今年の全国小学生倉敷王将戦、親の私の不注意でくるみさんを全国大会の場に立たせてやることができず、申し訳ないことをしてしまいました。
ただ、くるみさんがもう少し悔しがるのかなと思っていたのですが、私が会ったときにはけろっとしたものでした。
普段から、それほど将棋に思い入れがあるわけでもなく、何事にも興味があって、今のところ将棋も「何事」の内のあくまでも1つという感じです。私は、それでよいと思っています。
2003年8月8日(金)記
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2002年夏から有紀さんは山形県天童市で開催される中学生の将棋の全国大会へ、一方、くるみさんは、岡山県倉敷市で開催される小学生の将棋の全国大会へ出場するようになった。
2つの大会の開催日がほぼ重なるため有紀さんには私が付き添い、くるみさんには女房どのが付き添うことにしていた。
2002年は何事もなかったのだが、翌2003年に大失敗をしでかしてしまった。
中学生選抜選手権の日程は曜日に関係なく毎年8月の3日・4日と決まっている。ところが、小学生王将戦の方は年によって異なるのをうっかりしていた。
有紀さんと私は、女房どのとくるみさんに見送られ、大会前日の2日の午前中に自宅を発ち長崎空港まで車で行き、そこから空路、東京に出て新幹線に乗り換え天童へと向かった。
その時点では私も女房どのも、王将戦は8月4日開催とばかり思い込んでいたのだ。しかし、実際は3日に開催されることになっていた。
翌3日、博多へ向かう乗車券を見た時に女房どのは大失敗に気付くことになる。
前もって購入していた往復乗車券の往きの日付には8月2日の刻印が記されていた。
もちろん、その時点で大会への出場は絶望的だった。それでも、くるみさんと女房どのは倉敷へと向かった。くるみさんはともかく、親として取り返しのつかないミスを犯してしまったその時の女房どのの心中は察するに余りある。
会場に到着したのは午後2時位だったそうで大会も終盤を迎えようとしていたらしい。関係者の方には、ずいぶんご心配いただいたようだ。
結局、くるみさんは大会に参加できなかった。それでも、プロ棋士の方に2局指していただいたとのことだった。
県大会で並み居る上級生の男の子たちを負かし、頑張って手に入れた全国大会の切符、それを親のせいでふいにしてしまった。本当にくるみさんには申し訳ないことをした。くるみさんの気持ちを思うと、今、思い出しても胸が締め付けられるようである。
それでも、くるみさんは、その日も、そしてその日以降もそれを悔んだり、私たちを責めたり、なじったりしたことが一度もない。
天童から帰って来て、くるみさんに会った際、彼女がけろっとしていたのは、もしかすると、私に対する思いやりだったのかもしれない。