太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

麻婆豆腐

2016-06-15 07:51:20 | 日記
離婚したあとに付き合っていた人に、麻婆豆腐を作ったことがあった。

私は何の迷いもなく、木綿豆腐を使ったのだが、

「麻婆豆腐は絶対に絹ごしだろう」

と彼は言った。

「柔らかすぎて崩れちゃうじゃん」

という私に彼は、

「その崩れるぐらい柔らかいのがいいんじゃないか」

と言いつつも、木綿豆腐を食べたけれど、あとで料理本を確かめてみたら、

確かに『絹ごし豆腐』と書いてあった。



私の母は、麻婆豆腐を作ったことがなかったと思う。

娘たちが家庭を持つようになって、母は時折、

「あんたたちは家で毎日何を作ってるんだかねぇ」

と言った。

「そりゃ、お母さんが作ってくれたようなものでしょ」

そう言うと、母は決まって困ったような顔をして笑うのだった。



姉も妹も、きっとそうだと思うのだけれど、

私は母が作ったようなものを、知らず知らずに繰り返し作っている。

妹など、料理の仕方まで母に似ている。

妹の家に行ったとき、鍋の蓋をひっくり返したところに揚げ物を乗せているのを見て

母もそんなふうにしていたことを思い出して大笑いした。

もちろん、いつもそうしていたわけではないけれど、安定の悪い蓋にどうして揚げ物を乗せるのだろう。



祖父母と同居していたから、お刺身や煮物が中心になりがちのところを、

母は子供達のために、洋風の料理もよく作ってくれた。

白鳥の形のシュークリームだとかも作ったし、人参と玉ねぎ、ジャガイモを使ったポタージュは、私も作り続けている。

母のポタージュには、少しだけご飯が入っていて、もったりとしていた。


さつまいものてんぷらは、ハワイにいてもむしょうに食べたくなるもののひとつだが、

母がやっていたように、衣にほんの少しの塩と、ゴマを混ぜる。

残ったてんぷらは、翌朝甘辛く煮てお弁当に入れる。

こんなふうに、母が作ってくれたものを作るとき、私は自然に手が動くのだけれど、

母が作らなかったものは、書きっぱなしで答え合わせをしない試験問題のようで、

いいのかどうかわからないままだ。

実家を出て20年あまりの間に、私が見つけた私の味も少しはある。

でも、どういうわけか、麻婆豆腐のように心もとない気持ちになる料理がいくつもあるのである。





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誰にも聞けない疑問

2016-06-14 18:26:38 | 日記
マッシュルームの、軸と笠の部分がどうしても、

オバケのQ太郎のスカートと、スカートから見える足 に見えて仕方がないのは私だけだろうか。





ものすごくどうでもいいことでもあり、

Q太郎を知っている世代であっても、同意を得られる確率は非常に少ないと思われ、

誰にも聞けないでいる。

しかし、マッシュルームを料理するたび、

これはまさにQちゃんの足にしかみえない、という思いが激しく迫ってくるのである。





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スーパー三重苦

2016-06-12 15:57:30 | 日記
堂々と胸を張って言おう。

私はスーパー方向音痴であるとともに、スーパーメカ音痴である。

コンピューター、スマートフォン、車、特にこの3つはてんでわからない。

テクノロジーの恩恵にたっぷりあずかってはいるが、

アナログの世界で生きていけたらどんなにいいかと思うのも事実である。





この3つが、機嫌よく動いている間はいい。

しかし、いったん何か不都合がおきたとき、何がどうなってそうなるのかが

まったくわからないため、どうすることもできない。

友人に、わからないことはとことん調べたりして解決してゆく人がいる。

ところが私ときたら、スーパーめんどくさがりで、

困るにもかかわらず、自分で何とかしようという気が起こらない。

すぐに人を頼る。


その、私に頼られた人が、なんとか解決する。

それを覚えていて、今度は自分でできるようにしようと、一応は思う。

