太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

停電とソーラーさまさま

2021-08-23 08:24:14 | 日記
日本じゃ、工事のための停電以外、突然停電になることなど殆どなくなって久しいけれど、ハワイは停電が多い。
それも、5分や10分じゃ戻らない。

朝の5時前。朝食の支度をしようとした、まさにその時に停電した。
停電したとき、真っ先に思うのは
「うちだけか??」
窓から近所の家を眺めてみるも、朝5時前では起きていない家も多いかもしれず、わからない。
とりあえず外はまだ暗いので、キャンドルをつけた。
脚にまとわりついてくる仔猫のコーちゃんが、身体の色が暗いので見えにくく、
2回ほど尻尾を踏んでしまい、怒られる。

うちは電化なので、味噌汁を作るのにお湯を沸かすことも、卵を炒めることもできない。
朝の楽しみのコーヒーすら、淹れられない。
仕方がないので、冷ややっこと納豆、パパイヤとバナナ、作り置きのゆで卵という朝食を、二人でキャンドルをはさんで食べた。

普段、どれだけ無意識に電気を享受しているかを停電時に思い知る。
停電と知りつつ、
キッチンのディスポーザーのスイッチを入れている。
お化粧しようとして、バスルームの洗面の照明のスイッチを入れている。
天井扇のスイッチを入れている。
冷蔵庫を開けて、中が真暗なので毎回、一瞬 ギョ! とする。
ガレージのドアのスイッチを押して、開かないので「!」と思う。


結局、復旧しないまま仕事に出かけた。
ドライブウェイを出たところで、近所のおじさんボウイが、マグカップを片手にきょろきょろしていた。

「うちも停電だよ」

車の窓を下ろして言うと、

「ああ、そうなの、うちだけかと思ってさー」

ボウイはそう言って笑った。

このぶんでは信号機も作動していないはずだから、いつもの大きな四つ角ではない、小さい’T字路交差点から出られるように道を替えた。
優先道路に信号なしで出るのは難しいのだ。
案の定、信号機は消えたままで、でもT字路なので比較的らくに優先道路に出られた。
5時間ほどで電気は復旧したらしい。


電気といえば。
6月から7月にかけて、義両親がヨーロッパに行っていた間のひと月の電気代が900円だった。
税金対策で、義両親側と我が家は電気メーターがひとつなのだ。
ソーラーを入れる前は、ひと月に5万円ぐらいかかっていた電気代が、
ソーラーを入れて余裕で1万円以下になり、時には5000円を切ることすらある。
近所のフロストさんちも、ソーラーにしたらプールを使う夏場でも3000円くらいになったと言ってたな。

それが私たち二人だけだと、900円て・・・・・
昼間は留守だし、電気を使うのは朝の1時間ほどと、寝るのが早いので夜もせいぜい1,2時間ほどだからだろうけど、ソーラーさまさまである。
それにしても、義両親が家にいるとき、いったい何にそんなに電気を使っているんだろう。

「だってあの人たち、昼間でもやたらと照明つけたがるし、使っていない部屋でも天井扇まわしているし、1日に何度も洗濯機まわしてるじゃん」

と夫。
その義両親が、今日からシアトルに行き、1か月留守になる。
これでまた電気代900円のひと月が始まる。





やりたくないことはしなくていい

2021-08-19 07:31:00 | 日記
私がコラージュを始めたのは、ハワイに来てから2年目だ。
夫の叔母がギャラリーでスーザンの作品を見て興味をもち、
それでギャラリーに作品を見に行って、ちょうど紙を染めるワークショップが迫っていたので、なんとなく申し込んだのが始まり。

コラージュの仲間たちは、陶芸家でもあるスーザンの友人たちが半分、あとは私のようにコラージュに興味を持つ人の集まりで、公式な団体ではない。
会費もなければ、なんのルールもない気楽なものだ。

3年前にスーザンが突然他界し、スーザンの旦那さんがスーザンの名前で基金を作り、ペギーが中心となって盛り立ててきた。
週に1度、植物園の教室で集まって作品を創るのも、私は仕事で参加できない。
そのうちパンデミックになり、それも中断。
ペギーとはたまに連絡をとっていたものの、他の人たちとはまったく音信が途絶えた。

