峰野裕二郎ブログ

私の在り方を問う

since 2005

プール

2018年01月21日 | 子育て日記

10日の日曜日から17日の日曜日まで私も女房どのもお休みをいただいています。
休みの朝は、私がコーヒーを淹れている間に女房どのが車を走らせ隣の町の「アップル」というパン屋さんまで、朝一番の出来立てのパンを買いに出かけます。

今朝、寝床から起き出してきたくるみさんに女房どのが訊ねています。
「アップル行く~?」
くるみさん、それに応えて
「行く~!どこのプール~?」

くるみさん、昨日のプール、よほど楽しかったのでしょう。

          2003年8月10日(日)記

くるみさん、寝ぼけてたのかな?
「アップル」が「プール」に聞こえたみたい。

くるみさん、今も仕事の帰りに週に2,3度はプールに寄り、ひと泳ぎしているそうだ。

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親子を楽しむ

2018年01月20日 | 子育て日記

くるみさんは、なかなかの力持ちです。
時々女房どのを正面から抱き、持ち上げています。
女房どのは、何だか変な気持ちなのでしょう。
「気持ちわる~い!」とそれでも楽しそうに叫んでいます。

私も、たまに抱き上げてもらいます。
きょうも、女房どのの次に抱っこされました。
その後、女房どのがくるみさんを抱っこしてやりました。

女房どのと背の高さがそう違わなくなるほど育ったくるみさん、小さい頃から女房どのに抱っこされるのが大好きだったけれど、すっかり似合わなくなりました。

            2003810日(日)記
       ___________________

抱っこして 抱っこされ 親子を楽しむ

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村山聖杯将棋怪童戦へ

2018年01月19日 | 子育て日記

この度、くるみさんには、すっかり悪いことをしてしまったので他に何か小学生の全国的な大会がないかなと探したところ、ありました。
広島で昨年から始まった「村山聖杯将棋怪童戦」です。

「村山聖(さとし)」さんのことは、将棋界のことをご存知ない方でも大崎善生著「聖の青春」がドラマ化されたりしたことで、お聞きになられたことがおありかもしれません。

今年第2期を迎えるようですが、昨年の大会の様子を調べると、東京辺りからの強豪の参加もありました。
みんなに提案すると「行こう!行こう!」と言ったのは、くるみさんではなく女房どのでした。女房どのは、家族でどこかへ出かけるのが大好きです。

申し込みの締め切りが5日で、ぎりぎり間に合いました。ホテルもとることができました。16日出発なので新幹線の切符が多少気がかりですが、まあ何とかなるでしょう。

                  200389日(土)記
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有紀さんとくるみさんが将棋を指すようになる以前、夏休みには熊本・宮崎方面へ家族旅行に出かけるのが常だった。しかし、2人が将棋を指すようになってからは小学生名人戦西日本大会で大阪へ、倉敷王将戦で倉敷へ、そして中学生選抜選手権では天童へと出かけるのがその代わりとなった。

村山聖杯将棋怪童戦は、広島県出身の夭折の棋士・村山聖九段を顕彰するため地元の府中町教育委員会、広島将棋同好会支部、中国放送、中国新聞社が主催し、村山聖九段の師匠である森信雄門下と村山聖さんのご両親が協力しておられる小中高生のための将棋大会だ。

大会前日に広島入りし、先ず、みなで平和公園を訪ねた。原爆資料館を始め、原爆死没者慰霊碑、原爆の子の像などを見て回り、戦争の悲惨さ、そして平和の尊さを改めて噛みしめた。

翌日、中国新聞社ビル内の大会会場を訪ねると、受付には当時まだ中学生だった奨励会初段(現八段)の糸谷少年がいた。将棋を指す人はみんな理系だけれど僕は文系ですなどと、いかにも早熟した才子という感じだったが、人懐っこくて、愛嬌があり、屈託無くあれこれおしゃべりしてくれた。

以前にもご縁があった当時21歳の山崎隆之五段(現八段)とは、谷川浩司九段との対局後に山崎五段がとったある動作がネット上でちょっとした物議を醸していた最中で、そのことを中心にあれこれお話をさせていただいたが、彼の謙虚で、真っ直ぐで、飾らない人柄にすっかり魅了されてしまった。

村山聖九段のご両親の伸一さんとトミ子さんにも親しくお話をさせていただき、ご子息の子供の頃の貴重なお話を伺うことができた。

そういえば、当時小学生だった里見香奈さん(現女流五冠)と菅井竜也君(現王位)が楽しそうに練習将棋を指していたのが印象に残っている。
また、この大会で優勝した当時、高校1年の竹内大吾君(現竹内雄吾四段)は後に奨励会に入り、その後、見事にプロ棋士になった。

