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あなたに「ぬくもり」を届けたくてブログをつくっています

それはダメ!ね

2019-09-17 18:36:51 | 日記

夕方の風が心地よい。散歩に出たくなる。なんとなく昨夜からすっきりしない。こんなときはすこしじっとしているほうがよさそうだ。TVでも防災対策を紹介しているので、少しずつ揃えてはいるが、整理がつかない。「どこへ置いておこう?」時々家を眺めては、瓦は間違いなく飛ぶだろう、玄関の戸は風で割れるのではないか、など考える。私らしくなく用心をしている。

先日の大会では、温泉のある宿泊施設にあるチーム(ある人から)からご招待を受けていた。毎年なのだが、昨年は風邪気味で咳が出るので同じ部屋の方に迷惑がかかるからとお断りをした。それを1年間文句を言われた。今年はお付き合いもあるのでお願いすることにした。でも、会場から車で行く遠い場所なので、取材に影響がでる。そのチームの面倒を見ている女性が同室なのだが、チームの選手の奥さんが2組子どもを連れてきたので、その人たちと一緒かおじいさま2人と一緒の部屋だ と言う。若いお母さんと子ども達よりおじいさまのほうがいいと彼女は決めました という。えっ!

即答はせず、まずホテルの部屋の確保。いつもご一緒するチームにお願いした。わけを話すと「そりゃ、セクハラだな」との声も。ご招待でもダメはダメ。おじいさまでもダメはダメ。まちこさんを知らないのね、だった。好意のある人とでなければ、ホイホイと食事にも行かない。その一線は超固い。ましておじいさまで同じ部屋なんてとんでもない。

きちんと手土産を持参して丁重にお断りした。もうこれでお誘いはこないだろう。ひとりの支援者を失うがそれでいいと思う。ばれなきゃいいだろうなんていうことはない。これは不思議と伝わるのだ。(恐いことに)この年でも、どうも固くていけないが、これが私の生き方だから。

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まんげつにおもう

2019-09-16 19:03:25 | 日記

1日半の取材が終わった。今朝は近くの神社のお祭りの後片付けで8時集合。女性6人は、提灯の片付けとお茶入れくらいしか仕事がない。それでも、初めての経験で興味深かった。1年に1回しか使わない提灯には防虫剤を入れる。神社では女人禁制の場所もあり、片付けられない提灯もある。神事に使った笹などは一般ごみとは別の出し方をするなどなど。9時に提灯の片付け終わり、お茶にして終了となった。6人全員「やったね」という感じでにっこり。短い時間だったが、地域の方と触れ合えて嬉しかった。午後に、お供えのお餅とお米を届けてくださった。ああ、長浜に引っ越してきて、老後を過ごすのにはいいなぁ と思った。

取材は1日半で20000歩以上歩き、撮った写真は300枚近く。それも1日に集中していたので、今日はなにもしたくない。特に今回はご挨拶しなくてはならない方も多く、ハードだった。さすがに帰りは特急料金を出して「しらさぎ」で帰宅。長浜の駅では満月が見えなかったが、自宅の近くで昇ってくる月が見た。それ!、写真を と思うと、そうでした、カメラは電気切れ。自宅へつくや否や充電。大家さんの家の屋根に月がかかる前だった。ぼけてはいるが写真が撮れた。嬉しかった。

「なにがそんなにあなたを動かしているのでしょうね?気力だけで動いている気もしますが」と取材中に言われた。うう~ん?これは母譲りの性分かもしれない。私にとって大事なことは別にあるし・・・・。頭のてっぺんから足の指の先まで同じ色の気がする。そして、最近はだんだん力が抜けて言葉がころりとこばれる。人間、正直が一番かもしれない。敬老の日。私も祝ってほしいなぁ。

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樹木希林 どうか生きて

2019-09-14 07:55:50 | 日記

お月見のお供えをした窓から月が見えた。大家さんの屋根と屋根の間に見える。贅沢な時間だった。さわやかな秋晴れの日、今日は取材に出かけなくてはならない。最近主催者側から、「今回はいらっしゃいますか?」のメールが届く。小さな小さなは発信媒体だが、そんな声がかかるのはうれしい。

昨夜のNHKで内田也哉子さんが樹木希林さんを語っていた。明日が1周忌という。もう、そんなに経ってしまったのか。マスコミや本でその姿(写真)を拝見することが多いので、間近に感じている。彼女の残したものの大きさをつくづく感じる。也哉子さんのお話をお聞きすると、若いころからしっかりとした信念で生きておられた。今風にいえば、半端ない生き方だ。

希林さんが9/1に「死なないで、どうか生きて」と窓の外を見ながらほつんと言われたという。9月1日は学校が始まる日で、この日は自殺が一番だということが、也哉子さんは知ったという。不登校の子供達へのメッセージだ。希林さんは「人と自分とを比べない」という生き方を自らも也哉子さんにも伝えていたという。その子育ては、普通の人にはまねできないだろう。

