のりぞうのほほんのんびりバンザイ

あわてない、あわてない。ひとやすみ、ひとやすみ。

ヘイフラワーとキルトシュー

2005年11月23日 23時49分55秒 | 映画鑑賞
■ストーリ
 緑に囲まれた可愛いおうちに暮らすヘイフラワーとキルトシュー。
 ジャガイモの研究に忙しいパパと、家事が全くできないママ。
 家事と妹の世話は全部ヘイフラワーの仕事。7才になった
 ヘイフラワーは学校に行かなければならない。
 私が学校に行けば、家事と妹の世話をする人がいなくなる。
 心を痛めたヘイフラワーは、
 「パパの研究が早く終わりますように。
  ママが家事を出来るようになりますように。」
 と神様にお祈りをする。でも、何も変わらない。
 いい子のヘイフラワーもついに限界に達し・・・。

■感想 ☆☆☆☆
 「やかまし村の子供たち」という大好きな映画がある。
 あの「長靴下のピッピ」の作者リンドグレーンの童話が
 原作のスウェーデン映画だ。
 豊かな自然を背景にのびのびと遊ぶ子供たちが
 かわいらしく面白く、何度も見た。

 この「ヘイフラワーとキルトシュー」はフィンランドの作品。
 国は違うものの、同じ北欧だからだろうか。
 緑豊かな舞台で似た雰囲気をかもし出している。
 
 だが、やかまし村が映画化されたのは1986年。
 20年の時代を経て、家族の有り様は様変わりしている。
 大学に行き「自立したい」と願っている母。
 家族と会話しない父。ほっとかれている姉妹。
 どちらかというと日本の現状に似ているかもしれない。

 だが、映画はどこまでもポップに
 あくまでも「児童文学」としての軽やかさを失わない。
 物語の主軸はあくまでもふたりの姉妹。
 小さい頃にしたいと思っていた「やってはいけないこと」や
 大人に対して抱いていた疑問、そして妹への複雑な思いを
 鮮やかに蘇らせてくれる。

 色々な問題を抱えて、決して「円満」な家庭ではない
 ヘイフラワーとキルトシューの日常。
 ふたりは怒ったり泣いたり走ったり喧嘩したりしながら
 それでも最後には笑顔で両親の元へ戻っていく。

 完璧な両親である必要はない。
 洗濯が苦手でも、料理がおいしくなくても
 研究に没頭していても、根底に愛情さえあれば
 そして、その愛情を伝える努力を怠らなければ、
 子供たちは精一杯、両手を広げて、親の愛情を受け取ろうとする。
 そういった「あたりまえのこと」だからこそ
 見終わって笑顔になってしまう作品。

 とにかく疲れたときに見て欲しい。
 ほんわかあったかい気持ちになる。
 そして、焼きたてのパンやスパゲッティ、
 ほかほかのふかし芋がきっと食べたくなる。
  
  
 

東京タワー ~オカンとボクと、時々、オトン~

2005年11月22日 18時20分36秒 | 読書歴
■ストーリ
 オカンとボクの話です。
 としか、言いようがない。ぜひ読んでみてください。
  
■感想 ☆☆☆*
いろんなところで絶賛されている「東京タワー」。
いつもは雑誌やネットでその評判を聞くのだが
今回は周囲の人たちから「泣ける!」という評判を
直接耳にする機会が多かったため、楽しみにしていた。

なにしろ、もともとリリーさんの感性が好きなのだ。
その上、私がその感性を信頼している方々からの絶賛の嵐。
期待しないほうが難しい。

案の定、中盤以降、涙腺を刺激され続けながら
一気に読み進めた。
胸に重いかたまりがのせられたような辛さを味わいながら
それでもページを進ませずにはいられないその吸引力。
読み終わって、直接、賞賛の声を耳にする機会が
多かったことに心から納得した。
それは私が九州にすんでいるからだろう。
私にとっても、私の友人にとっても
登場人物ひとりひとりは身近な存在で
「会ったことのある人」「知っている人」
「どこかで見たことのある人」なのだ。

貧乏なのに「食」と「衣」にはこだわるオカン。
周囲の人に気を配り、人が訪ねてきたら
せいいっぱいのおもてなしをせずにはいられないオカン。
自分の感情のまま素直に生きているオトン。
久しぶりに会っても大げさに接することなく
昨日会ったばかりのように接するオトン。
必要以上のことをしゃべらずに
働き者の手をしている母方のおばあちゃん。
厳格でオカンとそりが合わなかった父方のおばあちゃん。
そして、貧乏をものともせず下品におおらかに過ごしている
近所のおじちゃん、おばちゃん、トモダチ。
「ふるさと」と「家族」に対して
コンプレックスと愛情が混在した複雑な感情を寄せる僕。
借金だらけの生活を続けながら自分の将来を模索する僕。

