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あなたに「ぬくもり」を届けたくてブログをつくっています

なぜかこころの通訳

2020-11-13 19:46:37 | 日記

今日もあたたかい。時雨れなければ過ごしやすい。「ああ、金曜日か!」と思う。1週間が終わり、さびしい週末になる。今日は陶芸だ。また、鐘にさくらを彫り込むので、先生はお暇で植木の手入れをしている。穏やかな日だ。

先日、結婚51年、まったく共通の話題がないというご夫婦のところへ遊びに出かけた。ご主人とはサッカーの関係で長いお付き合いになり、年に2回はサッカー仲間が集まるので、奥様とも仲良しだ。101歳まで長生きをされたご主人のお母さまが亡くなられ、やっと二人でのんびりもつかの間、ご長男が転勤で単身で帰ってきた。毎朝、お弁当を作る日々になったという。さらにコロナで近所に住む次男が在宅勤務で、お昼を食べに来るという。それでも、ご長男がいるのでなんとか話題があるという。二人だと何も話すことがないそうだ。それで私にも「遊びに来てください」となる。まぁ、二人の通訳をしている感じだ。同じ話題でも、まず意見の一致はありえない!でも、みていていいご夫婦だ。うらやましい。

そんな折、今日は例のセミプロのオペラ歌手の娘さんとお母さんの通訳だった。なにしろ母親の心ががちがちだ。どうしてそんなにきつく言うのかな?と思う。でも、分かることは彼女はさびしいのだ ということだ。3人で昼ご飯を食べた。久しぶりだという。二人とも元気に食べること!娘の言いたいことを上手に母親に、母親が本当はさびしいことを娘に、さりげなく伝える。あちきは伝書バトかいな。

今日は疲れたなぁ。誰も私の気持ちを伝えてくれる人はいない・・・。でも、私たちはだいじょうぶだろうな。

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ばれなければいい!?

2020-11-12 15:41:03 | 日記

穏やかな日だ。郵便を出して、家に戻ると家じゅうが「ゆず」の香りがする。100以上はある柚子が栃木のおじいちゃんから届いた。90歳の現役のシニアサッカーマンからだ。90歳のバースデーカードのお礼らしい。気持ちが豊かになる。そう、昨日も街を歩いていると、川面には真紅の落ち葉が浮いている。うつくしい。ふと、「たらちねの峰よりおつる・・・」と歌を思い出したが、どうもおかしいのでネットで引くと「筑波嶺(つくばね)の峰より落つる男女川(みなのがは) 恋(こひ)ぞつもりて淵(ふち)となりぬる」だった。垂乳根は母にかかる枕詞、おかしいわけだ。そうね、こひぞつもりて淵となりぬる だわ。

ぶろぐは“yuzunoki"だ。「柚子の木」にしたのは意味があった。前に書いたこともあると思う。ビックコミックの「家栽の人」(家庭裁判所裁判官の桑田義雄が、少年審判家事審判を解決していく話を中心に人間の心情を描く物語。その話は必ず植物(特に)とどこかでリンクする。)に「柚子の木」が出てきた。「柚子の木」は自分のために植えるのではなく、子孫のために植えるのだ という話だった。「桃栗三年柿八年ゆずの大馬鹿十八年」と言われている。それが印象に残っていて、メルアドやウエブには「yuzunoki」を使っている。私の実は、永遠にならないかもしれないが。

今日は、また意地悪をした。個人事業主で、社会貢献ともいえる仕事をしている人が、申告をしていないので、経理を教えてほしい という。それは、利益が出てきてまずいから という。10年間の社会貢献と自慢している事業で、「税務署にわからなければいいから、申告しない」とでたらめな資料を送ってきた。初めは、みて差し上げようかと思ったが、やはり根本的なところが許せない。事業をする資格がないと思う。本当はいけないが、申告を少しずるするくらいなら・・・だが・・・。送られてきた資料を直して、資料を入れて送り返した。いずれそういう気持ちだと面倒が出るだろうから、逃げるが勝ちかな。

さて、これからゆずジャム作り。死にそうな量だ!でも、家じゅうゆずの香りはうれしい!

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信じていてよかった!

2020-11-10 19:23:27 | 日記

一晩中雨が降っていた。寒い朝だった。今日も時雨れるようだ。温かくしてお友達と佐川美術館へ「平山郁夫」悠久のシルクロード を観に出かけた。佐川美術館は、守山市の琵琶湖大橋から近いところにある。佐川急便が創業40周年の記念事業の一環として開館したそうだ。水庭に浮かぶ建物は、切妻造りの平屋だ。琵琶湖の景色とも調和して、何とも美しい。通常でも、平山郁夫の作品は展示されているが、今回は全国から集められた作品が展示されていた。コロナウイルスの影響で、入場人数を制限しているので、ゆっくり鑑賞できた。砂漠がなぜかあたたかくみえる。そして、あのうつくしい空の色!

