峰野裕二郎ブログ

私の在り方を問う

since 2005

人は教えられたように教える

2006年05月21日 | 学校教育
今年1月、長崎市立片淵中の43歳の男性教諭が当時中学3年生の男子生徒の顔をたたき右目にけがをさせたとして、長崎署は18日までに傷害容疑で教諭を書類送検したと5月19日の長崎新聞が伝えています。

記事によると、教諭は1月24日の昼休み、同校体育館で創作ダンスの練習をしていた生徒が規定の体育館用シューズを履【は】いていなかったので注意したが、聞かなかったため平手で殴り、目に約1週間のけがを負わせたといいます。

生徒の家族は、教諭に対する教育委員会の処分が示されないことなどから、生徒が高校に進学した4月に同署に被害届を出したとのこと。
県教委義務教育課は、学校側の謝罪が伝わらなかったようだ。だが、体罰は絶対にいけない。教諭の処遇は刑事処分の結果を待つとしています。
「体罰は絶対にいけない」管理職にある者はみなそう言います。が、それは本心なのでしょうか。管理職にある者は、暴力教師を重宝【ちょうほう】していないでしょうか。

この事件は、生徒の家族が警察に被害届を出したことで教諭の暴力が明るみに出ましたが、生徒を注意して聞かないならば殴るという無茶苦茶なことが学校の中で日常、当たり前のように行われていることを私たちはもっと知らなければならないし、問題にしなければならないと思います。学校の治外法権化はいつまで許されるのでしょうか。

親は育てられたように子供を育てるとも言われますが、教師も教えられたように教えている節があります。
先日、中学生に聞いた話ですが、些細なことで教諭が生徒を廊下に正座させたというのです。

高校時代、生徒が質問に答えられないと授業時間中、ずっと立たせっぱなしの教員がいました。それがどれほど屈辱【くつじょく】的なものか、理不尽なことか私は無言の抗議を1年間続けました。分かっていても、すっくと立ち上がり、一言「分かりません」と言ってそっぽを向いて立ち続けたのです。
ただし、学年も中頃になると、本当に分からなくなりましたそれでも、分かっているけど答えるもんかというような振りをして「分かりません」と立ち続けたのです。なんともいじらしいというか、見事に屈折【くっせつ】したというか…。

しかし、今考えるとむなしい抗議でした。何故なら彼はそのことをよく承知の上で、生徒を立たせていたのです。つまり、彼も子供の頃、そのような目に遭っているはずです。ある意味、それは彼にとっての復讐だったのかもしれません。暴力の連鎖です。なんという不幸な教師と生徒の関係でしょう。

それは数学の授業でしたが、おかげで(?)数学がまったく分からなくなると同時に、数学という教科が大嫌いになりました。また、私の中にある権力・権威のようなものに対し、何となく逆らってしまう癖も彼のおかげかもしれません。

廊下に生徒を座らせる。まるで江戸時代あたりのお上の罪人に対する見せしめではありませんか。顔を平手で殴るのも、かの悪名高き日本陸軍の兵隊がやっていたことです。兵隊の経験のあるご高齢者は、上司の部下に対するその陰湿【いんしつ】ないじめが今でも頭を離れないと顔を曇らせます。

戸塚ヨットスクールの戸塚さんが刑期を終え出所してこられた後の記者会見で体罰は教育だと言われましたが、取り巻いていた新聞記者の誰1人として彼に反論できませんでした。
それは私たちが、体罰・暴力が人をおとなしく服従させる手段として大変便利で有効なものだと心の深いところで学習させられ続け、それをどこかで納得しているからこそなのでしょう。

写真は、再びヤマボウシです。
コメント (5)
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