けれども、もともと興味のないことは、すぐに忘れる。

稀に自分で何とかできたことであっても、どんどん忘れる。

スーパー物忘れ なのである。



一番身近にいるのは夫なので、たいてい夫が私に頼られる。

夫も、メカに詳しいわけではないが、彼には何とかしようという根気があり、

それを忘れない記憶力がある。



こんな私であるから、コンピューターは不具合をみてくれるケアのある店で買う。

車は壊れにくい日本車。

携帯電話はどんなに型が古くなっても、使えるうちは使い倒す。

という方式で生きている。



スマートフォンは3年あまり使っていて、不都合などなかったのだが、

あろうことか携帯電話を換えることになった。

というのも、同時に買った夫の電話が突然死んでしまったからで、

どうせなら二人とも新しくしようと夫が言うのだ。

夫だけ換えても、そのうち私のも寿命がくるであろうし、気は進まなかったけれど

新しくすることにした。

「どれがいい?」

「電話ができて、メールができて、インターネットが使えるやつ」

「それはわかってる。何がいいかってきいてるの」

「アイフォンでしょ?」

「アイフォンはもうやめる、他のにするよ」

「え!アイフォンじゃないスマートフォンってあるわけ?」



この会話のあと、夫は黙って自分でネットでいろいろ調べ始め、

夫の休みの日に電話を買ってきた。

私はもう、自分の無知さに驚かない。

一般的にインターネットが使われるようになってきた頃、かれこれ25年以上は昔のことだ。

当時の職場の同僚が、パソコンの話をしていた。

私にはさっぱりわからなかったが、話を聞いているとインターネットというのは便利そうだ。

そこで私は彼に言った。

「私にもインターネットを買ってきてよ」

店に、「インターネット」というものが売っていると思っていた。

そのときの彼の目と、夫の目は同じだった。

驚きと憐憫の混ざった、未知のものを見る目。

あれから25年、私はあのときから大して進歩していない。



新しい携帯電話は、まったく気が滅入る。

やっと古いのに慣れていたところなのに、何もかも最初からやらなくてはならず、

それもスムーズにいかないのだ。

新しい端末に、すぐに飛びつく人もいるが、まったくその気持ちがわからない。

端末で遊ぶゲームも興味がないから、こういうものが好きじゃないんだと思う。



私がうんと若い頃は、普通の人はパソコンも持っていなかったし、携帯電話もなかった。

仕事で誰かに連絡をつけたいときには、ポケットベルがあった。

メールがなくても、携帯電話がなくても困らなかった。

待ち合わせに遅れそうな時には、駅の掲示板という手段もあったし、

連絡のつけようがないことを、みんな承知で生きていたから、そのことでこじれることも

受け入れるしかなかった。

来るかどうかわからない電話を、家族が取らないように電話の近くで待ったことも、

今では懐かしい思い出だ。

便利を知ったら、不便に戻るのは難しい。

でも、あの時代はあれでけっこう楽しくやっていたのではないかと思う。



スーパー方向音痴、スーパーメカオンチ、スーパーめんどくさがりの三重苦は

こうしてどんどん時代に乗り遅れてゆくのである。






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気になる

2016-06-07 18:48:12 | 日記
用事があってホノルルに出かけた帰り、ラジオをつけてみた。

通勤時間が長かった頃には、たまに日本語放送を聴いていたことがある。

友人の中には、ほぼ一日中、家でも車でも日本語放送のラジオをつけているという人がいる。

彼女は、どこのレストランでランチが始まったとか、

どこのパン屋でセールがあるとか、日本で起きていることだとかに詳しい。

我が家にはラジオがないので、聞くとしたら車の中なのだけれど、我が家の近所では放送が入らない。

高い山がせまっているせいかもしれない。



家が近づくにつれて、ザーザーと雑音がはいってきた。


「この・・・・る・・たいへん美容にもよく・・・簡単・・・す」


なになに。美容にいい?


