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あなたに「ぬくもり」を届けたくてブログをつくっています

大きな志のために 小さなエゴを捨てる記念日

2024-02-23 18:36:43 | 日記

極寒の一日。どこにいても寒いので、炬燵にもぐりこんでいます。顔だけを出してTVを見ていました。ウクライナ家族の戦場・NHKです。この戦争がいかに理不尽な戦争だったのかすら薄らいで、ただの戦争になりませんように。

それは長いトンネルでした。でも、抜けると雪国ではなく、あたたかい国でした。「いやなものは嫌なのだから、そこは譲れない」と、それこそ理不尽に思うことからは逃げてきました。「もう、いやだ」と。でも、それでは、自分の思うことを(強く望むことを)諦めてしまうことでした。多くのことが誰かのためであり、よりその人が心安らかに生きていってほしいという願いからでした。特に、将来を担う子供たちには、明るい未来であってほしいと。子供たちに寄り添いながら、ドロップアウトした子には何とか元の道へ戻ってほしいとなど。シニアサッカーの仲間でも、がんと闘う人たちにはピッチで会いましょうと・・・。その根本は、どの年代でもかわらず、どの仕事でも変わりませんでした。ただ、そんな生き方は、誤解も多かったです。

今回は、子供ために逃げてはいけないと思えたのです。自分のやりたいことを勝手な方向に変えられても、子供たちに対して、自分は同じ位置にいようと。だから、私は「それは違うわ!」という小さな私のエゴを捨てました。それよりも目を向けないといけないのは、子供たちなのだと。

その考えは、ないごとにも通じました。つまらない自己のこだわりで生きてはいけない、大きな望む・目的のために生きようと。

今日は、すっきりして逆に疲れが出てしまいました。私がエゴ(自我)から解放された日です。同じ花瓶の写真ですが、角度の違うところからみたら、指が向かい合っていました。作成した時の想いがよみがえりました。

自分の暮らしも大切に、そして、この自然豊かな滋賀で生きていきたいと。

 

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私は陶芸家だった!不思議な物語り

2024-02-21 18:53:44 | 日記

朝の気温が13度、今は14度。一日気温の変化がありません。寒くはありませんが、(やや肌寒いかも)雨降りです。昨日も今日もとなると、気持ちも曇りそうです。(雨は降りませんが)

今日は陶芸教室ですが、もう制作することもなくあとは焼きあがるのを待つだけなので、お休みしいました。でも、工芸教室にお茶できるスペースもあるので、主とお話しに出かけました。主はそれこそ何でもできる人で(芸術に関することは特に)コーヒーもサイフォンで入れてくださいます。お茶をしながら、彼女の工芸館を閉めるにあたって思いを(悩み)を聞いていました。二人の話は空間を飛ぶと彼女は言います。ほかの人にはわからないという意味です

   心を込めたコーヒーです。

30年間、ご主人を亡くされてから、あれこれ考えながら利益を度外視して運営されてきました。この地の一つの文化です。その思いを断ち切れるわけがありません。

主に届けたのが20年以上作っている冊子「いのち」です。2008年頃のものです。よくもこんなにてんこ盛りの冊子を2か月に1回発行するなんて!すごいなぁと自画自賛。でも、読まれない記事も多かったのではと、自己満足に反省です。その中に「怜子断章」という親友と私が二人で書いた昔、昔の恋のお話をストーリーを変えたものです。1回ごとに、女性と男性に立場で彼女と交互に書きました。彼女が女性、私が男性でした。その女性が私がモデルでした。大学2年の時に、父親を亡くして、故郷へ帰り家業を継がなくてはならず、彼の元から去るという設定です。その時に、別れる前に彼の子どもを宿そうとしたのでした。(彼にはないも言わずに)そして、黙って故郷へ帰り子供を産んで育てます。彼は当然必死で探します。過激な話でした。笑。

そして、20年の月日が流れ去り、二人が巡り会うチャンスがきます。まぁ、ここで、びっくりしたのは、彼女の仕事は陶芸家でした。古美術店の経営傍ら。えっ!そんな話だったの??と私もびっくり。あのころ、陶芸のとの字もなかったのに、なんで?「ソルジェの海」という「青」の色がとそのネーミングで彼が彼女と気が付くのですが・・・。

あれからそれこそ15年くらい「陶芸」なんて考えてもなかったのに。どうして、モデルの私は陶芸をしていたのかしら??彼女の設定でした。不思議な話でした。残念ながら、最終回の冊子のデータがないのです。彼女は覚えているだろうか?