なんだろう。この懐かしさは。
私はこの時代を知らない。
私はこの貧乏を知らない。
私はこんなフクザツなコンプレックスは持っていない。

それでもこみあげてくる懐かしさと
襲ってくる切なさ。
その感情は、オトン、オカンの描写に使われる
ぞんざいであたたかい言葉の数々と
そのあいまあいまにはさまれる冷静で叙情的な文章で
いっそうゆさぶられ続ける。

きっと数年後、数十年後、年を重ねて読み返す度に
違う箇所で涙腺を刺激されるだろう。
異なる思いでこの本を手に取るだろう。

ちなみに、小倉出身で筑豊の大学に通った経験のある私は、
地名もデパートも駅名も方言も人情も
すべて身近、かつ愛着のあるものばかりで
純粋にミーハー心も満足できた一冊となった。

火曜日ですよ

2005年11月22日 18時15分17秒 | 日常生活
毎週火曜日午前中には課会が行われます。
ただし、課長1名、課員3名の小さな課なので
少しでも人数に変動があると
「今日はやめとこうか。。。」
という流れにもなります。

本日は先輩社員が講演をされるため
社外で出張しており、課員は2名。
課会が実施されるか、微妙な人数です。

開始10分前に
おそるおそる伺いをたてました。

「今日、課会ってしますか?」

きょとんとした顔の課長。

「課会?」

「ええ。先輩がいらっしゃらないので
 今週はやめときますか?」

まだまだきょとんとした顔の課長。
一泊おいて満面の笑みとなりました。

「おおっ。今日は火曜日ばい!
 明日、休みやけん、すっかり金曜日気分やった。
 思い出した、思い出した。課会ばい。
 火曜日ばい。」

・・・・・素敵。
のりぞうだって、明日が休みで浮かれてました。
先輩とも「明日、何します?」なんて会話を
朝から楽しみました。気分はお休み前の小学生です。
でも、まさかのりぞう以上に小学生らしさを残す方が
こんなに身近にいるなんて。。。

和みましたとも。

はさみを使う上での注意

2005年11月20日 22時14分10秒 | 日常生活
来週からアドベントに入ります。
アドベントとは、11月30日に最も近い日曜日から
クリスマスイブまでの約4週間で
日本語では待降節(降臨節)と言います。
キリストの誕生つまり、クリスマスに備える期間のこと。

のりぞうの部屋も先週末から
クリスマスに備え、模様替えを終えました。

というわけで、本日は礼拝終了後
アドベントカレンダーの作成に終われます。
もっとも作業工程は最終工程をひとつ残すばかり。
できあがったカレンダーを壁にかけられるよう
毛糸のひもを通すだけです。

のりぞうも張り切ってお手伝いを申し出ました。
毛糸の糸をちょうどいい長さに切って次の人に渡すだけ。
さくさく終わらせようと作業開始!

・・・・切る場所を間違えました。
毛糸と思ってはさんだものがどうも自分の指だった模様。

ちびっこ諸君。
はさみを使うときは、切るものをよく確認して
作業に取り掛かりましょうね。

そういえば、昨年クリスマスカードを作成中も
同じような失敗をして血のりのクリスマスカードを
赤い色鉛筆でごまかしたような・・・。

自分の成長不足を年末に実感。

原点回帰

2005年11月19日 22時02分09秒 | 日常生活
通っていた幼稚園が廃園になるという噂を聞き
最後に一目見ておこうと夜のドライブに出かけた。

小さな小さな幼稚園は教会運営の私立幼稚園。
私はこの幼稚園で神様のことを知り
キリスト教がどんなものなのか
よくわからないながらもお祈りをしたり
キリスト降誕劇に出たりして、自然と神様に触れた。

アットホームな雰囲気で
キリスト教を強制することもなく
ただ単に「人として知っておくべき大切なこと」を
神様に絡めて教えてくれた私の「原点」だ。
がちがちのクリスチャン幼稚園ではなく
そういったさりげない宗教教育だったことが
幼いながらも既に偏屈だった私には
とても居心地がよく思えた。

本物の丸太でできていた園庭のアスレチック。
天井まで本がぎっしりあった図書室。
誕生日に園長先生が書いてくれた似顔絵。
蝋燭の光で過ごしたクリスマス礼拝。

どれもこれも既にうっすらとしか覚えていないものの
思い出すたびにほんのりと暖かい気持ちにしてくれる
私の心の拠り所のひとつだ。

ここでの思い出があったかいものばかりだからこそ
私はクリスチャンでもないのに
未だに「教会」と縁を切ることなく
何か辛いことがあったとき
自分の心が汚れているなと思ったとき
自然と「神様」を思い出す。

