昨夜のU-24のホンジュラス戦も見てしまったし、今朝は大谷翔平君のホームランダービーも恐る恐る見てしまった。特に今朝はスポーツが「息抜き」というような語源からきていることを感じさせてくれた。誰もが楽しんでいる。それでいいのだなぁとつくづく思った。日本のスポーツは楽しめないことが多い。えらい評論家が多いのだろうか。
この時間になると、今日は何をしたのやら?と落ち込む。まぁ、家の中のことはよくやったのでOKとしよう。朝顔も遠慮がちに咲き出したし、蒔いた種や球根も少しずつ生育している。あとは、土をほじりに来る隣のシンちゃん(猫ね)との闘いくらいだ。笑。昨夜読んだ「花の寺」(岡部伊都子著)の随筆に、赤い椿をめでる章で、切り花が町で一切見られなくなった話があった。
戦争中の話だ。花どころではない時代だ。食べられる草花は、食料になったと祖母からも聞いていた。ぺんぺん草のおひたし、タンポポの葉のてんぷらや花の酢の物・・・。前述の岡部伊都子さんは、その折に木に咲く花の美しさが身にしみてわかったという。「あの窮乏の状態、次の瞬間の生命すら保証されぬ、爆撃の下を通過した私たちは、案外その時の体験を官能的ななまなましさで受け取っている」という。それから、素朴な赤い椿が好きになったと。
切り花が消えた時代か・・・。子供のころ祖母はいつも祖父が育てた花を活けていたなぁ。あれは戦争で自死した息子への供養だったのだろうか。この地に来て、道の駅などで200円も出せば花が手に入る。それを3つくらい分けて部屋に飾ることができる。
コロナ、コロナといっても、(戦いとは言われているが)日本は平和なのだと思う。このしあわせに感謝。