先日、チャイナタウンで作品展をやることになったと連絡がきた。
作品の搬入搬出は、日と時間が決まっており、それは平日なので私は行けない。
都合がつかないから、今回は私は不参加でいいよと言ったら、
ペギーが私の作品も搬入してくれることになったのだけれど、搬入後の飾りつけの手伝いも、私はできない。

フルタイムで働いているのは私だけ。
あとの人たちはリタイアしていたり、フリーでアーティストだったり、自由のきく人ばかり。
何があっても私は仕事で参加できず、そのたびに「仕事で」と言うのが心苦しい。
チャイナタウンの作品展も、ギャラリーが日曜月曜クローズという、私の休みと同じで、結局私はガラスの外から中をのぞくことしかできなかった。

その作品展はスーザンの基金からお金を出してもらったので、持ち寄りでスーザンの家に集まってお礼をしよう、ということになったというのを聞いた時、ドヨーンとした気分になった。
スーザンの家は45分ほどかかり、貴重な日曜日をそれに使いたくないと思ったのだ。


ここで私は気づいた。


私はもうかかわりあいたくないと思ってる
それはたぶん、スーザンが亡くなったときから


私は私で、独自のコラージュを確立していて、世の中に出してもいる。
スーザンがいてくれたら、見てもらいたいと思う。
でもスーザンがいないなら、私はひとりでやるほうがいい。
それでも、繋がっているべきだと思ってきたから、仕事で参加できないことが心苦しくもあり、反面、仕事が言い訳にもなっていた。

仲間たちはいい人ばかりだけれど、とても会いたい人たちというわけではなかったのだ。

グループメッセージによれば、ある日曜日にスーザンの家に集まることになったようだ。
行きたくないと思っていた私は、メッセージには参加せず息をひそめていた。
その日が近づき、いつもならペギーから個人的に連絡がくるのだが、この時には来ずに日曜日が過ぎた。

もし誘われたら、きっと私は理由をつけて断った。

人と、長くしっかりつきあうのが理想だと思っているのに、
その途中でこんなふうにどうしても無理がきて、疎遠になるようにしてしまうことが多い。
私の社交性か、性格かに問題があるのかもしれないが、そうだとしても、いまさらそれらがどうにかなるとも思えない。
やりたくないことは無理してやらなくていい、と自分に言ってあげることにしている。








義理まごころ

2021-08-18 08:35:08 | 日記
庭に4本植えたハイビスカスの中で、1番好きな色の花が咲いた。
赤というより、朱色に近い、この色がとても好き。


姉から、
「昔、うちの会社にいた〇〇さんって、わかる?」
とLINEが来た。
〇〇さんは私が勤める前にいてくれた事務の人だ。
一緒に仕事をしていたことはないけれど、祖父母の葬儀などの折に何回か会ったことがあるので顔と名前は知っている。
その〇〇さんが、お盆ということで父にお線香をあげに来てくれたそうだ。
私は父の会社に22年勤めていたが、〇〇さんがいたのはその前だから、お年も70近いのではと思う。

35年も昔の縁を、いまだに忘れずにいてくれることに胸が熱くなる。
それと同時に、私の義理の薄さに胸がチクリとする。

できるだけたくさんの人とで出会いたいとは思わない。
数えるほどでいいから、長くしっかりつながっていたい。
それでも、その数えるほどの人たちでさえ、つながっているのが辛くなってしまうと、縁遠くなる。
そして縁とともに義理まで私は過去においてきてしまう。

お世話になった人たちのことは、けして忘れない。
思い出すし、思い出せばいつも同じ深さで感謝する。
けれど、それを相手に伝えることを、私はしない。
感謝の気持ちがないよりも、いい。
でも、伝えなければ、伝わらないのもまた、確か。

父の死を知った〇〇さんが、2回目のお盆も忘れずに足を運んでくれる。
それは彼女の真心以外のなにものでもない。

いいだけ年を重ね、縁は切れても義理真心は忘れない、そういう人間にいまだにあこがれている自分が小さくみえてしまうのである。










土足上等

2021-08-17 07:01:34 | 日記
今日は月に1度、ジュディスの家に行って互いに絵を創作する日。
4時間ほどの滞在のうち、まあ半分はおしゃべりだけど、楽しく過ごしてお昼をごちそうになった。
そのあと、2,3用事を済ませて家に帰り、掃除をしたり、猫たちと戯れたり、
絵の続きをやって、夕方になり、シャワーでも浴びようとバスルームに行って、
靴を履いたままでいたことに気づいた。


