峰野裕二郎ブログ

私の在り方を問う

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兄となる人

2018年01月10日 | 子育て日記

絵理子さんは、今日で長いテスト期間が終了したようです。
昨日、尊敬する指導教官である岩部先生の「英語演習」のテストがあり、張り切って臨んでいましたが、結果は芳(かんば)しくなかったようです。

絵理子さんは、大学に入学して間もなく生活費の足しにするためアルバイトを始めました。料理屋さん、本屋さんと続け3年生になってから家庭教師をやっています。
アルバイトとはいえ、そうそう簡単に長く休むわけにもいかず、また集中講義もあるそうで、夏休みはお盆の期間だけ帰省するとのことでした。

敬愛するボーイフレンドの研二さんは、我が家に遊びに来るのを望んでいたようですが、集中講義があるのと、農業をやっておられるおじいちゃんが倒れられて、そのおじいちゃんの代わりに農作業をやらなければならなくなったことから今夏は無理のようです。

我が家の家族みんなは研二さんの来訪を楽しみにしていて、どこに連れていってやろうか等の話しが出ていただけにみんながっかりしています。
中でもくるみさんは「うめ、来んとー?」と残念がっています。

絵理子さんは別として、研二さんに会ったことがあるのは女房どのとくるみさんです。
昨年の12月、絵理子さんと研二さんの学ぶ大学の付属小学校の研究発表会に女房どのが出席する際、くるみさんは研二さんに会いたいと学校を休んで女房どのについて行ったのでした。
くるみさんは、
それ以来の再会を楽しみにしていたのです。

             2003725日(金)記
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絵理子さんと研二くんは大学のサッカーサークルで出会った。
そのサークルで彼は仲間に「うめ」と呼ばれていた。絵理子さんも彼のことを家族に話す際、そう呼んでいたことから私以外の家族も彼のことを「うめ」と呼んでいた。
その後、2人は結婚することになるのだが、結婚を機に絵理子さんは彼を「研二さん」と呼ぶように改め、みんなもそれに倣うようになった。

くるみさんが女房どのについて研二くんに会いに行ったのが小学5年生の時で、有紀さんは中学2年生だった。それから今日まで2人にとって研二くんは良きお兄さんだ。
特に、くるみさんは進路に関して、分野は異なるものの同じ理系で院から化学メーカーに研究職として採用された研二くんに、折に触れてアドバイスをもらった。

コメント
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