■ストーリ
緑に囲まれた可愛いおうちに暮らすヘイフラワーとキルトシュー。
ジャガイモの研究に忙しいパパと、家事が全くできないママ。
家事と妹の世話は全部ヘイフラワーの仕事。7才になった
ヘイフラワーは学校に行かなければならない。
私が学校に行けば、家事と妹の世話をする人がいなくなる。
心を痛めたヘイフラワーは、
「パパの研究が早く終わりますように。
ママが家事を出来るようになりますように。」
と神様にお祈りをする。でも、何も変わらない。
いい子のヘイフラワーもついに限界に達し・・・。
■感想 ☆☆☆☆
「やかまし村の子供たち」という大好きな映画がある。
あの「長靴下のピッピ」の作者リンドグレーンの童話が
原作のスウェーデン映画だ。
豊かな自然を背景にのびのびと遊ぶ子供たちが
かわいらしく面白く、何度も見た。
この「ヘイフラワーとキルトシュー」はフィンランドの作品。
国は違うものの、同じ北欧だからだろうか。
緑豊かな舞台で似た雰囲気をかもし出している。
だが、やかまし村が映画化されたのは1986年。
20年の時代を経て、家族の有り様は様変わりしている。
大学に行き「自立したい」と願っている母。
家族と会話しない父。ほっとかれている姉妹。
どちらかというと日本の現状に似ているかもしれない。
だが、映画はどこまでもポップに
あくまでも「児童文学」としての軽やかさを失わない。
物語の主軸はあくまでもふたりの姉妹。
小さい頃にしたいと思っていた「やってはいけないこと」や
大人に対して抱いていた疑問、そして妹への複雑な思いを
鮮やかに蘇らせてくれる。
色々な問題を抱えて、決して「円満」な家庭ではない
ヘイフラワーとキルトシューの日常。
ふたりは怒ったり泣いたり走ったり喧嘩したりしながら
それでも最後には笑顔で両親の元へ戻っていく。
完璧な両親である必要はない。
洗濯が苦手でも、料理がおいしくなくても
研究に没頭していても、根底に愛情さえあれば
そして、その愛情を伝える努力を怠らなければ、
子供たちは精一杯、両手を広げて、親の愛情を受け取ろうとする。
そういった「あたりまえのこと」だからこそ
見終わって笑顔になってしまう作品。
とにかく疲れたときに見て欲しい。
ほんわかあったかい気持ちになる。
そして、焼きたてのパンやスパゲッティ、
ほかほかのふかし芋がきっと食べたくなる。
緑に囲まれた可愛いおうちに暮らすヘイフラワーとキルトシュー。
ジャガイモの研究に忙しいパパと、家事が全くできないママ。
家事と妹の世話は全部ヘイフラワーの仕事。7才になった
ヘイフラワーは学校に行かなければならない。
私が学校に行けば、家事と妹の世話をする人がいなくなる。
心を痛めたヘイフラワーは、
「パパの研究が早く終わりますように。
ママが家事を出来るようになりますように。」
と神様にお祈りをする。でも、何も変わらない。
いい子のヘイフラワーもついに限界に達し・・・。
■感想 ☆☆☆☆
「やかまし村の子供たち」という大好きな映画がある。
あの「長靴下のピッピ」の作者リンドグレーンの童話が
原作のスウェーデン映画だ。
豊かな自然を背景にのびのびと遊ぶ子供たちが
かわいらしく面白く、何度も見た。
この「ヘイフラワーとキルトシュー」はフィンランドの作品。
国は違うものの、同じ北欧だからだろうか。
緑豊かな舞台で似た雰囲気をかもし出している。
だが、やかまし村が映画化されたのは1986年。
20年の時代を経て、家族の有り様は様変わりしている。
大学に行き「自立したい」と願っている母。
家族と会話しない父。ほっとかれている姉妹。
どちらかというと日本の現状に似ているかもしれない。
だが、映画はどこまでもポップに
あくまでも「児童文学」としての軽やかさを失わない。
物語の主軸はあくまでもふたりの姉妹。
小さい頃にしたいと思っていた「やってはいけないこと」や
大人に対して抱いていた疑問、そして妹への複雑な思いを
鮮やかに蘇らせてくれる。
色々な問題を抱えて、決して「円満」な家庭ではない
ヘイフラワーとキルトシューの日常。
ふたりは怒ったり泣いたり走ったり喧嘩したりしながら
それでも最後には笑顔で両親の元へ戻っていく。
完璧な両親である必要はない。
洗濯が苦手でも、料理がおいしくなくても
研究に没頭していても、根底に愛情さえあれば
そして、その愛情を伝える努力を怠らなければ、
子供たちは精一杯、両手を広げて、親の愛情を受け取ろうとする。
そういった「あたりまえのこと」だからこそ
見終わって笑顔になってしまう作品。
とにかく疲れたときに見て欲しい。
ほんわかあったかい気持ちになる。
そして、焼きたてのパンやスパゲッティ、
ほかほかのふかし芋がきっと食べたくなる。