鎌倉のおばあさまから頂いたマントを着て仕事をしている。和服用のマントで毛皮が付いている。昔のいい品物なのであたたかさが違う。それくらい今日は寒い。冊子の編集に入って2日。まだ進まない。今回はレイアウトなど変化をつけているので進まない。誰もどうせ読まないから という考えは捨てた。どうしたら読んででなくても、見てもらえるかになった。「どうせ」の気持ちでは、いつか飽きられる。
少しおかしな話をしてみよう。先日の東京ドームの入場者の名簿は出せるか?おそらく出せるだろう。あのミサに出るには申し込みも必要だったし、入場の際に顔写真入の身分証明書が必要だった。申込みの人物と同じかどうか入場の際に確認された。その参加者のなかに反社会的な人物がいたかどうか?これは難しい?有名人はいたと思う。
思い出すのは「ゴッド・ファーザー」の映画だ。マフィアと洗礼を思い出す人も多いのではないだろうか。もともと「ゴッドファーザー」は「代父」の意味。洗礼を受けるときには、代母や代父がいる。イタリアの教会の記録では、回心すれば洗礼を元マフィアでも受けられるらしい。変な話になったが、毎日、わけのわからないやり取りを聞いていると、人が集まれば名簿は作る。それは来年の参考にもなるので、どこかに残っているのが、世間の常識だ。
キリスト教の宣伝ウーマンではないが、教皇様はバチカンに貧しい人を招いて食事会をした。どこかの国の偉いかたは5000円会費で会食をして、その警備にお金がかかったという。この年末、寒い思いをして過ごす人に、回せないものだろうか?
SNSで家出したいといえば、あっいう間に『泊めてあげようか』のメールが入るという。家出したい気持ちはわからなくはない。当時、上級生や叔母など相談できる人がいたが・・・。『何も出来ないけど、そばに寄り添っていてあげるね』そんなことをいう、安全な大人はいないのだろうか。少しも豊かでない世の中になった。おばさんは何をしたらいいのだろう。