蟋蟀庵便り

山野草、旅、昆虫、日常のつれづれなどに関するミニエッセイ。

不毛の大地・モハーベ砂漠(夏旅・その6)

2006年08月20日 | 季節の便り・旅篇

 アメリカ滞在もやがて3週間になるという6月の晦日、いよいよ後半最後の旅、Bryce Canyonに向かうことになった。前回の訪米で実現する筈だったこの旅は、同行者の急な病で流れていた。1年半ぶりの夢の実現だった。
 8時50分出発、カリフォルニア州を抜けて、ネヴァダ州を突っ切り、アリゾナ州を経てユタ州南部まで、片道860キロのロング・ドライブである。5号、55号、91号、15号とハイウエーを乗り継いでBarstowに向かう。珍しくトラフィックにも遭わず、順調なドライブだった。
 娘からハンドルを預かり、広大なモハーベ砂漠を70~80マイル(110~130ロ)でひた走った。岩と砂、タンブル・ウイードとメスキートの原野に、ときおりヨシュア・ツリーやサボテンが佇む不毛の大地だが、荒々しいその姿には日本では味わえない原始の美しさがあった。水平線まで続く片側2車線の一本道は、広大なアメリカ大陸を圧倒的なまでに実感させてくれる。時間稼ぎに走りながら食べたお昼ご飯も楽しかった。
 やがて1,300メートルの峠を越え、13時ラスベガスを過ぎる。前回ここを訪れたのは夜だった。真っ暗な何もない砂漠の暗闇から不夜城のように現れた光の海は圧巻だった。それを見せたくて、娘はわざと出発を遅らせたのだという。そして、期待通り私達は圧倒されて言葉を失った。真昼の今日は、44度の灼熱が蜃気楼のように街の姿を揺らしているだけだった。
 ラスベガスからほど遠くないところでトイレ・タイムに高速を降りた。熱波の中でコーヒー・ブレークして休んだ店の隣に、たまたま山岳用品の店があった。娘のリュックが細身の体に大きすぎて使いにくいという悩みがあり、体に合うリュックを買ってやることにした。何もない砂漠の中の小さな店なのに品揃いもよく、たった一人の店員の応対も確かだった。アウトドアが好きなアメリカの人達にとって、こんな小さな町の小さな専門店はそれなりに貴重な存在なのだろう。こうして娘の大きすぎるTimber Land のリュックは私のものになり、私が持ってきたColemanの小さなリュックは娘のカメラ・バッグに変わることになった。そんな道草を楽しみながら、砂漠の道を走り続けた。
 アリゾナ州を経て、15時ユタ州にはいった。右手にZion国立公園の山容を見ながら走り、Cedar Cityの街を過ぎて、17時15分、15号を20号に右折した。89号に乗るとやがてブライス・キャニオンまで30マイルの標識が立つ。標高2,000メートルの高原の風が、外気温を一気に17度まで下げる。Panguitchの街を左折し、12号を東に折れると、突然Red Canyon の赤茶けた威容が目に飛び込んで来た。圧倒されて見上げていると、娘がニヤニヤ笑いながら「ブライスはこんなもんじゃないよ!」という。期待を膨らませながら、18時20分、ようやく公園の入り口に近い宿、Bryce View Lodgeに到着した。ここが明日のトレイルを歩くベースとなる宿である。標高2,300メートル。高原の風が爽やかに吹き、目の前の牧場には牛が遊んでいる。遠くからロデオ大会のざわめきが聞こえてきた。
 近くのレストランで夕食を摂り、山岳タイムに合わせ時差を1時間進めて眠りについた。長いドライブの疲れから、この夜は夢も見ずに深い眠りに沈んだ。憧れのBryce canyonはもうすぐそこにあった。
             (2006年夏:写真:Bryceへの道)

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