太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

月下美人

2017-09-25 07:22:53 | ハワイの自然
庭に植えた月下美人が大きく育って、ゴージャスな花を咲かせている。

月下美人は英語で Night Blooming Cereus(ナイトブルーミングシリアス)という。

日本語でも英語でも、この花は夜しか咲かず、香りもしない。

昼間でも花は咲いているように見えるが、花は少し閉じ加減で、香りはまったくしない。

夜、寝る時間が早い私達は、なんとか満開の月下美人を見るために

咲きそうな夜に目覚ましをセットして、わざわざ起きてチェックしたりしたけれど、

タイミングが合わずに、咲いた後の香りのしない花しか見られなかった。



が、今回は違う。

12個の花が今にも開きそうで開かない、今夜かもしれないねといってベッドに入った夜、

窓からかぐわしい香りが漂ってきて目がさめた。

12個もあると香りも強いのだろう。

あわてて外に出た。





満開!




この花を、あでやかといわずして何という。

ひとつの花は、てのひらをいっぱいに広げたよりも大きい。

誰にも見られない真夜中だけ咲くなんて、その姿と香りは何のため?

甘くて、しゃっきりとした濃厚な香りがそこいらじゅうに満ちていた。







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Mr.Church

2017-09-23 19:31:37 | 勝手な映画感想
映画はよく観ているが、記事にするのはものすごく久しぶりだ。

「Mr.Church」

昨年公開された映画で、事実に基づいて作られている。

10歳の少女と、シングルマザーである美しい母は二人暮らし。

母親のボーイフレンド(少女の父親ではない)が亡くなり、その遺言によって

Mr.Churchが、通いの料理人として二人の家にやってくる。

じつは母親は癌に侵されているが、少女はそれを知らされていない。

少女はその料理人を受け入れず、かたくなに反抗するが・・・・



Mr,Churchを、エディ・マーフィが演じている。

「48時間」や「大逆転」のエディ・マーフィは勢いがあってよかったが、

そのあとはどれも同じような感じで、あまり好きとはいえない俳優だった。

しかし、この映画のエディ・マーフィはよかった。

期待していなかっただけに、しみじみよかった。

誠実で穏やかだが、プライバシーをけして明かさない謎めいた性格の男を、

壮年から老年までみごとに演じきっている。

また、彼が作る料理は手際も美しく、見た目も美味しそうで、

食べることを丁寧に楽しむ生活って素敵だなあと思う。

友情、孤独、家族。

別れがあり、いさかいがあり、人の孤独が浮き彫りになるのに、なぜか悲しくも寂しくもない、

見終わったあと、心の奥がほっと温かくなる。






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そんな朝

2017-09-22 08:12:27 | 日記
猫が、寝ている私の顔を前足でさわったり、体の上を歩く。

ゴハンを食べたいのはわかるけど目覚ましが鳴るまでもう少し待ってヨ、と眠りに入りかけ、

しばらくして何か予感がして携帯電話の時間を見た。


4:23


えッ・・・これって4時23分のことか?

