朝、ネットを見ると、以前住んでいた神奈川の街が最高レベルの災害警戒区域になっていた。隣の町寄りのところに流れる川は道路からすぐのところにある。そして、熱海では夕方、土石流のニュース。雨が降れば大きな災害が起こる。ここも水が豊かな地であるが、災害が起こればどうなるのか。都市部ではコロナの感染者も増加しているようだ。大谷翔平君の30号がせめてものいいニュースだ。
勤めているわけでもないのに、金曜日は週末で気分をリラックスにと、ざわつく金曜日になる。純粋に声をあげて笑っている。昨日はアイロンがけが残っていたのでそのままのチャンネルにしてあった。イミシンの東京五輪のアスリートはすごいを見た。その時にふと思った。私はこんな状況でオリンピックなんて・・・と思っていた一人だ。でも、もしアスリートファーストの考えで、「アスリートの皆さんや周囲でそれを支えている皆さんが努力してこられてことに対して、少しでも応えられるように、なんとしてもコロナの感染拡大を食い止めて、たとえ無観客になっても開催できるように努力していこうと思います」と初めにこのようなメッセージが出ていたらどうだったろうか。
オリンピックの開催意味は?の問いを改めて考えさせられた。たまたま、以前の(2012年)草サッカーの冊子に特集したスポーツにおける競争性があったのを見つけた。「時間よ止まれ、君は美しい」は1972年のミュンヘンオリンピックの公式記録映画のタイトルでゲーテの言葉の引用とか。
昨日のイミシンの映像で、1歳で水泳の競技の真似をする池江璃花子選手、闘病後初めてトレーニングに戻ったときの痩せたからだ、そんな姿を見たときに、オリンピックは「時間よ止まれ 君は美しい」を汚すものではならないと思うのです。