太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

クリスマスパーティ

2022-12-19 14:34:55 | 日記
金曜日の夜、職場のクリスマスパーティがあった。
一昨年はパンデミック最中でパーティは無しで、昨年は職場の庭でやったのだった。
今年は、職場の裏にあるウェディング用の場所を借りた。




午後6時、もうすぐ日が暮れる。
目の前は、800年前にハワイアンが作ったフィッシュポンド。
フィッシュポンドの真ん中から生えている大木に、夕方になるとイグレットが集まってきて、眠る。
水に囲まれているので、天敵マングースがいなくて安全なのだ。
この時間、すでに結構な数のイグレットが集まっていた。
テーブルがセットされて

ドリンクコーナーもできていた

お約束のサンタも来た。

今年は地元では有名(らしい)Brothersというコメディアンが進行役で、しじゅう笑いっぱなしの楽しいパーティだった。
みんな笑顔。
子の職場で7回目のクリスマス。この人たちと仕事ができることに改めて感謝。



クリスマスが1年の区切り、という感覚にすっかり慣れた。
それでも、慌ただしい仕事納めや、大掃除や、おせち料理やお雑煮の心配をする日本の年末がこの上なく懐かしい。



長いお別れ

2022-12-15 08:00:13 | 日記
中島京子さん著「長いお別れ」
中学の教師を経て、中学校の校長を歴任した東昇平がアルツハイマー型認知症になり、本人と家族のバタバタを描いた物語。
軽快でさばさばと描かれているので、重い悲壮感はそれほどない。
けれど、私の両親が存命中にはけして読めなかった類の小説だ。



私の父は83まで毎日会社に行き、そのあと骨折や肺炎で入院したときに一時的にせん妄状態になり、手術のあとでリハビリ施設にいたときには完全に自分で作った世界で生きていた。
会いに行くと、昨日は誰々と山を歩いてきただとかいった話を楽しそうに聞かせてくれた。
そしていつも、食事の代金をずっと払っていないから、お金を置いていってくれという。
もう全部最初に支払ってあるから心配しなくていいんだよ、と言っても、次に行った時にはまたお金の心配をする。

母は病気と、薬の副作用もあって、幻覚をよくみていたけれど、それ以外はわりとしっかりしていた。
何を恐れていたといって、祖母のように家族のことがわからなくなってしまうのが怖かった。だから両親とも、最後まで娘のことを忘れないでいてくれたことは幸せなことだったと思う。


小説の題名の「長いお別れ」は、主人公の孫が通うアメリカの学校の校長が、祖父が亡くなるまでの話を聞いて、言った言葉だ。ゆっくりお別れができてよかったね、と。
心の準備もなく、突然いなくなってしまうのはたまらなく辛い。
けれども、長いお別れのその過程には、また別の辛さがある。
私たちを常に庇護してくれていた人たちが、少しずつ、いろんなことができなくなっていくのを目の当たりにするやるせなさ。
同居していた姉が、親に対してついキツイ態度になってしまうのも無理はないと思う。

母が父の世話をできなくなって、父をリハビリ施設から直接グループホームに託すことに、最初は罪悪感があったのだけれど、後になってみれば、それでよかったと思っている。
姉が奔走し、いくつもの施設を見学して決めた所が、家から徒歩1分で、ほんとうに温かいケアをしてくれる施設であったこと。
姉家族が、日々の小さな衝突やいざこざにイライラしなくてすむようになったこと。
家族よりも優しくしてくれる人たちに囲まれていること。
親も私たちも、離れていることで互いに穏やかに接することができること。


年齢に比べて快活で元気なことが自慢だった父が、亡くなる数日前に私と夫がグループホームを訪れた時に、
「おれも年とったなあ、って思う」
と初めて弱音を吐いた。
パンデミック最中で、母に2年以上会えないまま母は逝ってしまったので、最後に母が何を思っていたのかわからない。
母が亡くなってしばらくして、姉が言った。
「最近、よくおかあさんのことを思い出したり考えたりするんだよ。私にも人間らしい気持ちがあったんだって安心した」
姉は姉で自分を責め続け、近くにいすぎることが辛かったのだ。

長いお別れができたことは、両親にとって幸せだったろうか。






ランブータン

2022-12-14 07:38:52 | 食べ物とか
ランブータンという果物のことを、ハワイに来るまで知らなかった。
ファーマーズマーケットで見かけるけれど、買ったことはない。
職場の奥にあるトロピカルガーデンで採れたランブータンを、いくつかもらった。



親指と人差し指で〇を作ったよりも大きく、てのひらの窪みに乗っかるぐらいの大きさ。
全体に柔らかい「毛」でおおわれている。
これは「毛」といっても植物の繊維のようなもの。


皮を剥くと、こんな感じ。
そう!これはまさしくデカいライチだ。
味もライチそのもの。
ランブータンがこんなに美味しかったとは。
真ん中の種は大事にとっておいて、家に帰ってから土に埋めた。
芽が出て育って、実がなったらいくらでも食べられるぞ。

「ランブータンは成長して実がなるのに15年ぐらいかかるらしいよ」

と言うのは夫。
なに!!15年!!