ひょんなことから広島へ行く機会を得たが、ここでも素晴らしい出会いがいくつもあった。

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敬くんのこと

2018年01月17日 | 子育て日記

有紀さんは、大会終了翌日から頭痛や食欲がなかったりと体調がすぐれないようでしたが、長崎空港に着き、女房どのとくるみさんの出迎えを受けるなり、すっかり元気を取り戻しました。

今は、2学期の成績が不満だったらしく勉強に精を出すと言っています。
昨日、松山先生からメールが入り、増本くんの決勝と有紀さんの準決勝の観戦記を長崎新聞に書くので、棋譜を記しておくようにとのことで午後、駒を並べていました。

           200389日(土)記
     __________________

当時、松山先生の門下で有紀さんより1学年上に増本敬くんという逸材がいた。
敬くんは、2000年の小学生将棋名人戦で第3位になっている。その時の優勝者が現在プロ棋戦で活躍している都成竜馬四段であり、準優勝者が中村太地王座である。
そして、この年の2003年の中学生選抜の男子の部で決勝に進出、惜しくも優勝は逃がしたものの準優勝を飾った。
高校生となった2006年には全国高等学校将棋選手権大会、全国高等学校将棋竜王戦、全国高校将棋新人大会の3大会を制し、見事に高校三冠を成し遂げている
その後、大学将棋界でも大活躍をした。現在は社会人となり、仕事に精を出しているようだ。

敬くんのお父上とは当時からずいぶんとお世話になっている。現在も、佐々町将棋同好会を支えていただいているお一人だ。
振り返ると、素晴らしいご縁をたくさんいただいてきている。

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ごめんね くるみさん

2018年01月16日 | 子育て日記

今年の全国小学生倉敷王将戦、親の私の不注意でくるみさんを全国大会の場に立たせてやることができず、申し訳ないことをしてしまいました。
ただ、くるみさんがもう少し悔しがるのかなと思っていたのですが、私が会ったときにはけろっとしたものでした。

普段から、それほど将棋に思い入れがあるわけでもなく、何事にも興味があって、今のところ将棋も「何事」の内のあくまでも1つという感じです。私は、それでよいと思っています。

           200388日(金)記
      ______________________

2002年夏から有紀さんは山形県天童市で開催される中学生の将棋の全国大会へ、一方、くるみさんは、岡山県倉敷市で開催される小学生の将棋の全国大会へ出場するようになった。

2つの大会の開催日がほぼ重なるため有紀さんには私が付き添い、くるみさんには女房どのが付き添うことにしていた。
2002年は何事もなかったのだが、翌2003年に大失敗をしでかしてしまった。

中学生選抜選手権の日程は曜日に関係なく毎年8月の3日・4日と決まっている。ところが、小学生王将戦の方は年によって異なるのをうっかりしていた。

有紀さんと私は、女房どのとくるみさんに見送られ、大会前日の2日の午前中に自宅を発ち長崎空港まで車で行き、そこから空路、東京に出て新幹線に乗り換え天童へと向かった。
その時点では私も女房どのも、王将戦は8月4日開催とばかり思い込んでいたのだ。しかし、実際は3日に開催されることになっていた。

翌3日、博多へ向かう乗車券を見た時に女房どのは大失敗に気付くことになる。
前もって購入していた往復乗車券の往きの日付には8月2日の刻印が記されていた。

もちろん、その時点で大会への出場は絶望的だった。それでも、くるみさんと女房どのは倉敷へと向かった。くるみさんはともかく、親として取り返しのつかないミスを犯してしまったその時の女房どのの心中は察するに余りある。

会場に到着したのは午後2時位だったそうで大会も終盤を迎えようとしていたらしい。関係者の方には、ずいぶんご心配いただいたようだ。

結局、くるみさんは大会に参加できなかった。それでも、プロ棋士の方に2局指していただいたとのことだった。

県大会で並み居る上級生の男の子たちを負かし、頑張って手に入れた全国大会の切符、それを親のせいでふいにしてしまった。本当にくるみさんには申し訳ないことをした。くるみさんの気持ちを思うと、今、思い出しても胸が締め付けられるようである。

それでも、くるみさんは、その日も、そしてその日以降もそれを悔んだり、私たちを責めたり、なじったりしたことが一度もない。

天童から帰って来て、くるみさんに会った際、彼女がけろっとしていたのは、もしかすると、私に対する思いやりだったのかもしれない。

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有紀さんに感謝

2018年01月15日 | 子育て日記

9日の平和集会に向け、生徒会でその準備をすることになっているからと有紀さんが登校する支度をしていたので、それではその前に校長先生に大会の報告に伺おうということになり、8:30に2人で家を出ました。

