太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

サンフランシスコ~あれこれ

2015-06-18 12:41:30 | 旅行
5日同じ所にいると、ささやかなルーティンができてくる。

出かける時間、コーヒーを飲むところ、帰る時間。

普段はそのルーティンを破りたい衝動に駆られつつ、それを受け入れて暮らしているのに

そのルーティンの中に安らぎがあることも確かで、私もまた、そういう人であるのかもしれない。


6月半ば過ぎたというのに、サンフランシスコではコートやセーターが手放せない。

ここではこれが夏なんだろうか?

ハワイで冬物がいらないように、ここは夏物がいらないのだな。

ハワイのような格好をしている人は結構いるけども。

驚くことに、この寒さの中でホームレスの人々が眠ったりしている。

昼間はともかく、夜は外で寝るにはいささか寒過ぎると思う。

ハワイの気候はホームレスの人々にとっては天国で、他の州から

船にまとめて乗せられてハワイに送られてくる、という話が

まことしやかに語られている。ハワイ州が他所の州からお金をもらっている、

とも言われていて、案外真実じゃないかと私は思っている。



今朝もカフェでコーヒーを頼む。

そしていくら待ってもできてこない。これはそれほど珍しくもない。

私が頼むのは本日のコーヒーで、それは一番安くて、しかも他のコーヒーと

まったく味に遜色がないから。(コーヒーの味がわからないというのもある)

「コーヒーのMサイズを頼んだんだけど?」

しばらく待ってから、私は男性の従業員を選んで言う。

というのも、男性の方が断然対応が柔らかくて親切だからだ。

「え、ほんと?それは悪かったね、すみませんでした」

この「男性の法則(?)」は、サンフランシスコだけでなく、ハワイでも通用する。


街を歩いていてわかるのは、黒人が多いことだ。

シアトルは圧倒的に白人社会で、甥の卒業した高校は卒業生278人のうち

黒人が一人、ヒスパニック系が二人で、あとは全員白人だったし、

歩いている人も同じぐらいの確率に思える。

ハワイもまた黒人が少ない所だ。


それにしても、こんなに車のクラクションがしきりに鳴り響く街は、

大昔に行ったニューヨーク以来である。

バンコクはもっとすごいのだと誰かが言っていたけれど。

ケーブルカーと市バスと一部の地下鉄が、道路を車と共有しているのだから

問題が起きないはずもない。

市バスは、普通のバスとは違い、空中にケーブルがある。

だからケーブルのない所は走れないのに、

その前を車が塞いだりすると前に進めない。それでプップー!となる。

車が進路を変えようとすると、隣のレーンの車がプップー!となる。

そしてあちらこちらで、コダマのようにクラクションが鳴り響くことになる。



先日、日本に行った同僚が、東京のどこに行っても中国人のツアーで一杯だったと言っていたが、

それはサンフランシスコも同じだ。

初日、ケーブルカーに乗るのに列に並んでいた(始発では長蛇の列なのだ)

私の前が中国人グループで、そのかしましさといったらなかった。

棒の先にデジカメを付けたもので、延々と歩き回りながら自分の写真を撮り、

そのたびに大騒ぎをし、なぜか全員が大声で怒鳴るようにしてしゃべり、

高笑いをし、ひっきりなしにタバコを吸う。

後ろに並んだ人達が、珍しいものでも見るように見ている。

近くにいると、私も中国人かと思われそうで、なるべく離れていた。

私は悪口を言いたいのではないんだけれど、

どこで見かける中国人グループも似たような感じで、どうか今日は会いませんように

と願いつつ出かけるのだ。





ホームレスは多いし(ハワイは人のことを言えないが)、街角から尿の匂いが漂うけれど、

私はまた訪れてみたいと思う。

住みたいかと聞かれたら、たぶんNO。

なーんにもない田舎のハワイが私には合っている。




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個人的な4不思議

2015-06-18 07:01:06 | 日記
世の中には不思議がいっぱいあって、

ものを知らない私の不思議は人よりも多いのだろうが、

ふと思い出したように繰り返し不思議に思うことがある。


その1) これだけの人間が地球上に生きていて、

よくもまあ同じ顔というものがないもんだなあと思う。



サンフランシスコのピアにあるカフェで、窓に向かって座り

道行く人々をぼんやり眺めながら改めて思った。

顔のパーツは同じで、それぞれのパーツのある場所もだいたい決まっていて

それでいて同じ顔がない。

人間が他の生き物と違うのは、知能や言語や文字だけじゃない。

シマウマの群を見ても、みんな同じで見分けがつかないではないか。

どうして人間だけなんだろう。

こういう仕組みを作った存在は、肌の色を変え、髪の色を変え、

工夫しながら、延々と違う顔を作り出していくのだから、すごいことだ。

例えば1000年遡って、存在した全ての人の顔をコンピュータで解析できるとしたら、

全く同じ顔がでて来るかもしれないと思ったりもする。



その2) ドレミファソラシドに、半音を加えただけの音から、

よくもまあ次々と違う音楽が生まれてくるものだと思う。

組み合わせを変え、リズムを変え、人間の顔のように

見事に違うものが生まれてくる。

人間の顔も音楽も、もうこれ以上はできない、という臨界点はないんだろうか。



サンフランシスコのホテルで、テレビを観た。

我が家にはテレビがないので、久しぶりのテレビ鑑賞である。

日本で時々みていたCSIものを観ながら、いつもの不思議が湧いてきた。



その3) なぜ、人は当たり前のようにネクタイを締めているのか。


ネクタイの起源は、1656年にクロアチアのクロアット連隊が、ルイ14世に使えるために

やって来た時、首に布を巻いていたことと言われている。

その布は身近な女性から、刀傷よけのために贈られたらしい。

それが500年もずーっと続いているなんて。


ハワイでは滅多にネクタイ姿を見ないので忘れていたけど、

どこの文明国でも同じ姿をしているのは不思議なことである。




その4) これだけテクノロジーが発達しているというのに、なぜ傘だけは変わらないのか。



傘で雨がしのげるのは頭だけだ。

風でもあれば、肩から下はぐしょ濡れである。

私は雨の中の歩き方が下手で、どんなに気をつけても脚の後ろが泥はねだらけで、

白い服を着た時など、本当にガッカリする。

他の星にも行ける、人間を冷凍もできる、クローンもできる、

それなのにどうして雨に濡れない何かができないで、

いまだに100年前と同じことをしているんだろうか。

雨の中を傘をさしつつ濡れながら歩くたびに、発明家の出現を夢みているのである。

できれば私が生きているうちに。




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