小さな子供が不幸な事件に巻き込まれたり
未成年が信じられないような犯罪を引き起こしたり
「こども」をとりまく環境が深刻な現代だからこそ
ちびっこたちが暖かさを取り戻す拠り所を
小さい頃にもつことができるように願ってやまない。

大好きな幼稚園を見ながら密かに願った。

待ち合わせに向かない場所

2005年11月19日 21時43分56秒 | 日常生活
妹とふたり、以前住んでいた場所まで
夜のドライブに出かけました。
懐かしい場所の数々に大騒ぎしながら
ゆっくりゆっくり巡回。

ノスタルジックな気持ちに浸りながら
帰宅していたところ、工事現場に遭遇しました。

・・・おや、ここって
以前は何があったんだっけ?
図書館のすぐ裏手なので
毎週のように通っていたはずなのに
ちっとも思い出せず、妹に聞いてみました。

さすが地元っ子。即座に簡潔に答えてくれます。

「金玉公園」

・・・・はい?なんですと?
き・・・?(乙女のため、自主規制中。)

「なんちゅーネーミングやのん?!
 正式名称はなんなのさ?!」

「違う!違うからね!
 金色のおっきな玉があったでしょ?
 あのモニュメント!変な意味じゃないの!
 あれを略して金玉公園ってみんなが呼んでるの!」

・・・・うら若き乙女は
待ち合わせに使えませんわね。この場所。

「ううん。デートの待ち合わせによく使ったよ。
    "どこで待ってる?" 
    "じゃあ、金玉で。"
 みたいな感じで。」

・・・・そんな会話、嫌だぁ。。。
整備が終わった暁には
金色の球形モニュメントがなくなっていることを
切に願ってしまいました。

悪いところは・・・

2005年11月18日 21時32分57秒 | 日常生活
金曜から日曜朝にかけて、急遽実家に帰省。
にぎやかな我が家で楽しく過ごしてまいりました。
実家で二泊三日(実質二泊二日)過ごしただけで
笑い皺が確実に増えました。

いや、いいことなんですけどね。

父親の健康診断が戻ってきたため
その結果がまず話題に。

どうやら結果はあまり芳しくなかったようで
母親に「絶対に私より先に死なんでよ!」
といつものように懇願される父。

ただ、総合結果は悪いものの
ひとつひとつ個別に結果を見ていくと
数値はそんなに悪くなかった模様。
コレステロールなんて
母親より数値が低い健康体です。

「じゃあ、どこが悪かったの?」
と、不思議そうに聞く母親。

父親はいつもどおり簡潔に一言で答えます。
「・・・体型。」

家族一同、納得。
うん、うん。痩せようね。
今の父親が倒れたら、誰も看病できないからね。
救急車をお願いすることになったら
「いつもより多めでお願いします。」
って追加希望しなきゃいけないからね。

と笑ったものの、のりぞうと妹は
今ひとつ心から笑うことができませんでした。
父の血を色濃く受け継いでいる姉妹ふたり。
そして、のりぞうにいたっては
再来週に健康診断が待ち構えているのです。
他人事ではありません。
心して受けなければ。。。

違いのわからないオンナ

2005年11月17日 23時08分08秒 | 日常生活
本日は高校時代の同級生と彼の弟くんが
バイトをしているお店へ。
赤坂駅から歩いてすぐの「たぐせん」。
仕事帰りのおじ様方がよく似合う
ちょっぴり渋めのお店です。

以前から弟君の働いている姿をぜひ拝見したい、
と思ってはいたものの、お店の様子が
あまりにも「おじ様方向け」だったため
ひとりで遊びに行くのは躊躇していたのです。
にいちゃんがいるなら心強いや!

と、喜び勇んでカウンターに座りました。
まずは生ビールとチューハイで乾杯!