中学校の玄関を入った所で担任の先生にお会いすると「どうだった?」と声をかけて頂きました。
結果を報告すると、それはオーバーなほど驚いて感心されておられました。

校長室で賞状やトロフィーなどを見ていただきました。校長先生は何かの間違いではあるまいなとばかり、賞状を何度も何度も読み返され「全国か、全国で3位か。県で3位ではないんだな」などとつぶやいておられました。

やがて、「いや~、それはすごい!」とおっしゃりつつ、有紀さんを促(うなが)し、職員室へと連れていかれました。やがてパチパチパチとおそらくは先生方の拍手が聞こえてきました。

有紀さんは夏休みに入り、、松山先生から大会に備えたらいいと手渡された本を少しずつ勉強していました。特に4,5日前は塾の時間に合わせて午前中は9:00から正午まで、午後は1:00から4:00まで、夜は7:00から10:00までの毎日9時間インターネットの対局も含めて、短期間ですが将棋に打ち込んでいました。

大会で良い成績をおさめられたことは幸運でした。努力したことが報(むく)われた形になったのですから。
さらに自身以外にそのことを喜び称えてくれる他者がいることを実感できたであろう職員室での一連の出来事は、有紀さんに計り知れない生きる喜びと勇気を与えてくれることになったでしょう。

            200387日(木)記
       ________________

2002年、中学1年生で臨んだ第23回全国中学生選抜将棋選手権大会では予選リーグを見事に突破、決勝トーナメントの1回戦では高知県代表・藤澤香織さんに勝った。しかし、2回戦で愛知県代表の室田伊緒さんに敗れ、ベスト8どまりだった。

翌2003年の第24回大会、前年とは異なり、大会前の短い期間ではあったが有紀さんにしてはそれなりの準備をして臨んだ。
予選リーグを順調に勝ち抜き、決勝トーナメントに進出。
決勝トーナメント1回戦では青森県代表の相馬美咲さんを降した。続く2回戦のベスト8では香川県代表・畑香奈美さんに勝利。だが、準決勝でまたしても室田伊緒さんに敗れ決勝進出はならなかった。
しかし、その後に行われた3位決定戦では大阪代表の山口真子さんに勝ち、全国3位という誰も想像できなかった結果を出して見せてくれた。
決勝は、室田伊緒さんと現在、美人女流棋士として人気の室谷由紀女流二段のお姉さんの室谷早紀さんとの間で戦われ、室谷早紀さんが優勝した。

室田伊緒さんは現在、女流二段のプロの女流棋士として活躍中だ。また、相馬美咲さん、山口真子さん、室谷由紀さんは後に女流アマ名人や学生女流名人などのタイトルを獲得するなど、みなさんアマ棋戦で活躍した。

この大会は毎年、山形県の天童市で開催されている。有紀さんが3年間、その後にくるみさんも3年間、大会に参加させていただき私も同行した。山口真子さんのご家族、室谷さんのご家族とは特に親しくさせていただいたが、いろんな方との交流があり、子供たちのことはさておき、私にとって大変思いで深い6年間となった。


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夏休みをデザイン

2018年01月14日 | 子育て日記

くるみさんは、夏休みに入り将棋と読書と勉強ばかりで、天気のせいもありますが、家の中では腕立て20回、腹筋50回を連日こなすものの外で思いっきり体を動かしていませんでした。

しかし、体がむずむずするのを押さえられずに、一昨日から有紀さんを自転車の伴走にジョギングを始めました。
今朝は女房どのが車で伴走です。私も付き合いたいのですが、その時間が惜しいほど多忙で、ちょっと考えなければならないのかな・・・?

くるみさんは20分ほどして帰って来て、シャワーで汗を流しています。
うらやましいなあ~。

            200381日(金)
       _______________

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それがどうした

2018年01月13日 | 子育て日記

くるみさんの「通信表」です。そのまま再現してみます。

生活のようす
・気持ちのよいあいさつをし、その場に適した言葉遣いを心がけている。
・学習の準備や身の回りの整とんを心がけている。
・健康に気をつけ、元気に生活できる。(
・めあてをもち、最後まで根気強く取り組むことができる。
・係や当番などの仕事を責任を持って、やりとげることができる。
・活動を工夫しながら、よりよい学校生活を送ろうとしている。
・だれとでも仲良く力を合わせて、行動することができる。
・動植物に優しく接している。
・学級や学校全体のために進んで仕事をしている。(○
・公平に判断し、正しい行動をとっている。
・きまりを守り、落ちついた生活をしている。
1学期の学習のようす