そんな鑑賞の時間に電話が2件入る。気になる人たちからだ。一つは、クリスマスコンサートを企画している、セミプロのオペラ歌手の子からだ。うまく進んでいる報告だった。彼女と親しくしているテノール歌手の男の子と1時間のショーを作る。1年間、二人は海外のプロの先生についてレッスンを受けている。彼のためのレッスンだという感じだった。その彼が先生にとても褒められたという。二人とも精神面で問題のある人たちだった。特に彼のほうは・・・。

「彼を信じてパートナーシップを組んでいてよかった!」と。彼女は喜んでいた。周りの人たちの心無い発言でとても苦しんでいた。「信じてそばにいてあげて」としか言えなかったが、彼女の言葉でほっとした。

そして、悩んでいた91歳になるおじいちゃんからの電話だった。ガチャンと(とは言わないが)電話を切られてから、同じようにメールやお手紙を送っていた。そして今日、何もなかったように電話があった。よかった!

「信じて待つ」そのことが大事なことを感じるこの頃だ。佐川美術館の帰りの電車から大きな虹を見た!「希望」と題してメールを送った。信じている人に。

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立冬も過ぎて

2020-11-09 18:14:02 | 日記

金色の衣を身にまとっていた神社のイチョウの木があっといまに寒そうになってしまった。今年の秋は早い。そう、7日が立冬だった。山もグリーンの衣に真紅の絵の具が塗られていく。3日ぶりにFacebookを開くと、冬支度をしているという記事があった。最近はFacebookも開かない日が多い。サッカー友のニュースで、サッカー以外は、Go TOトラベルでご家族と出かけている写真が多い。豪華な旅行ばかりだ。

今日も時雨ている。春に咲かせる球根をいよいよ植えなくてはならず、土を買いに行った。ホームセンターは、やはり冬の準備か混雑している。ああ、冬か と思う。この冬は動きが止まったら、何をしよう?NPOの仕事をやめると、自分は何をしたらいいのだろうか。決めていたけれど、NPOと同じように自分だけが必要に思っているだけのように思える。ただの自己満足でしかないように思う。

母が言っていたなぁ。小規模多機能住宅へデーサービスで行っているころだった。「年を取ると、生きていくのは大変だねぇ」と。認知症ではあったが、考えはしっかりしていた。デーサービスでは、台所仕事を手伝ったり、みんなにお習字を教えたりして、十分にお役に立っていた。それでも、母は「温泉に行ってのんびりしたいねぇ」とも言っていた。最後まで、頑張っていたのだろう。

ふと、「生きていくのは大変だねぇ」という言葉を思い出した。私の存在意義は何なのだろうか?ただ、なにもしないで窓辺に座っているおばあさんでも、それだけで存在価値があるのですよ そんな言葉もあった。

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コロッケの思い出

2020-11-08 17:39:44 | 日記

昨夜の雨で地面がしっとりとしていて、空気があたたかい。日曜日の朝、1週間で一番早起きをして教会へと向かう。教会のごミサの準備を与かった。少しだけ、神さまに近づけた。

今日は、夕飯のおかずはコロッケと決めた。「昭和の食卓」を見て献立を決めている。子供のころ、コロッケは家で作らなかった。本には手間がかかるので家庭では作らなかった とあるが、わが家でははるかに手間のかかる料理をしていた。コロッケは「洋食」だったからだろうか?コロッケは肉屋さんへ買いに行った。弟と二人で、お肉とコロッケを頼まれて買いに行った。家族の人数分プラス1個多かった。その1個が弟と私のお駄賃だった。八百屋さんや魚屋さんは、品物がわからないので、頼まれなかったのだろう。でも、お豆腐屋さんへも買い物に行った。よく「金魚の○○」のようだと母は弟のことを言っていたが、いつでも弟は私についてきた。

前にブログに書いたが、もと夫は来客の時に「コロッケ」をリクエストした。もちろん、普段でも好きだったが。手作りのコロッケがいいと言っていた。彼もまた、子供のころ、肉屋さんのコロッケを買って食べた派なのだろう。洋食と言えるかどうか?だが、昔、家で作った洋食はカレーくらいの気がする。クリームシチューのようなものもなく、しょうゆ味のシチューだった気もする。

夕方、買い物に出ると真っ赤な太陽を見ることが出来た。子供のころ、広っぱで遊んでいて、夕方になるとこうもり?が飛び出した。そして、子供たちは家に帰った。そんな懐かしい風景とベトナムにいる弟のことと肉屋さんのコロッケの味を思い出した。

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