深浦九段、佐々木新四段他6人でコーヒーを飲みながら時間をつぶした後、頃合いを見てホテルを出た。
佐世保三ヵ町アーケードから四ヶ町アーケードを通り、目的の店まで歩いて15分ほどだ。その間を深浦九段と肩を並べて歩いた。
我が家の次女と三女が小学生の時、たまたま縁があり、佐世保市で「秀楽」という将棋教室を主宰しておられる松山秀樹先生の指導を受けるようになった。それ以来、将棋関係の多くのみなさんたちに親子ともども数々の貴重なご縁を得てきている。特に私は、松山先生によくしていただいた。
深浦九段との想い出は数々ある。
2012年4月1日、佐々町将棋同好会が佐々町農業体験施設で開催した「佐々町将棋祭り」には当時4期ぶりにA級復帰を決められた深浦九段をお招きすることが出来た。準備かれこれ大変だったが、当日は佐々町を中心に県北の将棋ファンにたくさんお集まりいただき、郷土が生んだ偉大な棋士である深浦さんの魅力に触れていただいた。
また、王位奪取記念にハウステンボスで行った祝賀祭では松山先生がドラムス担当、私と有紀さんがギター担当、女房どのとくるみさんがキーボード担当のバンドを結成し「夢をあきらめないで」と「世界に一つだけの花」を演奏したのも嬉しい思い出だ。
しかし、何といっても嬉しい思い出の筆頭は2004年4月7日、当時の深浦康市朝日選手権者が挑戦者に羽生善治名人・竜王を迎えて佐世保・万松楼で行われた第22回朝日オープン選手権5番勝負の第1局だ。
日本将棋連盟の佐世保支部長でもあった松山先生の計らいで、前日の対局室での両者の検分から立ち会わせていただく幸運に恵まれた。
また、前夜祭では有紀さん・くるみさんが両対局者への花束贈呈役を務めるという貴重な体験をさせていただいた。
そして、対局当日朝の対局室での立ち合いの席に着かせていただく光栄にも浴した。立会人の、最近テレビでそのユニークなキャラクターが受けている加藤一二三九段の「始めてください」の声に、両者しばらくの瞑想に入るも、ややあって深浦朝日選手権者の首筋から顎、そして頬のあたりまでがみるみる紅潮するさまを目の当たりにして、棋士・深浦康市の真骨頂を見る思いがしたものだ。