「今日はこの・・・・・・使ったレシピをご紹介・・・す」


なんとか理解しようと、ボリュームをどんどんあげてみるが、

ザーザーという雑音も大きくなるので、さっぱりわからない。


「き・・・・・は、お好きなお飲み物、コーヒー牛乳のようなものだとか、紅茶でもいいですね。

それに入れても美味しく飲めます」


肝心なところだけが聞き取れない。


「アイスでもホットでも・・・・・・・・・・で・・う・・・ね」


「へえ、そんなに簡単でおいしく・・・・・明日から・・・よね」


「そうなんです。き・・・・・は美容だけじゃなく、毒素も出して健康にいいんです」



なんなんだ。「き」なんとか。

ものすごく気になる。






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進化

2016-06-07 08:32:01 | 日記
ハワイに移住するにあたり、決めていたことがある。

『日本はよかった、日本ならこうだった、と言わない』ということである。

痒いところに手がとどくサービス、礼儀正しい人達、治安、

自分で病院や治療法を選べるシステム、安い医療費、安い中古車、

買いたいと思わせるものがあふれる店、おいしいもの、便利な交通網、

私が日本人だからというだけでなく、日本ほどいろんな意味で住みやすいところはないと思う。

日本以外の国で暮らせば、日本でのようにいかないのは当たり前で、

だから比べるのをやめて、あるものもないものも楽しもうと思った。


そしてそれは、たいがいうまくいっているのだが、

折に触れ、日本が懐かしく思うことはある。


職場から支給されているユニフォームのボタンが、1つなくなってしまった。

ココナツでできた、こげ茶色のボタンで、シュートメの裁縫箱をまず探したあと、

ボタンを買いに出かけた。

といっても、行くところは2箇所。

それも同じ布地屋が、ホノルルと別の場所に2箇所あるだけ。

その店を探してなかったら、もう探すところはない。

ココナツのボタンはなかったので、同じ大きさのボタンを買って、その場しのぎにつけた。

ユニフォームは、いずれ返すものだから、勝手にボタンを全部付け替えることはできない。

探すところが限られているから、いろいろ見てまわる手間は省ける。

でも裁縫や編み物が好きな人は、どうしているんだろう。


特定のものを手に入れるのが困難なうえに、

どんなものであれ、ひとつのもののバラエティが非常に少ない。

文房具も、洋服も、アクセサリーも、食品も。

ノートといったらこの表紙のものとこれ、と決まっていて、みーんな同じノートを持っている。

私が子供の頃に見たような、先に消しゴムのついた黄色いボディの鉛筆を眺めて思う。


ハワイは進化を拒んでいるんだろうか。


もっといいもの、もっと便利なもの、もっと何か、という欲がない。

日本から来た私にしてみたら、ここの人たちは最小限のもので暮らしているようにみえる。

だからBlue Noteがハワイにできたときは、すごく嬉しかった。

もう4回以上行っているが、楽しいだけじゃなく、撤退しないようにできるだけサポートしたいのだ。



日本に行くたび、私は熱帯の寒村から出てきた人のような気分になる。

地方都市の静岡ですら、テーマパークのようで、

東京などは、もう友人と一緒でないとどこへも行けないような気がする。



「ここはものすごくきれいで気持ちがいいですね」

お店にきたお客様が言う。

ゆったりと大地に根を張った大木が、大空いっぱいに枝を伸ばす。

うるさいぐらいに鳥がさえずり、花が咲き乱れ、青々とした緑があふれている。

島の、どこからでも海に入ることができる。

高い建物がたっているのはホノルルの一部だけで、島のほとんどは田舎である。

職場がある一帯は、食事の買い物をするところもない。

それでも、「開発 大反対」のカードが、そこここにある。

進化をしないから、このハワイがあるのかもしれない。



アメリカ本土から引っ越してきた人が、

海苔も納豆もある、といって感動していた。

本土では永谷園のお茶漬けを、冷凍庫にいれてちびちび食べていたそうだ。

ハワイは進化はしないけれど、

上を見たらきりがなく、また、下には下があるものである。





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