プリンターは滅多に使わないので、普段はクロゼットの中に置いてある。
昨日、コピーしたいものがあり、プリンターを取り出した。
コンセントを差し込み、蓋をあけようとして異変に気付いた。
何かが蓋の上をうごめいている・・・・・
よく見れば、黒いプリンターの蓋の上を、夥しい数のアリがうごめいていた。
蠢く、という漢字はよくできてる。春に虫がいっぱいだもの。
なんてなことを言ってる場合じゃない。バスルームにある、99.9%バクテリアをやっつけるというスプレーを振りかけた。
コロナウィルス蔓延とともによく見かけるようになったこういうスプレーは、アリもイチコロなのだ。
そして蓋を開けた私は思わず尻もちをつくところだった。
「ヒィッッッッッッッ!!!!!!!」
コピーやスキャンする紙を置くガラスの下を、更に夥しい数のアリが占領しており、卵を運んでいた。
インクカートリッジを取り付けるところにも、その下にも、とにかくあらゆるところがアリだらけで、それはもう既にプリンターではなくアリの巣。
小学生の頃、夏休みに水槽に土を入れてアリの巣の観察なんかをやったのを思い出す。
いや、思い出してる場合じゃない。
プリンターごと外に持って行き、掃除機で吸ったり、ブラシをかけたりしてアリを払ったが後から後から出てくる。
ガラスを外したいのだけれど、どうやったら開くのかがわからない。
小さなビスのようなものが4つあるのだが、特殊な形の道具でないと開かない模様。
シュートメがやってきて、
「オーマイガー!」
義父までやってきて、シロアリ方法でやろうということになり、
大きなゴミ袋の中に殺虫スプレーを吹きかけてから、プリンターを入れ、さらにスプレーをして袋の口を堅く閉じた。
帰宅した夫に事の顛末を説明すると、
「そりゃもう新しいの買うしかないよ」
と言う。
店に持ち込んで、ガラス蓋を開けてもらったとする。
中をきれいにしても、機械のどこかに少しでも残っていれば故障の元になるだろう、というのだ。
今年、アリがすごいのだ。
義両親の家の暖炉にも、大量に発生したし、キッチンにも定期的に出現するのでトラップを置いている。
しかしまさか洋服のクロゼットにいるとは。
ほかにいくらでも場所があるのに、なんでこんなところに巣を作るのか。
まったく腹立たしいったらない。
昨夜の寝入りばな。
コンコン、コン
とガラスを叩く音がした。
方角からすると、天井に近い。
こんな時間に誰よ。
てか、ここ2階なんだけど・・・・
それも天井、って言ったって3m以上はあって、足場にする屋根も下にはない。
こんな台形風の、はめ込み窓だ。
ゲッコー(やもり)はよく張り付いているが、彼らは鳴く以外の音をたてない。
モンキーポッドの実が落ちてガラスに当たったにしては規則的すぎる。
何か固いもので窓を叩くような音。
そう、ちょうど指の関節でドアをノックするように・・・・・・
私が何か言う前に夫が、
「No thank you, Bye bye」
と言った。
すると再び、
コン、コン
「Bye bye~~~」
「なに!だ、誰に言ったの?!」
「知らない」
いやいや、怖いでしょ、それ。
猫は見えないものが見えるというので、ベッドの上にいる猫を見たら、3匹ともそれぞれの位置でのんびり寝ている。
そうだ、これは鳥だ。そうに違いない。
「キツツキだね、キツツキ」
「ハワイにキツツキなんかいやしないよ」
そんなこあたぁわかってる!
