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あなたに「ぬくもり」を届けたくてブログをつくっています

自利利他

2018-03-17 18:39:27 | 日記

 昨日は体調を崩したのか一日何もしないでぐずぐずしていました。たぶん、疲れが出たのでしょう。今日は、普段どおりの生活に戻りましたが、風邪気味なのか寒気がします。お昼からソファーでごろごろしていると、Eテレで心の時代のの「隠れ病む人々と歩む ブッダの教え自利利他」を再放送していました。カトリック者が見るのもおかしいのですが、教えに通じるものはあります。

 疲れの原因は、精神的なものもあるのかもしれません。私の心をお使い下さい とNPOの仕事などをしていても、何の反応もないのは、つらいこともあります。きっと、心のどこかに何か期待するものがあるからだと思います。それが自分ではいやでした。

この自利利他は、仏教の最高の境地とか。自利は自分のためになること。漢文で読めばレ点を打たず自らの利となります。次が他利とはならないそうです。他利は他人の利益。利他はレ点を打って、他を利する だそうです。そんな説明を聞いていました。自らが幸せでないと人の幸せを慮ることはできない というお話もありました。

 今日は、止まっていたお手紙書きです。お一人お一人にお会いしたころのことを思い出して書いてみました。出会いとは、やはり意味があることなのだ、縁があることなのだ としみじみ感じました。

 

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ときはめぐり

2018-03-16 14:49:14 | 日記

 昨日は母のものわすれ外来の通院日でした。歩くと背中がぽかぽかするような暖かい日でした。お昼に行くファミレスには、ほとんど休まず歩けました。

病気になったことに対して、「なぜ?」自分がとか家族がと思うことも多いと思います。元気で日常生活をし、習い事をしたりして元気だった母がなぜ認知症に?と思いました。それでも短期記憶は保持されませんが、感情や思考はほとんど影響がないので、花をみては喜び、するどい批判もできます。むしろそれが気の毒に思うこともあります。ただ、日常生活はいろいろ出来なくなりました。春らしいセーターが気にいったようですが、着替えでうまくできません。自分のセーターなのをわからなくなるので、洋服には全部名前をつけています。

子供のころ、私の洋服には全部母が刺繍糸で名前をつけていたそうです。下着も前がわかるように前側に花の刺繍をしたとか。今日は「明日、これを着て行ってね」とベッドの横に洋服をおきました。私も枕元に母が用意してくれたことを思い出しました。

今日の新聞の折々の歌に「あなたが、か弱い足で立ち上がろうと私に助けを求めたように、よろめく私にどうかあなたの手を握らせてほしい」という、ポルトガル語で書かれえた作者不明の詩に、シングソングライターが旋律をつけた曲「手紙~親愛なる子供たちへ~」の紹介がありました。無邪気に外出を喜ぶ母の姿にこの詩が重なりました。

 

  

 

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しあわせですか

2018-03-14 22:29:16 | 日記

 あっという間にこの時間になってしまいました。暑いくらいの日でした。頭がフル回転しないと用事が終わりません。脳みそのキャパシティが小さくなったのでしょう。
  マザー・テレサの祈りというものがあります。私の好きな祈りです。最後が「主よ、今日一日、人は人であるという理由だけで どんな人でも愛するために、わたしの心をお望みでしたら きょう、私のこの心をお使い下さい」です。他の言葉では「手」「足」「口」をお望みでしたらお使い下さいです。                 

 この頃、ふと母は幸せだったのだろうか? と思います。50歳までは家事に追われ、50歳の独立宣言で、習い事を始めました。まず、パンの花でした。免状を取って、家を直し、教えだしました。あのころが、きれいでいきいきしていた気がします。この頃が、幸せだったのかな? と思います。そんなことを思うと、周りの人たちが、幸せなのだろうか? と考えます。いま、仕事も家庭も充実していていきいきしているだろうか?と。そして、しあわせであってほしいと思うのです。
 今日は、お茶のお稽古でした。お薄だけでも、うつくしいお点前を極めたいと思うのです。何もかも忘れて、その瞬間を楽しむそんな空間のお点前ができたらなぁ と思うのです。私の手と足と口と心をお使いくださいと、人の幸せのために生きたいと思う1日でした。
                 

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 シルク・ドゥ・ソレイユ

2018-03-13 22:05:51 | 日記
 
Weblog / 2018/03/13

 目が覚めると春が来ていた。そんな感じの一日の始まり。部屋に飾った水仙の香りが漂っている。昨日は、バスツアーでお台場までシルク・ドゥ・ソレイユの キュリオスを見に行けた。

 サーカスを超えたサーカスというよりは、生演奏、衣装、舞台装置、振り付けとすべたにわたり芸術性に富んでいる。そのコンセプトもすばらしい。そして、人間の限界に挑むようなパフォーマンス。そうかとおもうと、ファンタスチックな指だけを使った詩的な演目。懐中時計化したヨーヨーをさまざまな方向に回して操る。
 案内によると「欧米では、11時11分になると「Make a wish!」とツイートしてお願いごとをする人が多いという。1が並ぶ「11:11」という時間は偶然が重なり合うような幸運な時間といわれている。『キュリオス』は、舞台後方の壁にかかっている時計が11:11の時を刻むところからスタートし、11:12になる頃には現実に帰るという設定になっている。」まさに公演時間は夢のように過ぎていった。

 家に帰ると、信じられないようなニュースが報道されていた。時間を最初に戻してほしいようなおかしな話だ。ないものが出てきたり、キュリオス顔負けの事件だ。でも、キュリオスのパフォーマンスは命がけだ。真剣勝負でうそがない。まやかしのマジックとは違う。
 確か経営書だと思うが、「グローバル化は日本人から『品格』を奪ったのか」というタイトルがあった。企業の劣化が嘆かれ、さらに劣化したのは政治家・官僚であると記されている。


 

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 震災の日に思う

2018-03-11 23:49:33 | 日記
 東日本大震災から7年。TVでも追悼や復興関連の番組が多かったようです。宮城のサッカー関連のお友達の中には、まだ仮設住宅におられる方もいます。春の山菜採りや魚釣りもまだ躊躇われると福島の方は言います。なんでもない暮らしがもどっていません。子供たちは、津波などのあまりのショックでその前の記憶がなくなってしまっていると言います。母親は、家屋などがないよりもその記憶がないということが悲しいと言います。思い出の写真もないので、震災前の記憶は完全に消されてしまうのではないかと。

 人間の身体は不思議なことが起こるようです。お友達はご主人にいつも怒鳴られていて、食卓ではご主人が右側に座るので、右の耳がよく聞こえないと言います。信頼していない歯医者さんで麻酔が効かなかったと言う人もいます。精神が身体に与える影響は、科学では説明できないようです。

 春らしい陽射しの中で、家の掃除をしてから、きものを出して着てみました。なんと平和なのでしょうか。普段着ていないので時間がかかります。30年以上前に教えていたときは、10分で着ていました。忘れていたことを一つ一つ思い出しながら、着てみました。3回目に上手に出来ました。

 思えば、女の厄年33歳から35まではたいへんなときでした。病気、入院手術、退職、独立、友達の借金を背負い、昼夜働きました。それでも、着付けは続けていました。だから、いまきものを着ることができることは、このうえもなくうれしいことです。いつか身につけたことは世に出ることもあるのですね。

 

 
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