太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

幸せに満たされやすい体質つくり

2019-03-29 18:56:54 | 日記
数日前から、職場の裏で映画の撮影が始まっている。
ここは「LOST」とか、「50回目のファーストキス」など、映画やCMなどによく使われる。
なんという映画なのか、まだわからないけれど、いったい何が入っているのかと思うような大きなトラックが何台も行ったり来たりし、たくさんの人が出入りする。映画を作るのにお金がかかるのは納得。
出演者やスタッフが、いつでも食べられるように食事が用意してあって、私達にもそのおすそ分けがくることがあるので、映画撮影は大歓迎。

さて、ここひと月ほど、幸せに満たされる体質をめざしている、という話。
なんのこっちゃ、なのだが、なかなかどうして、これはおススメ。
毎朝の私の瞑想は、深呼吸を繰り返す。
頭頂部から一筋の光がからだに入ってゆくのを思い浮かべながら、吸う。
肺に入った空気を、意識しておへそのあたりまでおろしてから、吐く。
これを気がすむまで繰り返すのだが、ひと月前からこれに加えて始めたことがある。

おへそまで空気をおろすときに、胃の裏のあたりにキラッキラと輝く玉をイメージしてみる。
どんな形でも色でもいい、それが自分の「本質」だ。
今の自分(自分が自分だと思い込んでいるもの)が誕生する前からあって、
この肉体が滅びても、永遠にありつづけるもの。
その「本質」が、肉体を通して外側にほとばしるぐらいに輝きを増すところを思い描く。

そうしながら、両親や友人、家族や同僚など、自分がかかわっている人たちを思い浮かべながら感謝し、その人たちに良いことがたーくさん起こるように願う。
苦手な人も、同じ。
嫌いな人も、やってみる。

そして、日常生活の中の時間の隙間に、「本質」がある場所を意識して、それがどんなに輝いているか想像する。
仕事の手が、ふとあいたとき、気がつくと過去の嫌な体験をなぞっていたり、
気にかかっていることで、自分ではどうしようもないことをぐだぐだと考えていることがある。
そんなときこそ、「本質」のある場所を観察するのだ。
夜、眠りにつくまでの間も、放っておくとネガティブなことを繰り返し考えてしまうので、これをやる。

数週間もすると、前よりも簡単に幸せになれてしまうことに気づく。
気にかかることや、思い通りにいかなくてイライラすることが消えてなくなるわけではないが、
それに翻弄されているのは、私が体験していることであり、
そこではない場所で、それを眺めているのが本当のわたしなのだ。
こんなことでイライラしているんだな、
こんなことを気にしているのか、
と他人事のように思うことで(たとえそれが一瞬でも)、わたしと体験の間に距離ができる。

相変わらず私はイラっとし、怒り、心配し、文句をたれているが、
絶対幸福の領域にある本質に意識を向けている限り、それらは表面を流れてゆくものにすぎないのだ。

それが少し板についてきたら、
「幸せだナァーーーーーーー」を口癖にする。
美味しいものを食べたとき、気持ちのいい風が吹いたとき、ぱりっとしたシーツにくるまって眠るとき、夫が元気に仕事にでかけたとき、猫たちと遊ぶ時、楽しい会話をしたとき、なんでもない平和なとき、
「幸せだナアーーーーーーー」
とつぶやく。
幸せのアンテナを立てれば、幸せがひっかかる。
条件が満たされて幸せになるのを待つ前に、すでに幸せになってしまう。
理屈をこねていると、むくむくと反論が出てくるから、
とにかく自分を実験台にしてやってみる。
私はずっとそうやって、ここまできた。

完全に体質になるまで鍛えていきたいと思う。
さーてどうなるかなァ。