太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

映画と一人旅

2015-06-28 10:41:03 | 日記
一人で外で食事ができるようになったのは、いつからだろう?

正確には、一人で外で「リラックスして」食事ができるようになったのは、だろう。



ずっと若い頃は、だいたいどこに行くにも家族か友人と一緒だった。

初めて一人で外食したのは26ぐらいの頃で、かなり遅かったかもしれない。

当時、インテリア関係の仕事をしていて、知り合いの建築家に頼まれて

図面を熱海市役所に届けることになった。

用事が済むと昼をまわっていて、このまま電車に乗って帰るにはお腹が空きすぎていた。

何かを買って食べることも考えたけれど、一人で外食できなくてどうする!という思いもあり、

私は蕎麦屋に入った。

いきなり蕎麦屋は敷居が高かった、と思う。

せめて喫茶店で軽食ぐらいしておけばよかった。

蕎麦を頼んだが、味などしなかった。緊張して、ギクシャクしたまま店を出た。



一人が寛げないのは、「誰かが見ている」気がするからで

しかもその誰かが「あの人はどうして一人なんだろうと思うのではないか」という危惧にある。

実際には、自分が思うほど人は見ていないものだし、

ましてや、一人の理由など憶測したりはしない。




前の結婚時代も、単独で行動することはなく、

単独と向き合うことになったのは、離婚したあとだった。


交際相手とうまくいっていた間はよかったが、それも3ヶ月で終わり、

相手が冷たくなって、なかなか会えなくなり、私は単独行動に慣れる必要があった。

一人は楽しい、と、自分に催眠をかけようとした。

一人で楽しそうに生きている人のエッセイを読みあさったのも、

一人なのは私だけじゃないと思いたかったからだ。


新しい自転車を買い、片道40分かけてコジャれたカフェに行き、ランチを食べた。

車だと10分もかからずに着いてしまうので、暇な時間が有り余ってしまうのだ。

ところが、私が優雅に1人を楽しんでいると思おうとすればするほど、

気持ちはどんどん惨めになっていった。

カフェにいるアベック達(死語?)が羨ましい。みんなツガイでいるのにどうして私は一人なんだろう、と思う。

帰り道、坂道を漕ぎ漕ぎ、心がかさかさに乾いていくような気がした。




気がつくと、私は平気で単独行動ができるようになっていた。

1人でいることが怖くなくなったからではなく、

1人でいることを気にしなくなったからかもしれない。



蕎麦屋も、ラーメン屋も大丈夫。行ったことはないが中華料理屋も大丈夫だと思う。

美術館もドライブも海も大丈夫。


ただ、映画と一人旅はダメだ。

映画は行くことは行けると思うが、見終わった後で感想を言い合う相手か欲しい。

それが煩わしいから1人で行くという人もいるけれど。

ハワイに住むようになってからは、英語の台詞についていけなくなったときに

隣にいる夫をつついて、今なにがどうなったのかを聞く必要がある、というのも

一人で行きたくない理由である。



一人旅は、行こうとも思わない。

沢木耕太郎の「深夜特急」を読むと、気ままな一人旅には憧れるけれども、

映画と同じで、私は食べたものや行った先々について

誰かと体験をシェアしたいのだ。

サンフランシスコでは、1週間昼間は単独行動で、それはそれで楽しかったが

夜もずっと一人だったらと思うと、ものすごくつまらないだろうなあと思う。



友人は若い頃、カナダやオーストラリアなどをバックパックを背負って行き、

ホテルで働いたりしていたという。

「23の時かなあ、仕事が終わって帰り道、真っ暗な道で犬に吠えられて服の裾をかまれたとき、

それと一人でクリスマスを過ごしたとき、グワーッて孤独がこみあげてきてねー」



孤独と自由はセットで、

自由を手に入れると、もれなく孤独もついてくるものなんだろうか。

もしそうなのだとしたら、その孤独さえも楽しめる人が、一人旅をするのだろう。

私はまだそこには行けないけれど。










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