太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

あんみつ

2016-06-06 21:28:23 | 食べ物とか
日本食のレストランに行った。

それほどいろんな日本食レストランを試したわけではないが、

ここはどのメニューも納得の味で、気に入っている。

日本食が好きな、夫の叔父叔母はむろん、夫の両親もまんざらでもないようで、

いつも七人以上のグループで行く。

多い方が、いろいろなメニューを頼んでシェアできるからだ。


メニューの数が豊富なので、あれもこれもと頼んでいると、デザートまで辿り着けない。

それで、いつもはデザートメニューを見ることもなかったのだけれど、

今日は何の気なしに見てみた。


Kinako kuromitsu $7.5

Green tea mochi $3.5

Ice cream $5.00

きなこ黒蜜って、ただ、きなこに黒蜜がかかっている信玄餅みたいなものか。

Anmistu $15

え………?


あんみつ 15ドル


って書いてある?

あんみつって、あの あんみつ だよね。

1600円のあんみつ。

洋菓子と和菓子が並んでいたら、間違いなく和菓子を選ぶ。

そんなお年になってきた。

ましてや、美味しい和菓子に飢えている外国でなら尚更である。

だから、あんみつ なんて、きっと二つは食べられる。

しかし、1600円はどうだ。

日本だったら、半分以下で食べられるんじゃないだろうか。

このレストランなら、がっかりするものは出てこないとは思うけれど、

どんなに美味しくても、あんみつはあんみつである。

それに、どんなに豪華にしようとも、やはりあんみつだ。

あんみつは食べたい。ひんやりした寒天と、すっきりした甘さのシロップと、

しょっぱい豆とフルーツ、それに餡子。

ものすごく食べたいが、いかんせん高い。

メニューを見て唸っている私を見た夫が、

「そんなに食べたいなら食べれば?」

と言う。あ、これ、知ってる。

デジャヴだ。



昨年、マウイ島に行った時、良さそうなレストランで私はラーメンを頼んだ。

なかなかおしゃれな店で、ラーメンもおしゃれ。値段もおしゃれに2000円以上。

もちろん唸るほど迷ったが、何日も日本食ぽいものを食べていなかったので誘惑に負けた。

高い値段に見合った味に違いないと思った。

しかし、美味しかったのは煮たまごだけで、出汁を取り忘れたようなスープと

粉っぽい麺、あんなまずいラーメンは食べたことがない。

200円だって払いたくないラーメンだった。

あの時も夫は言ったのだ。そんなに食べたいなら食べれば?と。



あんみつは、頼まなかった。

寒天を作って、フルーツ缶詰めをあけて、出来合いの餡子を乗せればいいや。

と自分に言って、メニューを閉じた。

私は絶対にそんなことはやらないに決まっている。

昨年日本で買ってきた、栗ご飯の素も、まだそのまま棚に眠っている。

お汁粉を食べたくて、ずいぶん昔に思いつきで買った餡子も、その奥にある。

だから、あんみつなんか作るわけがないのだ。

でも食べたい。でも1600円は出したくない。

私がもう少しマメだったらよかったのに、と、大変残念である。




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二者択一

2016-06-05 14:32:33 | 日記
先週、気づいた。

両肩が、しっかり焼けているではないか。

制服はノースリーブのハワイアンプリントで、その袖ぐりに沿って肌の色が違う。

前の仕事は、外の天気もわからない、窓のない建物の中だった。

今の仕事は建物の中ではあるが、ほぼ四方に開け放した窓や出入り口があり、

ようするに屋根だけがあるようなものだ。


すっかり油断していた。

ハワイに住み始めた頃、家にいるだけなのにうっすらと焼けてゆくことに驚いた。

家の中でも紫外線はあって、しっかり日に焼けるのだと友人が教えてくれて、

日焼け止めを塗るようにしたのだったが、いつのまにかすっかり忘れていたのである。



私はもともと、色が白いほうだった。

泳げないし、運動神経も鈍いので、アウトドアスポーツといったらスキーぐらいだったのも、

焼けずに済んだ理由かもしれない。

「うまれつき色白」の上に胡坐をかいていられたのも、40の声を聞くまでであった。

きっかけは、手の甲についた汚れが洗っても落ちなかったことだった。

