くるみさんの「通信表」です。そのまま再現してみます。
■生活のようす
・気持ちのよいあいさつをし、その場に適した言葉遣いを心がけている。
・学習の準備や身の回りの整とんを心がけている。
・健康に気をつけ、元気に生活できる。(○)
・めあてをもち、最後まで根気強く取り組むことができる。
・係や当番などの仕事を責任を持って、やりとげることができる。
・活動を工夫しながら、よりよい学校生活を送ろうとしている。
・だれとでも仲良く力を合わせて、行動することができる。
・動植物に優しく接している。
・学級や学校全体のために進んで仕事をしている。(○)
・公平に判断し、正しい行動をとっている。
・きまりを守り、落ちついた生活をしている。
■1学期の学習のようす
※各教科別に教科の観点が4~6項目並んで、それぞれに◎(たいへんよい)・○(よい)・△(もうすこし)の評価がつけてあります。
あまり多いので割愛します。
〔総合的な学習の時間〕
「英語学習」に意欲的に取り組みました。難しい英単語も、ケリー先生の発音をよく聞いて自分のものにしていました。
〔学校のようす〕
どの教科にも、興味をもって学習に臨む姿が見られます。とくに、授業で手を挙げることが多く、発表のし方もクラスの模範となっています。また、放送委員会の一員として、朝・昼の放送の仕事に責任ある仕事ぶりが見られました。
■自分で頑張ったこと(本人が書いています。)
5年生になって新しくでてきた家庭科の調理実習で、後かたづけをしながら調理をすることができた。
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一方、有紀さんの「通知表」です。
■学習の状況(各教科別それぞれ4~5項目の観点別評価があります。あまり多いので割愛します。評定だけ再現します。)
国 語(5)社 会(4)数 学(4)
理 科(3)音 楽(4)美 術(3)
保健体育(3)技 術(4)家 庭(4)
英 語(5)選択数学(A)選択技術(A)
■学校生活のようす
・明るく気持ちのよいあいさつをする。(○)
・服装は清潔で、きちんと整っている。(△)
・礼儀正しく、場に応じた言葉遣いができる。
・時間・物を大切にし、忘れ物をしない。(○)
・自他の安全に努め、節度ある生活を送る。
・自己の健康に注意し、体力の向上に努めている。
・好き嫌いがなく、健康な食生活に気をつけている。
・自分で考え、的確に判断する。(○)
・自分の意見をはっきり述べる。(○)
・進んで参加し、適切に行動する。
・自分の役割を自覚し、最後までやり遂げる。
・創意工夫ある学習や生活をする。
・誰とも仲良く接し、思いやりがある。
・広い心で接し、誰にも協力的である。
・動物・植物をかわいがり、自他の生命を大切にする。
・進んで清掃などの作業や係活動、奉仕活動をする。
・公正な態度がとれ、公平に活動する。
・きまりを守り、公共のために役立つことを進んで行なう。
・郷土の文化や伝統を大切にする。
■学校行事
・集団の一員としての自覚があり、自分の役割を考えて行動をする。(○)
・集団におけるきまりを守り、望ましい集団行動を行なう。
〔所見〕
生徒会会計としての仕事に慣れ、てきぱきと活動している姿がありました。学級のまとまりや団結力の大切さを意識しながら大きな行事のある1学期を過ごしてきたようですが、生徒会役員であるために学級内での役割は少なく、一歩引いた感じがすることもありました。少年の主張原稿作成では「主体性をもつこと」テーマにボランティア活動を通して考えたことを書き上げました。学級の一員として、そうした考えをもっと表に出しながら、2学期の学級での活動を盛り上げて欲しいと思います。
以上です。
1968年、日本の国民総生産(GNP)が世界第2位になりましたが、この頃から私たちの国は大量生産・大量消費の時代へと突っ込んでいきます。
それに合わせるように文部省は学習指導要領を改訂します。科学技術の急速な進歩に対応するため、教育内容を増やす方向を打ち出したのです。
しかし、社会の変容とあいまって、子どもたちのさまざまな問題が表面化してきました。「落ちこぼれ」という言葉が流行語のように使われました。
教育現場のゆがみが深刻化する中、当時の文部省は改革を迫られ、1977年に「ゆとり」をうたった学習指導要領へと改訂が行なわれます。それまでの知識偏重の教育が見直され、調和のとれた人間形成が重要だとされたのです。
おそらくこの頃からでしょう、「所見」の欄には生徒の欠点をあげつらうことをせず、いい所を取り上げて書くというようになったのは。
今も先生方は、そのへんに留意しながら差し障りのない文言を一生懸命、捻り出しているのでしょう。
女房どのも、毎学期末になると自宅に通知表を抱えて帰ってきます。
時には徹夜をして記しています。聞くと、やはり一人ひとりに「所見」を書くのに時間がかかると言います。
しかし、その労力は報われるに値するほどのものなのでしょうか。私には甚だ疑問です。というより、その意図が全く理解できません。
2つの「通信表」「通知表」に目を通しての私の率直な感想は「ふ~ん、それで?」といったところです。
2003年7月31日(木)記
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教員が徹夜をしてまで記さなければならない「評価」「評定」「所見」って、いったい何なんだろうと、やはり改めて思う。