何かのせいにして安心して寝ようとしているだけじゃないかあ。
「そうだ、フクロウだ。フクロウなら夜目もきくし」
フクロウなら、実際にいる。ハリーポッターの映画に出てくるのに似た白いの。
夜しか出ないので見たことはないが、鳴き声は聞く。
夫はもう聞いておらず、いびきをかいて寝てしまった。
結局、あれは何だったのか。
今夜も来たらどうしよう。
アメリカと日本とでは、当然、価値観や物事のとらえ方が違う。
最初はそれに驚き、時に困惑し、慣れてくると「なるほどねぇー」とニヤニヤするようになる。
今日はちょっとビロウな話。
日本人は、オナラは恥ずかしいという観念がある。
トイレで用足しするときの音も、恥ずかしいと思う人が多い。
鼻をすする音は、気になりはしても「悪」ではない。
ゲップは、まあ下品、と思われるぐらい。
麺をすする音は、美味しさのひとつだとさえ思われている。
アメリカ人は、オナラはとりたてて恥ずかしいものではない。
友人と一緒にいるときに「Puー」と出てしまったら、「エクスキューズミー」と言っておしまい。
トイレに至っては自由奔放、音天国である。
大柄な黒人女性がトイレの個室で、ブ―――――ッ!とやる。
「Oh!!My!!」
ボフッッ!ブリッ!!とでかいのが続く。
「エクスキューズ ミーッ!」
だから、日本の『音姫』といったものは、まったくもってアメリカでは存在価値がない。
鼻をすするのは、とっても気になる、という人が多い。
数回すすっていると、「鼻、かんだら?」と言われる。
彼らはいつでもどこでも鼻をかむ。それもハンカチやタオルで。
鼻をかんだハンカチは、そのままポケットに戻される。そのハンカチがどうなるのか、私は気が気でない。
ゲップや、食べる時の音は、これはもう完全なる「悪」である。
ちょっといいレストランで、もし隣のテーブルにそういう人がいたら、マネージャーを呼んでテーブルを替えてもらうだろう。
夫は親日家であるので、蕎麦など豪快に音を立てて食べるけれど、義両親はどうしてもそれができない。
わかっていても、身体にしみこんだ習性で、すすることができないのだろう。
それは日本人に、堂々とオナラをしてもよい、と言うようなものではないだろうか。
このように、アメリカ人は上半身から出る音には厳しいが、下半身の音には寛容であり、日本人はその逆である。
という、どーでもいい私の考察。
必要なものが見つからないとき、ほんとに困る。
探す時間がないときは特に。
昨日の朝、玄関のドアを施錠して、車に乗ろうとしたら車の鍵がない。
家の鍵と車の鍵は、ひとつのキーホルダーについており、その車の鍵だけがないのである。
家に戻り、鍵の置き場を確認し、車から玄関の間の地面を探す。
いつもギリギリに家を出るので、悠長に探している暇などない。とりあえずスペアキーを掴んで、家を出た。
道々、最後に車を使ったときの行動を顧みる。
前の日、私はジュディスの家に行ったあと、ギャラリーに行って、4時ごろ帰宅したから、4時には車の鍵はあった。
鍵束を使って玄関を開け、たぶん一旦テーブルに置いてから、猫たちに挨拶して、いつもの鍵置き場に置いたと思う。
その間の、どこで車の鍵だけが抜け落ちたのか。
昨日は通勤バッグを使ったので、信号待ちのときにバッグの中を探してみたが、ない。
しかし、ものぐさズボラの私が、ちゃんとスペアキーを保管していたのは奇跡で、自分に感謝した。
さて、探し物に困ったときは、この方。
大天使のチャミュエルさん。
私は過去、どれだけこの人(?)に助けられてきたか知れない。(その辺の記事はコチラ)
信じるもよし、「ンなことあるかぃ」と笑い飛ばすもよし。
私は車の中で
「大天使チャミュエーール!車の鍵のありかを教えてえーーー!!」
と大声で叫び、あとは鍵のことは忘れて仕事をしていた。
1日の仕事が終わり、帰り支度をしていたとき、サブバッグにしている布バッグの底に車の鍵を見つけた。
「なんで????」
通勤にはメインのバッグと、その他のものを入れる布バッグを持っていく。
布バッグは仕事にしか使わず、家にあるときにはデスクの椅子の背にひっかけてある。(ズボラーがやることの定番)
前の日はメインのバッグだけ使ったから、布バッグはずっと家にあったはずだ。
テ、テレポーテーション・・・・てやつ?
何がなんだかよくわからないけど、とにかく見つかってめでたし。
「チャミュエルさーん、ありがとうッ!!」
帰りの車の中で、お礼を言った。
夫が帰宅したらこの話をしなくちゃ、と思いつつ家に帰ったら、玄関のドアがあいていた。
車の鍵のことで頭がいっぱいで、施錠しないで出かけた模様・・・・
出がけには少し余裕をもとう
今年最初の教訓である。