よく見ると、それは汚れじゃなくてシミだった。

あわてて素顔を鏡で念入りに観察してみたら、どう考えてもシミと思われるものがいくつもあって、

目の前が暗くなった。

それをホクロだと思い込んでいた自分の能天気さにもあきれた。


それ以来、美白とうたわれるものを手当たりしだい試してきたが、

シミは目立ちこそすれ、消えることはなかった。

小麦色の肌がツヤツヤと美しいのは20代まで。

焼けた肌が、その張りを失ったらどうなってゆくか、恐ろしいサンプルを私はたくさん見ている。

同じ皺くちゃでも、黒くくすんだのと、白いのとでは、見た目が違ってくる。

昔、サーフィンが好きで真っ黒に肌を焼いていた友人が、シミができてもわからないぐらいに焼く、

と言っていたのを思い出す。

しかしどんなに焼いても、シミはシミである。顔全体に隙間もなくシミができるわけがない。

彼女は今、どうなっただろう。

「色白は七難隠すんだから、あんたあんまり焼いたらダメだよ」

今更ながら、母が言った言葉が身にしみる。







そして私は考え方を変えた。

できたものはあきらめよう。

ただ、これ以上増えないようにすればいい。

昔のように白くなろう、若返ろうなんておこがましいことは言うまい。

私はこの「現状維持」の謙虚な考え方が気に入った。



それでも、日本にいるうちはまだよかった。

1年の半分以上は紫外線が激減するし、夏場だけ気をつければいい。

しかしハワイでは1年中、日本の真夏の何倍もの紫外線が降り注いでいる。

窓の近くにいなくても、そこにはかなりの紫外線があると思っていい。

それなのに私は、油断こいて素肌を晒して、気がついたら現状維持どころか

確実な後退をしていた。



今でも、色が白いですね、と言われることがある。

しかし、その前には必ず、「ハワイにいるのに」という枕詞がつく。

日本から来る旅行者の、真っ白い肌に見とれることがある。

既に焼けて色が変わってしまった肩のことは、もう忘れよう。

この状態から現状維持をすればいい。

ていうか、それしかない。



日焼け止めをずっと塗っていると、肌が少し荒れるような気がする。

日に焼けてカサカサくすんだシミ婆さんになるか、

黒くはないが肌が荒れた婆さんになるか。

この人をやめて、あっちとつきあうか、

仕事を辞めて、専業主婦になるか、若い頃の二者択一は優雅だった。

年をとってくると、二者択一もなんだかやたら物悲しいものになってくるのである。







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親切なわたし

2016-06-02 20:25:18 | 日記
自分の親切さについて考えさせられたことがあった。

私は自分は親切なほうだと思っていて、とりたてて疑問をもったこともない。


登場するのはピカケである。(ピカケの話はコチラ

ある土曜日、ピカケが私に聞いた。

「火曜日、どこかに行く用事ある?」

火曜日は私の休みの日だ。カイルアにある友達の家に行くと答えると、

「え!カイルアならワイマナロに近いね!」

と顔がパーっと明るくなった。


「ワイマナロにある歯医者までお金を届けてもらえないかなあ」


火曜日までに治療費の半額を払わないとならないのだが、火曜は仕事なので行けない。

メールで送ればよかったのだが、うっかりしていた、という。

アメリカでは治療費などの支払いは、個人小切手で郵送するのが一般的。

カイルアとワイマナロは、5~10分ぐらいで近いといえば近い。

でもワイマナロのどこかもわからない。


さすがに私も、一瞬迷った。

今までも帰りにピカケを更正施設まで送っていったことが2回ある。

自宅を通り越していくわけだから、遠回りではあるが、たまのことである。

火曜日も、少し早く家を出れば行けるけれど、

これは彼女の問題で、私がそこまですることもないんじゃないか、とも思う。

しかし、彼女には車がない。

4本ない前歯を見て、私は「いいよ」と言った。



前日の月曜が給料日なので、その日帰りに私と一緒に帰ってお金を引き出して、

現金を渡す、というのだが、

その月曜は私に医者の予約が入っていて、早退しなければならない。

それで私は、火曜日の朝に職場に寄り、ピカケからお金を受け取ってから行くことになった。

月曜じゃないとお金がないのだから、それしかない。


私は、夫に話してみた。(火曜の朝、職場に寄ることは言わなかった)