各教科別に教科の観点が4~6項目並んで、それぞれに(たいへんよい)・(よい)・(もうすこし)の評価がつけてあります。
 あまり多いので割愛します。

〔総合的な学習の時間〕
 「英語学習」に意欲的に取り組みました。難しい英単語も、ケリー先生の発音をよく聞いて自分のものにしていました。

〔学校のようす〕
 どの教科にも、興味をもって学習に臨む姿が見られます。とくに、授業で手を挙げることが多く、発表のし方もクラスの模範となっています。また、放送委員会の一員として、朝・昼の放送の仕事に責任ある仕事ぶりが見られました。

自分で頑張ったこと(本人が書いています。)
 5年生になって新しくでてきた家庭科の調理実習で、後かたづけをしながら調理をすることができた。

    _________________________

一方、有紀さんの「通知表」です。

学習の状況(各教科別それぞれ4~5項目の観点別評価があります。あまり多いので割愛します。評定だけ再現します。)
 国  語(5)社  会(4)数  学(4)
 理  科(3)音  楽(4)美  術(3)
 保健体育(3)技  術(4)家  庭(4)
 英  語(5)選択数学(A)選択技術(A)
学校生活のようす
・明るく気持ちのよいあいさつをする。(○
・服装は清潔で、きちんと整っている。(
・礼儀正しく、場に応じた言葉遣いができる。
・時間・物を大切にし、忘れ物をしない。(
・自他の安全に努め、節度ある生活を送る。
・自己の健康に注意し、体力の向上に努めている。
・好き嫌いがなく、健康な食生活に気をつけている。
・自分で考え、的確に判断する。(
・自分の意見をはっきり述べる。(
・進んで参加し、適切に行動する。
・自分の役割を自覚し、最後までやり遂げる。
・創意工夫ある学習や生活をする。
・誰とも仲良く接し、思いやりがある。
・広い心で接し、誰にも協力的である。
・動物・植物をかわいがり、自他の生命を大切にする。
・進んで清掃などの作業や係活動、奉仕活動をする。
・公正な態度がとれ、公平に活動する。
・きまりを守り、公共のために役立つことを進んで行なう。
・郷土の文化や伝統を大切にする。
学校行事
・集団の一員としての自覚があり、自分の役割を考えて行動をする。(○
・集団におけるきまりを守り、望ましい集団行動を行なう。 

〔所見〕
生徒会会計としての仕事に慣れ、てきぱきと活動している姿がありました。学級のまとまりや団結力の大切さを意識しながら大きな行事のある1学期を過ごしてきたようですが、生徒会役員であるために学級内での役割は少なく、一歩引いた感じがすることもありました。少年の主張原稿作成では「主体性をもつこと」テーマにボランティア活動を通して考えたことを書き上げました。学級の一員として、そうした考えをもっと表に出しながら、2学期の学級での活動を盛り上げて欲しいと思います。

以上です。

1968年、日本の国民総生産(GNP)が世界第2位になりましたが、この頃から私たちの国は大量生産・大量消費の時代へと突っ込んでいきます。

それに合わせるように文部省は学習指導要領を改訂します。科学技術の急速な進歩に対応するため、教育内容を増やす方向を打ち出したのです。
しかし、社会の変容とあいまって、子どもたちのさまざまな問題が表面化してきました。「落ちこぼれ」という言葉が流行語のように使われました。
教育現場のゆがみが深刻化する中、当時の文部省は改革を迫られ、1977年に「ゆとり」をうたった学習指導要領へと改訂が行なわれます。それまでの知識偏重の教育が見直され、調和のとれた人間形成が重要だとされたのです。

おそらくこの頃からでしょう、「所見」の欄には生徒の欠点をあげつらうことをせず、いい所を取り上げて書くというようになったのは。
今も先生方は、そのへんに留意しながら差し障りのない文言を一生懸命、捻り出しているのでしょう。