考えれば、人の人生なんて「人と比べる人生」でなりたっている気もする。オギャーと生まれたとき、「おっ、隣の男は俺よりハンサムだ。いい服を着ている」なんて思うはずがない。人はいつから「比べる」を身につけるのだろうか。家庭で保育園で・・・。それを修正するのはやはり「家庭」なのだろう。それでいいじゃyない、すこしぐらい鼻が低くても、ぶつかりにくいわ、なんていう価値観が育てられればいいのだろう。価値観のゆがみを自分で修正する力を身につけさせるのが親の役目かもしれない。

親は「差別」「比較」を作ることはするが、修正しようとはしない。そして、親自身も差別を比較を持ち続けて生きている。希林さんの残したものは大きすぎる。「どうか、生きて!」

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うそつきはだまされない?

2019-09-13 18:30:12 | 日記

朝は寒くて掛け布団を探した。半そでがひやひやする。最近得意科目になりつつある(と思っている)掃除をして満足。昨夜から電気が通じましたのメールが入る。お見舞いのメールも忙しい。用事で草津まで出かける。車窓から見ると、線路脇にススキがあるので、採りたいなぁ と思うが・・・。

「年を取るとうそをつかなくなるから、騙されやすい」と何かの番組でいっていた。そうか、たしかに年をとるとうそをつく機会が減るのだろう。家庭内のささやかなうそはあるかもしれないが、へそくりをするほどお金も余らないし(普通の家庭では)、浮気のいいわけもないし、仕事のしていなければさらにうそをつく機会がない。なるほど、そうなると人はうそをつかない と思うので騙されやすいのか。

お友だちのお母さまも亡くなられる直前に子供達に話していなかったことを話した。騙し続ける力がなくなるのか、やはり真実は告げた生きたいのか。なかなか墓場までうそを持っていけないようだ。あまり、うそをつかずにきた私は、それで騙されやすいのか。騙されていない と思っていたが騙されていたことはあったのかもしれない。まぁ、それはそれでいいと思う。今、ついているウソは墓場までもっていけるだろうか。でも、年をとると、本当もうそもごちゃごちゃになって本当になるかもしれない。

お月見の飾りをしようと、花屋にいった。何も秋らしい花はない。あと1時間でくるという。仕方なくお団子だけを買いに行くことにした。通り道の家の外にススキと萩の花がバケツに入っていた。えっ!どこで採ってきたの?と聞くこともできず、お団子屋さんへ。あった!先ほどのススキと萩が!お団子を買いに来た人に分けてくださる。何とラッキーな。

「猪がでるという山でススキも萩も(あなたへ)採ってきました」とうそを と思ったが、まぁ、うそのつけない私でした。

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生き抜く本能は

2019-09-12 18:33:41 | 日記

目が覚めるとひんやりしている。窓を開けると秋の風が入ってきた。早起きできたので、あさドラを見たら、萩の花がみごとだという神照寺に行こう!歩けるか?25分くらいはかかりそうだ。パソコンを開くと、千葉と神奈川のサッカー仲間の台風の被害が入ってきていた。

千葉も神奈川も風の被害がひどい。屋根が飛ばされたり、風で木が倒れたり、とくに海よりの所は大きなコンクリートの塊まで飛んでいる。千葉では停電を間逃れても、コンビにはないもないし、ガソリンも10リットルしか買えないという。やっとWiFiがつながったが不安定だという。スマホは圏外のままだという。神奈川では裏山が崩れ道が通れなくなり、さらに停電。家からは斜面なので下の家にはしごを使って順に降ろしてもらったという。海よりの工業団地は防波堤が破壊され浸水、あらゆるものが散乱していると言う。

ご高齢の方たちは、暑さにどう耐えたのだろうか。千葉の方は、田舎は近所が近所でないという。祈ることしかできない。さすがに私も水や電灯、卓上コンロなど準備をした。もっと大きな冷凍室がないと大変そうだ。電話もスマホも通じなかったら・・・。私などは独り者だから、無事も無事でないも連絡しなくてもいいが、それでもやはり困るだろう。

こうなると知人は言う。「まちこさんは本能的な能力が発達しているからいいわよ」と。確かに、カンはいい。危険察知能力というのか。親しい人への連絡は取れる気がする。もちろん、かなり集中しないとできないが。おそらく相手の危機もわかるかもしれない。(おかしいというくらいだが)普段から、野生児のように(野生ばばか)暮らすことも必要だろうな。

神照寺まで地図も持たず、記憶を頼りに歩く。陽射しはあるが涼しい!最後で道を間違えて寺の裏から入ったが、萩の花をたくさん見ることができた。寺は荒れていた。拝顔したかった仏さまには会えなかった。「歩く」ことかもしれない。自転車や車で見逃すものをたくさん発見できる。伊吹山の方角で位置を確認できる。たぶん、私が勘がいいのは子供のころ時から一人で遊びに行ったからではないか。そう、「野生児」だった。

生き抜く力はこの「火の車」(唯一の車の)の生活かもしれない。

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