黙って聞いていた夫が言った。

「それってノーマルだと思う?」

ノーマルじゃないと思うから聞いたんじゃないか、と心で言ったが、黙っていた。

私にしてみたら、相当人がいいと思う夫に言われたことで、ショックだった。



結局、歯医者は友人の家から5分ぐらいのところにあり、

ピカケが書いた詳細な地図と、私が何の説明をしなくてもすむような手紙を書いたおかげで

すぐに用事は済んだ。



可能なことなのだから、やってよかったのだと納得したい私がいる。

利用されて、甘くみられているのだという思いが、苦い味となって口の中に広がる。

親切にしたことで、自分のそういう面を見てしまったことのやりきれなさ。







今まで私がつきあってきた人達は、おおかた、距離のはかりかたが似ていて、

こんなふうな気持ちになることはなかった。

親切を申し出て、いったん相手が遠慮して、さらに申し出るだとか、

またその逆であるとか、

同じ親切を繰り返しても、当たり前に思わないで感謝するだとか、

互いに引いた線の位置が近いと、そういうやりとりがスムーズにできる。


一人、そうじゃない人がいたのを思い出した。

昔の職場のお局で、ホームセンターのチラシに載っていた鍋を買ってきてくれと言う。

彼女は車を運転しないので、私は帰りに「遠回りをして」それを買った。

翌日、それを持ってゆくと、イメージが違ったのか

「あ、それならいらない」

お金を払うとも、返しに行くとも言わない。私は鍋を持ったまま、あっけにとられた。

さすがのピカケも、そこまでではないと思う。




ピカケはその週末を最後に仕事に来なくなった。

アパートも引き払っていて、連絡もつかない。

私のザワザワした気持ちはそのままで、

やってあげればよかったと後悔するより、やってよかったのだというところに、

むりやり折り合いをつけようとしている。



1週間ほどして、ピカケがひっそりとユニフォームを返しに来たらしい。

半額払った義歯はどうしただろう。

そのとき前歯があったかどうか、応対したマネージャーに聞きたかったけれど、

聞くタイミングをなくしたままだ。





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野放図

2016-06-01 21:15:56 | 日記
私は犬派だと信じていたが、それは単に食わず嫌いで、

猫がこんなにかわいい生き物だったとは、やはり何でも一緒に暮らしてみないと

わからないものである。

私も猫かわいがりをするが、夫は私の上をゆく猫バカで、

声のトーンが1オクターブぐらい高くなる。

そんな二人であるから、猫たちは完全に甘やかされ状態。

きっちりしているのは、人間の食べ物をあげないことぐらいで

あとは何をやっても

「いーよ、いーよ、猫だもの」

とニヤニヤしている。

築2年にもならない家が、既に階段のカーペットを張り替え、窓の下の壁は

三回は塗り替えた。(窓枠に飛び乗る時に爪が引っかかる)

好きなジグソーパズルも足を洗い、キッチンの上に飛び乗るので余計な物は置かなくなった。

むろんダイニングテーブルにも乗ってくる。

天井ファンの真下でもあり、タオルを敷いて昼寝場所にもなっている。

食事時、食べ物に興味深々の二匹が、テーブルの上を歩き回る。

猫から食べ物を守りながら食べるのが、我が家の食事風景である。

その図は、まるでお弁当を隠しながら食べる子供のようだ。

今日あったことを話しながらの楽しいお食事は過去の話。

腕で囲ったつもりの皿から、素早く肉の一切れを加えてカウチの下に逃げる猫の、

尻尾をつかんで肉を取り返す。

その間にもう一匹が、サラダのレタスをくわえている。

レタスを取り返している間に、肉泥棒の猫が、フライパンをのぞいている。

フライパンに蓋をしている横で、レタス泥棒が菜箸の先を食べている。

「Get down」

「ダメでしょ!あ、こら」

「No,hey!」

言語も入り乱れ、まさに阿鼻叫喚。

毎日こんなで、それでもいいのだから、呆れたものである。

友人が来てお昼を食べた時、ちょっと心配したのだが、

猫たちは一切テーブルに乗ってこなかった。

「お行儀がいい猫だね」

いやいや、それこそ猫をかぶってるだけ。

その日の夕食は、再び戦いであった。



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近況

2016-06-01 07:16:38 | 日記
転職して1ヶ月あまり、少しずついろんなものの輪郭が見えてくる。

新しい学校に入学したとき、クラス替えのとき、

私が私であることが難しく感じて、居心地が悪い。

しばらくすると、自分の場所が見えてきて、ふわふわしていたのが、地面に足がついてくる。



オーナーが、依存症を克服する人のプログラムに援助をしていることもわかった。

だから、ピカケのように、働きながら夜のクラスに通う人がいるわけか。

私の情報源は、韓国人の姉妹だ。

彼らはハンドメイドのジュエリーを販売するテナントで、10年以上店を出している。

「私達、10年前にここに来た時は本当にびっくりしたよ、違う世界だと思った」

私も同じだ。

それは今までが普通じゃないところで、これがハワイの普通なのかと思ったけれど、そうじゃなかった。


「あなたは、ものすごくマトモだよ。誰かに聞かれたもの。なぜシロはここで働いてるのかって。

家が近いからでしょって言ったけど」


誰もがそれぞれの何かを抱えているものだが、ここの人達も例外ではない。

子供はいるけれど一緒に住んでいないようだったり、夫のかわりにボーイフレンドがいるとか、

息子の父親という言い方であるとか、想像しただけでもいろいろありそうだ。

私は、ドラッグという寄り道をしないで生きてこれたけれども、それは精神力ではない。

寄り道した人が、元の道に戻るという精神力はどれほどのものだろう。

だから彼らは偉いと思う。

しっかり更正した人に対して、寄り道しなけりゃもっと偉かった、というのはナシだ。





私が私でいることに、少しずつリラックスできるようになってきたけれど、

自分がほかと違う形をしていることがチクチクすることがある。

ほかが私と違う形をしていることに、かもしれない。

でも私は、ここの環境も、同僚達も好きだ。

「褒めて伸ばす」システムも、大好きだ。

前の職場では、できたことは当たり前で、できなかったことを指摘されたもんなあ。

(と、思わず愚痴がでる)

半年後、このチクチクはどんなふうになってゆくのだろう。






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