あと1週間もしないでゴールデンウイークになりますね。そのせいか長浜の町は人出が今一つです。10連休近いお休みのための準備休憩なのでしょうか。貧乏な私は、いかに電気代等を使わずに静かに過ごすかになります。浮かれている場合ではありません。
昨日、医療機関を退職された方がマスクをたくさん届けてくださいました。助かることは助かるのですが、いつまでマスク生活が続くのかなと思います。まぁ、シミやしわが隠せるのでいいのですが、コロナとの共存はずっと続いて、ワクチン接種も続くのでしょうか。医療関係の方たちもなかなか減らない感染者とワクチン接種に追われていることと思います。先の見えないことはつらいことですね。
今日、NHKeテレの『こころの時間』で、「無宗教からから開く大きな物語」ということでした。私たちの生活で「小さな物語」と「おおきな物語」があり、大きな物語の時に宗教が必要になることもあるというお話でした。「大きな物語」とは、例えば、ある父親が7歳になる子供の亡くして、さらにすぐに自分の母親も亡くし、短期間で二つの棺を出したというときは、大きな物語として、日常の神だよりやお寺参りでは済まなくなるということでした。歎異抄のお話になるのですが、キリスト者としての私もよくわかる内容でした。
この不安定な時代だから、迷いながら(迷うのは当然で)自分の生きる道を見つめることが大事だということです。セミは夏に生まれて、夏に死んでしまします。だから、夏という季節しか知りませんね。春や秋や冬を知らずに一生を終えます。私たちも、セミと同じような生き方で人生を過ごすかもしれないのでしょうね。春や秋や冬を知るには悩みながら、それでも自分の生きる道を探すことでいいのだというお話でした。
今日はなにかほっとするお話をお聞きしました。時代をあせってもどうしようもないこと、悩んで迷って当然のこと、そう思えれば、生きることに余裕が出る気がしました。