このコーヒーカップのブルーかしら?なんて思いました。私の書いた彼は、大事な人にそっくりでした。(生き方がね)

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玉手箱は開けてはいけない

2024-02-20 17:27:32 | 日記

今日から1週間スクールガードはお休みにしました。調度(では変ですが)、足の踝の外側が痛く、どうも歩きすぎのようです。用事をたしに行くのも、自転車にしました。外に出ると生暖かく感じるのが、気持ち悪いです。

今日は、身辺整理と、引き出しの中などの書類の整理をすることにしました。1年分の領収書などで、古いものを捨ててきます。だいぶたまっていました。そして、書簡の整理です。筆まめの方も多く、サッカー仲間からもプレイべートのお友達からもたくさんのお手紙とはがきです。整理しているうちに、胸がつまってきました。この字はだれだれさんだ、この絵ハガキはだれだれさんだと10年もお付き合いをしているとわかります。こんなに多くの方と知り合うことができて・・・。

大事なパスワードのメモなどが入っている引き出しから、母の手紙が出てきました。荷物と一緒に来たのか封筒はありませんでした。まだ、認知症が初期の頃でしたのでしょうか。7月17日の朝。書類が来ているので、私に書いて出してほしいということでした。なぜ、涙が出てくるのかわかりません。今年は5回忌の母。一緒にいることは少なかったのですが、何かの折、助けてくれた母の姿を思い出します。

パソコンを新しくするので、写真も整理しました。家族の写真は少ないのですが、シニアサッカーの仲間の写真はたくさんあります。こんなに思い出を撮っておいてはいけないわ・・・。

坂本龍一のピアノ曲を聴きながらの作業。思い出の箱は開けてはいけない、と思いました。大事なものがたくさんありすぎます。そう、写真のデータが消えてしまったのに、覚えているシーンもたくさんあります。「雪の写真ばかりだと寒そうで寂しくなります」という言葉が蘇ります。

大磯のマンションの庭を掃除する母の写真がありました。そして、母が大事に管理してくれたお雛様です

 

 

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そらにほしがあるように ちいさなゆめ

2024-02-19 20:26:04 | 日記

夕方、買い物に出ると空に穴が開いているような空間がありました。もう6時を過ぎているので、田舎の空は暗くその空間が破れたようでした。

  空に星があるように 浜辺に砂があるように

  僕の心にたった一つの 小さな夢がありました

好きだった荒木一郎の「空に星があるように」です。たった一つの夢ではないですが、2年かけて結んできた子供たちとの小さな夢がありました。それが全く違う方向に飛んで行ってしまいました。強くなった私ですが、さすがに今日は何もやりたくな状態でした。

夕食も作りたくなく、どこかの家のようにセブンのもので済ませることにしました。その買い物の時に見たのが、破れた空の空間でした。あんなに大きな破れではないけれど・・・。

自分が大事にしてきた夢が破られる悲しみを思い出しました。塾で子供たちのためにと大事にしてきた教室が元夫と彼女によって汚された気がした時でした。(そんなことを思い出してはいけないですね)

買い物から帰ると、ピポンとチャイムが鳴り、近所のお友達がピザを持ってきてくれました。うちがグラタンを食べるのがわかっていたかのように。まん丸い眼鏡をかけた、まん丸い顔の彼女を見て、穴がふさがったかんじでした。この人のようになりたいなぁ。「明日から少し休んだら」と彼女。

少し難しい原稿を書くので、明日届く難しい本を読まなくてはなりません。ちょうどいいかもしれません。また、子供たちのための小さな夢を見つけてみます。

もうすぐ桜の季節の感じですね。

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止まった時の中で

2024-02-18 19:01:25 | 日記

静かに時の止まったような喫茶室で庭を眺めていました。千葉から見えたご夫妻と。「1年に1回だけど、もう5年、通っているね。」とF氏。ここに来るのは、3年前亡くなったS氏を偲んでです。こうして、F氏の奥さまを交えると4人きょうだいのようです。まだ同じものを懐かしむことができる世代です。

あっ!と、黒壁の商店街で見かけたH氏そっくりの人。いやそんなわけはないわ。その人の姿は20代だけど、H氏はもう40代のはず。そんな間違いが今日は許せる気がします。そうです、このごった煮みたいな、何でもありの街では。「何でもありよね。わたしも長浜にこようかしら」とF氏の奥さま。私に似ているわ。

「君がふと冷たくないかと取りてより 絡ませやすき指と指なり」(角倉羊子)

昨日、俵万智の「あなたと詠む恋の歌百首」の中で見つけました。今の季節でないと合わないかもしれませんね。この頃、歌は詠めません。俵万智さんは、恋の歌が詠めるのは、失恋とか愛する人を亡くしたとか、幸せの絶頂でないとなかなか詠みにくいと。たしかにこの安心感からは歌は出ないかもしれません。

人は、いろいろなものを背負って歩いて行くものですね。でも、悲しみも新しい喜びで少しは消えますようにと祈ります。

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