可愛がっていた猫を亡くした、私よりもいくらか年上の知人が、猫は飼いたいけど、最後までみてあげられるかわからないから飼えない、と言っていた。
そういわれてみれば私だって、うちのチーズケーキ達があと10年、コーちゃんは15年は生きてくれるとすると、そのあとはもう猫が寿命を全うするだけの時間が私にはないだろう。
若いころは、残された時間など考えたこともなかった。
老いたら死ぬのはわかっていても、それはどこか遠くの国の物語のようだった。
それが気がつけば、手が届くような近さに感じられる。
私もいよいよ、何かをするのに残りの時間を計算する年齢になったのだな。
果たして私は植えたランブータンを食べられるのだろうか・・・



通勤路で

2022-12-13 07:47:23 | 日記
通勤時、車で走っていて、前方の車線の上に何かが見える。
あーどうか猫じゃありませんように、と祈る。
通り過ぎるとき、見ないようにしつつ、視界の端でそれがココナツの葉だとわかって安心する。
またココナツの葉が見えてきて、風が強いからなあと思っていると、気の毒なニワトリだったりする。



海沿いを、海を右手に職場に向かう。
海に面した家々は庭先がもう海で、天然の海水プールがあるようなもの。
アラモアナで働いていた時に比べたら、渋滞も信号すらもない、こののどかな通勤路が好きだ。


左手はコオラウ山脈



ハワイには、こんなふうに公共所有の広い場所や、路肩に広がる芝生がたくさんあって、定期的に草刈りをするので常にきれいに保たれている。
犬の散歩をしたりピクニックをしたり、ただ座って景色を眺めている人もいる。


職場に向かう十数分の間に、時々私は両親のことを思う。
両親の魂が、幸せでありますようにと祈る。
そうすると、前方の路肩で、マラソン選手を応援する人みたいに両親が並んで手を振っているのが見える(ような気がする。)
ひょうきんな父は、両手を大きく振って私の名前を呼んでいる。
母はその隣で笑顔で右手を降りながら立っている。
そして、「ああ、もう両親はいないのだ」とそのたびに気づき、まだ、日本に行きさえすれば会えるような気が、どこかでしていることに呆れる。
母の死に目には会えなかったが、父には会えて、葬儀にも出られたというのに。

明日、父が他界して3年になる。





ラストスパート

2022-12-12 07:32:56 | 日記
ようやくクリスマスプレゼントの準備もできたと思っていると、なにかしら忘れたものが出て来て買いに走る。
そんな週末をいくつか過ごして、もうこれでないだろうと思っていたら、来週の義父の誕生日をすっかり失念していた。
叔父叔母や兄弟や義両親など、何でも持っている人たちにあげるものを考えるのは頭が痛い。
今年は義父には、義両親が毎週のように通うレストランのギフトカードにした。
そのレストランはノースショアにあり、ギフトカードを買うついでに朝食も食べてくることにした。
マウナロア火山の噴火の粉塵が、オアフ島までやってきて、ここのところこんなふうに霧がかかったような感じ。
私は目が痒いし、喉が痛むひとたちもいる。

サンセットビーチは、意外にも風が穏やかで、それほど大きな波もない。
朝食を待つ夫。あの暑がりが長袖を着ている!

義両親の家の中はクリスマスの用意ができている。










バスルームのタオルまでクリスマス

そして、主役のツリーも。

こういう飾りつけは、やり始めたら楽しいだろうなあとは思う。
しかし、出したら、また片づけなくちゃならないのはめんどくさい。
近所のジェイソンちは、1年中クリスマスツリーが出ているらしいけど、この目で確かめたことはない。
彼はクリスマスが好きなのねー、とシュートメは言うが、実は出したり片づけたりするのが面倒なだけではないか、と私は思っている。

この時期、うちの猫たちは義両親側の家には立ち入り禁止。
猫が3匹いたら、ツリーは倒れ、鳥の人形や置物などたちまち床に落ちてるし、ミニチュアビレッジなんか、馬車の馬の脚は折れて、竜巻の通った後みたいになるに決まっている。
猫がいるからうちは何も飾れないのよぅー、という、私のうまい言い訳。