女房どのも、毎学期末になると宅に通知表を抱えて帰ってきます。
時には徹夜をして記しています。聞くと、やはり一人ひとりに「所見」を書くのに時間がかかると言います。

しかし、その労力は報われるに値するほどのものなのでしょうか。私には甚だ疑問です。というより、その意図が全く理解できません。

2つの「通信表」「通知表」に目を通しての私の率直な感想は「ふ~ん、それで?」といったところです。

              2003731日(木)記
        __________________

教員が徹夜をしてまで記さなければならない「評価」「評定」「所見」って、いったい何なんだろうと、やはり改めて思う。

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評価の中で生きるのか

2018年01月12日 | 子育て日記

有紀さんが1学期終業式の日にいつものように「通知表」を持って帰ってきました。
長女・絵理子さんの時から15年ほどそれを見てきた私は、そこに何が書かれてあるかほとんど興味がありません。
塾に通知表を持ってきて見せてくれる子がいるので、有紀さんのも塾の時間に他の塾生と一緒に見ることにしました。

ところで、最近、私の周囲の中学校ではテストの成績を積極的に生徒・保護者に知らせようとしません。私は、その意図を理解できずにいます。得点とか順位とか偏差値なんてそれほど意味が無いんだよということならば、中間テスト・期末テスト・実力テスなどやめてしまえばいいのにと思います。逆に順位や偏差値を意味のあるものと考えているのならば、それらを曖昧(あいまい)にすることはないと思います。

テストの問題を作成する労力は大変なものですし、採点するにもデータ処理するのにも相当のエネルギーが消費されます。ただでさえ、教師が生徒と向き合う時間の確保や、授業時間数の確保に学校は躍起になっているのですから、いっその事、テストなんかやめてしまったらどうかと思います。

私の塾では、点数とか順位とか通知表の評定などには必要以上にこだわらないよう指導しています。学校においても会社においても多数の人は、評価の中で生きています。それが習性となった人は、他者にどう見られるかをとても気にします。
「こんなことを言ったら先生にどう思われるだろうか」「こんなことをしたら親がどう思うだろうか」等などです。
その意識は、ことさら「いい子」を装(よそお)ったり、「悪い子」を装ったりすることとなって表れます。

社会を揺るがすような大きな事件が起きる都度、その加害者に対し、よく耳にする「そんなことをするような人には見えなかった」という言葉の意味を、私たちはもっと重く受け止める必用があるのではと思っています。

それはともかく、私は、他者の評価や世間の常識、あるいは国や企業等の言うことに振りまわされるような人生はつまらないと思っています。つまらないどころか、時として、大きな損失を被る事態さえ招きかねません。それは古今東西、歴史が証明しています。
塾生には、何物にも翻弄されることなく、主体的にそれぞれの人生を謳歌してほしいと願っています。

ただ、現実にテストがあり、評価の対象となるのであれば、甘んじてそれを受け止め、それに振り回されるのではなく、振り回してやれと諭しています。
つまり、いい意味で一喜一憂すればいいのです。その人にとってよい点数を取ったり、よい評価を得たら単純に喜ぶのです。その逆であれば気にしないことです。何故、思うような点数が取れなかったかは本人が一番よく分かっています。
それら一切を俯瞰(ふかん)して、楽しめるようになれば、その人らしい人生を歩んで行けるように思います。

そんな考えから、私の塾では学校の定期テストの得点を塾生から聞く際、みんなの前で堂々と得点を言えるよう指導しています。
塾生として、私の教えをきちんと受け止めていてくれているはずの有紀さんですから、テストの得点も担任の評価もほとんど気にしていません。それはそれとして受け止めるという姿勢です。

テストの得点や順位や偏差値や担任の評価に一体どれだけの意味があるのか、有紀さんやくるみさんに関するそれらから、問うてもいきたいと考えています。

              2003729日(火)記

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勝ち負け

2018年01月11日 | 子育て日記

きょう、くるみさんは町内会対抗のドッジボール大会に出場しました。
くるみさんは、さほど得意ではありませんがスポーツが大好きです。

いざ本番。くるみさん、先発出場です。
くるみさんは1度だけボールをキャッチしましたが、チーム共々さほどいいところなく負けてしまいました。
しかし、メンバーチェンジして臨んだ2ゲーム目は勝ち、この試合は得失点差で西町(私たちの住む町内会)が勝ちました。
残念ながらそのゲーム、くるみさんはベンチをあたためていました。

結局、2試合目でチームは敗退しました。
負けず嫌いのくるみさんです。しょげて帰って来るかなと思っていましたが、「ただいまあ~!」と元気な声を響かせて帰ってきました。

スポーツは勝っても負けても気持ちが良いものです。そのことを体得できているくるみさんは幸せです。

              2003727日(日)
        ________________

スポーツに勝ち負けはつきものだ。ただし、そこにこだわり過ぎるとスポーツの持つ楽しさを損ないかねない。
負けを受け止めるのは辛いことだ。けれども、そこを乗り越えることができなければ、スポーツの楽しみを堪能することはできず、真の勝者にもなり得ないと考える。

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