飛び起きざま、夫を揺すった。

「ごめん!遅くなった!!」

「んー、何時」

「4時23分」

夫も飛び起きた。

携帯電話の目覚ましをセットしたつもりが、していなかった。

本来なら3時半に起きて、4時10分には夫は家を出ていなければならない。

ゴハンを目指して我先に階段を駆け下りてゆく猫達に続いて走り、なかば投げるようにカリカリゴハンをボウルにいれ、

昨夜詰めておいた夫のランチを保冷剤とともにランチバッグに入れた。

座って朝食を食べる時間などないので、車の中で食べられるよう、洗った洋梨をタオルに包む。

「ごめん、ごめん、ごめん」

ハイスピードで髭をあたり、着替えて降りてきた夫に謝る。

「大丈夫、大丈夫、心配しないで。起こしてくれてありがとう」

夫が出かけたのは4時38分。

外は雨で、道路は濡れている。ハイウェイを使ってゆくので、無事に着きますように。






以前にも、こんなことがあった。

前の夫が、お得意様を駅で見送るので〇時(何時か忘れた)に起こしてほしいと言ったが

目覚ましがうまくセットされていなくて寝過ごした。

その時の前の夫の私の責め様といったら見せてあげたいぐらいだ。

「俺だけ行かなくて恥をかいた」「なぜ目覚ましをかけておかない」「なにやってるんだ」

私はその何倍も自分を責め、相手の怒り具合にいたたまれなくなり、プチ家出をした。

実家に行き「もうこれで離婚だ」と、どんよりと落ち込んでいる私に母と姉が言った。

「そんな大事なお得意さんなら自分で目覚ましかけて起きればいいんだよ」

「そうそう、あんたを責めるなんでお門違いもいいとこだ」

今なら、わかる。

ほんとうに母たちの言うとおりだ。

他にも見送る人たちがいたなら、べつにいいじゃないか。天皇陛下でもあるまいし。

こんなふうに、『あの時、さっさと離婚してしまえばよかった』ということが山ほどあるが

私には、あの任期を勤め上げる必要があったのだろう。




4時23分に飛び起きた時、私は瞬間にあの過去の場所に戻っていて

心臓が縮むような感じがした。

「またやってしまった、私が悪い」

けれど、私がどんなに自分を責めても、夫はまったく平気でいつもどおり。

「すごく道がすいてて間に合ったよ」

夕方、遅刻しなかったか尋ねた私に、そう言って笑った。

あの時にできた心のシミが、薄くなって消えていく。

たぶん、今は私が私を、もっと大切にすることができているから、

自分につらく当たっていた頃に自分で作ったシミを、こうして地道に消してゆくことができるのだろう。





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地震

2017-09-21 07:59:04 | 日記
数日前のことだが、地震があった。

寝る前に本を読んでいたら、せっかちに左右に家が揺れた。

翌朝の新聞に震度4と出ていたが、体感では3ぐらいの揺れだった。

シュートメが、体感できる地震があったのは夫が3歳ぐらいのときだった、と言うから

42年ぶりの地震ということになる。

地震慣れしていない場所の人たちは、地震を異様に怖れる。

42年前に揺れたことなど覚えていない夫は、日本に住み始めたばかりの頃、

夜中に突然震度5ぐらいの揺れが来た時に、恐れを通り越してハイな気分になったという。

「地震が来る数秒前に、パカっと目が覚めたんだよ。動物の勘かな」

それはどうだろう・・・

成田空港でフライト待ちをしている間に、かなりの揺れがあったことがある。

店の棚の商品は崩れ、ガタガタと建物全体が揺れた。

青ざめた夫が、揺れのあとで言った。

「地震も怖かったけど、揺れているのに平気な日本人のほうがもっと怖かった・・」

揺れている最中でも平静な顔で携帯電話で話をしていたり、

走るわけでもなく普通に歩いているのは日本人だけで、その様子が恐ろしいというのだ。

確かにそうかもしれない。

私が生まれ育った静岡市は、私が小学生の頃から「東海大地震が来る、来る」と言われ続け、

今度の6月2日に来るらしい、などといったホラまで流れた。

数十年の間、地震に常に備えていることは無理である。

非常持ち出しの中身の食べ物や水は、忘れているとすぐに期限が切れてしまうし、

枕元に靴を置いて寝ることも面倒になり、まして風呂桶に水をためておくなどしなくなる。

そして、いつか来るんだろうけど、そのときはそのときだ、というような心境になってゆく。

この諦念というか、地震疲れみたいなものが、地震慣れにつながるのだろうか。




職場に、オクラホマ州出身の同僚がいる。

オクラホマは竜巻がよく襲ってくる。

巨大竜巻などテレビでしか見たことがない私は、あれに巻き込まれたら・・と思うとゾっとする。

自分の家が竜巻に巻き上げられて壊れてゆくのを見るのはつらい。

そう言うと、彼女は言うのだ。

「そうだけどさ、来ちゃうものは仕方ないじゃん。自分さえ無事なら家はまた建てればいいんだし」

私が地震慣れであれば、これは竜巻慣れ、というのだろうか。







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フラ

2017-09-20 07:58:12 | 日記
ハワイには、ハワイアンの生演奏を聞きながら食事をする場所が、それはたくさんある。

ちょっとしたパーティやメモリアルなどにハワイアンのミュージシャンを呼ぶのは普通だし、

大きな公園で野外の無料コンサートもある。

演奏中に、客席から人が前に出てきて、勝手に曲に合わせてフラダンスを踊りだすことがある。

一人出てくると、また一人、と加わることもある。

それはまるで祭り好きが、お祭りのお囃子にいてもたってもいられなくて踊りだすような感じである。



先日、パリゴルフコース内にある「HONEY」というレストランに行った。

ハワイアンの歌手が歌っていると、テーブル席から老婦人が出てきて、音楽にあわせて踊りだした。

すばらしい銀色の、艶のある髪をゆるくアップにして花をつけ、

ゆったりと楽しそうに踊る姿を見て、私もあんなふうに踊れたらいいだろうなあと憧れた。

ステージで大勢で踊るフラを見ても、そうは思わないのだけれど、

こうして普通の人が、日常の中でさりげなく踊るフラは、心を揺さぶられるものがある。

「習えばいいじゃん」

と夫が言う。

それはそうなのだが、私の「習い事嫌い」が行く手を阻む。

何かを学ぶことは楽しい。

決められた日に、定期的にどこかへ行かねばならないのも、面倒ではあるが我慢しよう。

しかし習い事の多くは、発表会であるとか、作品展といった発表の機会がある。

それが苦手なのだ。

教える方としては、学んだ成果を発表する場がないと目標がなくなるのかもしれないが、

私はべつに発表したくないのに、強制的にやらされることになる、というのが面倒。

かといって、私を抜きにしてやってくれていい、という勇気もないのがこれまた面倒。


長いことフラを習っている知人がいるが、

発表会だ遠征だと忙しく、今度の発表会までに、草で手首と足首に飾るものを作らねばならないだとか、

あの葉が必要だとか、見ている私がうんざりするようなめんどくささである。

その人に個人的に習うのがいいのだけれど、お互いに時間がとれないときている。

けれどいつか、ひっそりと一人でフラを踊る日を楽しみにしているのだ。









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