昨日の船内の冷房が身体にきいたのか、なんとなくだるい。金・土と忙しかったからかもしれない。今日はおとなしくしようと本を読んでいた。2階のソファーは本読みにはいいが、午後は段々部屋が暑くなる。林真理子著の「下流の宴」を読み終えた。(2009年の毎日新聞掲載)今読んでも、時代に違和感はない。今の20代・30代の若者とその両親の価値観も同じような気もする。
20歳で高校中退のフリーターの翔(無理力・無関心で努力ということはしない)とその母親の価値観。これ価値観は、この年代の母親の最大公約数かもしれない。母親は国立の4年生大学を出ていて、医者の娘、夫は早稲田の理工科卒で一流企業勤務、中流家庭と思っている。ここでいう「下流のひと」とは「貧乏人や高卒までの学歴の者」と彼女は思っている。その息子翔が付き合っていて、結婚したいと連れてきた子は、沖縄出身の高卒のフリーター。母親は離婚後再婚して夫と沖縄で居酒屋を経営している。
そんな感じの価値観の違う家族の生き方や暮らし方がかなり現実に近い感じで描かれている。何処にでも転がっていそうな話でもあり、一部は自分にも近い気がすることもある。この沖縄出身の女の子が翔くんと結婚したい思いで、医者になることを決意する。2年のブランクと高校の勉強のレベルからするとかなり高いハードルだ。ここは彼女の運というか、その生き方から発せられる思いに動かされ、金銭的に応援をしてくれる人たちが出てくる。最後は、彼女は見事に国立の医学部に合格するのだが、努力を嫌う翔君からは遠い存在になったと言われ、別れることになる。
一つ言えることは、彼女の生き方を支えたのは母親であり、そこに流れる見栄でもないただ人としての真っすぐな価値観だったような気がする。そして、想いに向けて努力した彼女の姿だった。
複雑な思いで読んだ。中途半端の自分がいた。もっとしがみつくように努力すればよかった。反省ばかり出てくる。踏ん張れなかった弱虫の自分がいる。
いろ~んな思いもあるけど、私だって頑張った。だから、いまここいるのだ。それで十分だと思う。