・・・うーん。チューハイもいいけど
今日は梅酒ソーダにしようかな。

「うちの梅酒ってあまり甘くないんで
 飲みにくかったら言ってくださいね。」

さすが気配り上手の弟君。
親切な解説つきです。

かんぱーい☆
うん。すっきり爽やかな飲み口でおいしいぞ。
確かにそんなに甘くないけれど
これぐらいがちょうどいいかもー。満足なり。

つきだしもおいしいっす。
うん、やっぱりこういう渋めのお店って
料理がおいしいのねぇ。。。
と、しみじみしていたところ
弟君の顔色が変わりました。

「・・・しまった。
 それ、レモンチューハイだ・・・・。
 ほんっっとーーーにすみませんっ!」

・・・謝る必要はまったくありませんことよ?
なにせ、梅酒とレモンチューハイの違いに
まったく気付かなかったふとどきものですから。

一生懸命働いている弟君に見とれていて
味なんて気にしてなかったってことにしといてください。。。

ヒナゴン

2005年11月17日 22時52分03秒 | 映画鑑賞
■ストーリ
 小さな町、比奈町で、30年ぶりに怪物ヒナゴンの目撃情報が
 続出した。子供の頃にヒナゴンに遭遇していた町長のイッちゃんは、
 早速、役場に「類人猿課」を復活させる。
 東京から帰省した信子は、幼なじみの教師、順平とともに類人猿課で
 働き始める。順平は、子供たちにヒナゴンの絵を描かせようとするが、
 便利な世の中に生きる現代っ子たちに、未知の動物を想像することは
 容易ではなかった。同じ頃、比奈町に隣町との合併問題が持ち上がり、
 類人猿課も存続の危機に立たされる…。

■感想 ☆☆☆☆
 「信じること。・・・あなたは、本当にできますか?」

 広島で実際に起こった「ヒバゴン騒動」をモチーフに出来上がった
 この映画は現代の市町村が抱える不況、過疎、合併問題も組み込んだ
 かなりほろ苦さの混じる映画。
 けれども、そういった問題を前面に押し出すことなく、
 あくまでもコメディタッチで話は進んでいく。

 大人になっても「ヒナゴン」を信じ、故郷の比奈町を愛し続ける
 元悪がきの町長イッちゃん。
 町で最初に「ヒナゴン」を見たおじいちゃんを
 今も尊敬している信子。
 信じる心をもち続ける小学校教師の順平。
 そして、故郷のシビアな現実に危機感を抱き、
 真剣に故郷のことを考えている町役場勤めの西川。
 登場人物の誰もが自分の生まれ育った町を愛し、
 厳しい現実と向き合いつつも希望を捨てずにいる。
 ぶっきらぼうな広島弁の根底に流れる故郷への愛情
 周囲の人たちへの優しさがいとおしい。

 「わたし、ヒナゴンが見たい。」
 無邪気に信じることは難しい。
 まして、信じ「続ける」ことはなおさら。

 大人になった私は、もはやイッちゃんのように
 がむしゃらに何かを信じることはできない。
 現実は甘くはないことも
 信じてるだけでは、奇跡は起こらないことも知っているから。
 けれども、「信じたい」と思う心は大切にしたい。
 何も信じられないようなさびしい大人にはなりたくない。
 そう思うのだ。

 ラスト、何もかもが劇的に解決するわけではない。
 比奈町は合併を免れない。
 今後も過疎化は進むだろう。
 それでも、ヒナゴンに関わった人たちは
 「信じる」ことをこれからもやめないだろう。
 厳しい現実が待ち受けていても決してあきらめないだろう。

 「信じること」は
 「勇気」「希望」そして「笑顔」を生み出す。
 そんなこっぱずかしいことを笑顔で信じられる素敵な映画だった。

ペギー・スー 魔法の瞳をもつ少女

2005年11月16日 22時49分28秒 | 読書歴
■ストーリ
 14歳のペギー・スーは、魔法の瞳でお化けを退治する。
 その謎は誰もを知らない。家族も、友達も。
 そんな一匹狼の少女が健気にはちゃめちゃに涙しながら
 活躍する数々の冒険談。第一弾は、可愛い(?)相棒の登場!

■感想 ☆☆
 皆様、このあらすじ、ごらんになりました?
 カバーに書いてあるこのあらすじと表紙のポップな絵に惹かれて、
 ずっとずっと気になっていた本です。図書館で見つかったので
 即刻借りました。

 しかし。

 騙されてはいけません。このポップな表紙に。
 読み始めて、当初の予想とあまりに違う話の展開にびっくり。
 あまりの驚きに続きが気になって気になって
 本を手放せなくなりました。
 児童文学なのに、こんなに残酷な描写が許されるの?
 もちろん、某BトルRワイヤルのように
 身も蓋もない残酷描写はありません。
 けれども直接的な描写がないからこそ、想像をはばたかせる余地があり、
 想像がはためき始めると、なまじ直接残酷な描写を行うより
 断然性質が悪いわけでして・・・。

 途中、あまりの展開に呆然としてしまいました。

 ハリー・ポッターっぽいものかしら?なんて
 かわいらしい想像をしていた自分をはりとばしてやりたい。

 でも、このシュールで残酷な世界で
 健気に涙も見せずがんばっているペギー・スーには
 すっかり魅せられました。

 まだまだ続いているらしいこの物語。
 ペギーの成長を見守っていきたいと思います。