ハワイの住宅は、日本のように靴を脱ぐ家が、アメリカ本土に比べたら多い。
でも、靴は脱いでも脱がなくても、という家もけっこうある。
ジュディスの家は靴のままで上がるが、ダンナのトニーはたいてい素足。
義両親の家は、一応脱ぐことになっているが、室内履きのまま出かけてしまうことも多いので、現実には両用。

こういうことが起こるのは、文化もあるが、住宅の造りも関係あると思う。
日本の住宅には必ず玄関に三和土(たたき)がある。
そして玄関を作ったら、靴箱も作るのが日本。
しかし、こっちの住宅に作り付けの靴箱という発想はない。
靴は服と一緒にクロゼットにしまうものだからだ。
だから、ドアの外に家族分のビーチサンダルが脱ぎ散らかしてあるのは、ハワイの風景の一つになっている。


家を建てたとき、なぜ靴箱を作らなかったか悔やまれる。
玄関をあけるとすぐそこはリビングとダイニング、という、玄関スペースがないのがこちらの普通の住宅で、(お屋敷は別)
家の中に靴箱を作るのは難しいけど、うちの場合、玄関ドアの外側にちょうどいいスペースがあったのに。
今は階段の近くに、既成の靴箱を置いて使っている。
31センチの夫の靴はでたらめに場所をとってしまい、それほどは収納できないんだけど。


というわけで、我が家は靴を脱ぐようにしているけれど、荷物を持ったまま家に入ると、両手がふさがっていて靴が脱げない。
家に入って荷物を置いてから靴を脱ぐつもりが、そのまま忘れる。
ということが、多々起こる。

さんざん引きずりまわしたスーツケースを、無造作にベッドの上に置くのでいつも私に非難される夫が、律儀に靴を脱ぎ、
私はさんざん歩き回った靴で家の中を歩いているのである。








肥えるは簡単なお年頃

2021-08-16 07:45:31 | 日記
来客があると、肥える。
6月に、義兄が滞在していて2キロ増えた。
やっと元に戻った頃、インディアナ州から叔母が来て、振り出しにもどる。
どうしても外食が増えるし、ハワイ在住の叔母の家か我が家に集まって食卓を囲むことも増える。
普段はなるべく食べないようにしている小麦粉を使った食べ物も、食後のデザートも、この時には食べる。
場の雰囲気を壊さないという名目だが、それらは私の好物なのだ。

来客が帰ったあとも、私の舌には食べる癖が残ってしまっており、
毎朝の体重計が恐ろしいという目にあう。

昔は体重など気にしたことがなかった。
ピザもパスタもうどんもデザートも、好きなものを食べて普通に暮らして、特に太ることもなかったのだ。
その調子でいて、それまで履けていたパンツにむりやり体を押し込んで、その醜さに青ざめたのは記憶に新しい。
どんなに変でも私を「かわいい、きれい」と言うように訓練された夫でさえ、
「それは、やめたほうがいい」と言ったのだ。

今、そこまではいっていない。
でも、このまま放置したら、簡単にその域に行くと思う。

痩せてたのに、なんでこんなことになったのか。夫につぶやく。
「摂取した量を、身体が処理できないんでしょ」
そんなこたァわかってる。
それって結局、老化ってことだ。
若いころに戻りたいと思うこともないし、年を重ねることにとりわけ抵抗もないけれど、
少しずつ変化に気づいてしまうのは、なんかやりきれない気持ちがする。

昨日、コーちゃんのワクチン接種で動物病院に行った。
会計するとき、受付の人が夫を見て
「ミリタリーですか?割引できますけど」

と言った。ハゲなので、よく言われる。

「いや、ただのハゲでミリタリーじゃないんだよ、残念だけど」

「じゃあ、55歳以上だとかいったことも・・・・ないですよねえー」

「あー、それも違うなぁ」

背後の椅子で待っていた私は、右手を挙手しながら勢いよく立ち上がった。

「待ったぁ!それ、いただき!」

そしてめでたくシニアディスカウントをしてもらった。

「よかったね、年とってて」

ふん、ほっとけ。
いいこともなけりゃやってられんわ。