、約2キロほど掘ったところで毎分36トンの出水が起こり、町にある8つの湧水が涸れ、水道が使えなくなる事態となった。鉄道建設は断念され、代わりにここを親水公園として整備、平成6年にトンネルの550メートルが一般公開された。
 激しく流れる水に沿って、両側に歩道が続き、クリスマスや七夕には、美しい飾りつけがされる。コロナの為、今は過去の優れた飾り物が作品として並べられていた。
 肌寒いトンネルを進むと、一番奥に細い流れを滝のように落とす壁面に辿り着く。ストロボが点滅し、シンクロすると小さな流れが水玉となって停止したり、逆に上に上って行ったりして、まるで輝く真珠のように見える。「ウォーターパール(水の真珠)」と名付けられた光のイリュージョンである。
 
 トンネルを戻る途中、天井にごろごろと響く雷鳴を聴いた。入口を抜けたら、ちょうど雷雨が通り過ぎた後だった。いつの間にか、お昼を過ぎていた。
 ナビ任せで、小国に向かうことにした。予想通り、高森から阿蘇五岳の北端・峩々たる岩山の根子岳を巻く道だった。高千穂峡でボートを漕いだり、炭火に焙られながら名物の高森田楽を食べたり、何度も走り慣れた道だった。十数年振りに辿る道は、峩々たる岩峰を左右に見る曲折多い道に両側から木や草が覆い掛かり、路肩が見えないほど緑が深くなっていた。

 ヘアピンを重ねる道を娘のハンドルに委ね、やがて阿蘇市に出た。内牧に曲がる道を少し通り抜け、「山賊旅路」という面白い店で、山賊飯や団子汁で遅めのお昼を食べた。店の天井いっぱいに、全国から集めた無数の土鈴が下がっていた。
 世界最大の阿蘇カルデラを一気に走り抜け、内牧から紆余曲折する外輪山を駆け上がり、大観峰に寄ることもなく小国に抜けた。
 途中、娘の希望で大山ダムの下からダムの上にのしかかる「進撃の巨人」を見上げるエレン、ミカサ、アルミンの少年期の銅像を見に寄り道した。「進撃の巨人」を知らないジジババは、ちんぷんかんぷんだったが、娘は大喜びである。原作者が、ここ大山の出身らしい。

 大山の「木の花ガルテン」でトイレタイムを取って日田に抜け、大分道~九州道を走って、雷雨明けの太宰府に夕刻無事に帰り着いた。
 「雨女」と言っていた孫娘は、実は「雨の神」だったらしく、この二日間の観光や走行中に豪雨に見舞われることがなかった。いつも雨上がりを追いかける幸運なドライブだった。
 翌日、お土産で膨らんだキャリーバッグを引き摺りながら、孫娘は博多駅から帰っていった。自動車メーカーの本社工場で、内装デザイナーとして3年目の仕事が待っている。下の孫娘は、留守番しながら就活の真っ最中である。

 昭和、平成、令和と、三世代生きた私たちは、もう「歴史」になろうとしている。いい時代を生き、いい娘たちや孫たちを残したという、ささやかな自負と喜びがある。
                    (2021年7月:写真:ウォーターパール)

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