極寒の一日。どこにいても寒いので、炬燵にもぐりこんでいます。顔だけを出してTVを見ていました。ウクライナ家族の戦場・NHKです。この戦争がいかに理不尽な戦争だったのかすら薄らいで、ただの戦争になりませんように。
それは長いトンネルでした。でも、抜けると雪国ではなく、あたたかい国でした。「いやなものは嫌なのだから、そこは譲れない」と、それこそ理不尽に思うことからは逃げてきました。「もう、いやだ」と。でも、それでは、自分の思うことを(強く望むことを)諦めてしまうことでした。多くのことが誰かのためであり、よりその人が心安らかに生きていってほしいという願いからでした。特に、将来を担う子供たちには、明るい未来であってほしいと。子供たちに寄り添いながら、ドロップアウトした子には何とか元の道へ戻ってほしいとなど。シニアサッカーの仲間でも、がんと闘う人たちにはピッチで会いましょうと・・・。その根本は、どの年代でもかわらず、どの仕事でも変わりませんでした。ただ、そんな生き方は、誤解も多かったです。
今回は、子供ために逃げてはいけないと思えたのです。自分のやりたいことを勝手な方向に変えられても、子供たちに対して、自分は同じ位置にいようと。だから、私は「それは違うわ!」という小さな私のエゴを捨てました。それよりも目を向けないといけないのは、子供たちなのだと。
その考えは、ないごとにも通じました。つまらない自己のこだわりで生きてはいけない、大きな望む・目的のために生きようと。
今日は、すっきりして逆に疲れが出てしまいました。私がエゴ(自我)から解放された日です。同じ花瓶の写真ですが、角度の違うところからみたら、指が向かい合っていました。作成した時の想いがよみがえりました。
自分の暮らしも大切に、そして、この自然豊かな滋賀で生きていきたいと。