日枝神社から徒歩で豊川稲荷東京別院へ。
しかし、本来は道を左に曲がれば良いのに、
真っすぐ行ってしまった。
【弁慶濠】
釣りをしている人達がいた。
都会で釣りなんて乙なもんですね。
【ホテルニューオータニ東京】
道を間違えてるとも知らずに進むとニューオータニ東京に着いてしまった。
ここでようやく道を間違えていることに気づいて、
ニューオータニの日本庭園を少し見学することにした。
このホテルニューオータニ東京は宝くじの高額当選しない限り、
私には全く無縁のホテルです。
所在地:東京都千代田区紀尾井町5-2
拝観料:無料
【歴史】
江戸時代初期、この地には朝鮮で虎退治をしたという伝説で知られる
武将加藤清正の下屋敷がありました。
そして二代・忠広の時に加藤家が改易になったのを機に、
この屋敷は井伊家へと引き継がれ、幕末まで中屋敷として使用されました。
その後、伏見宮邸宅となり美しい庭園として知られるようになりました。
第二次大戦後、伏見宮家がここを手放すにあたり、外国人の手に渡ろうとしたのを、
ホテルニューオータニ創業者である故大谷米太郎が、
この由緒ある土地を外国に売り渡すのは惜しいとして 買い取って自邸とし、
荒れ果てた庭を大谷米太郎自ら陣頭指揮して改修しました。
大谷米太郎は政府の依頼に応じて、東京オリンピックの為、
この地にホテルニューオータニを建設。
こうして日本庭園はホテルニューオータニの一部となったのです。
【近江藩井伊家屋敷跡】
少し歩いていると近江藩井伊家屋敷跡の石柱があった。
主に隠居や世継ぎなどが暮らした中屋敷跡です。
ちなみに藩主とその妻子が暮らしたのが上屋敷です。
【なだ万 山茶花荘】
ここも私には無関係のお店です。
昼間から2万5千円オーバーなんて庶民には無理。(^^;
ホテルニューオータニの創業者大谷米太郎の自宅だった建物だそうです。
【もみじ亭】
鉄板焼きのお店。
ランチで8千円オーバーです。
ここは庶民でも無理すればいけます。(笑)
【十三重の塔】
南北朝時代作。
【日本庭園】
優雅に鯉が泳いでいましたが、
水が循環式なんで水が臭かったです。(^^;
【鷺】
日本庭園は他にも見所があったが、
豊川稲荷東京別院が私を待っている。
急ごう。
しかし、本来は道を左に曲がれば良いのに、
真っすぐ行ってしまった。
【弁慶濠】
釣りをしている人達がいた。
都会で釣りなんて乙なもんですね。
【ホテルニューオータニ東京】
道を間違えてるとも知らずに進むとニューオータニ東京に着いてしまった。
ここでようやく道を間違えていることに気づいて、
ニューオータニの日本庭園を少し見学することにした。
このホテルニューオータニ東京は宝くじの高額当選しない限り、
私には全く無縁のホテルです。
所在地:東京都千代田区紀尾井町5-2
拝観料:無料
【歴史】
江戸時代初期、この地には朝鮮で虎退治をしたという伝説で知られる
武将加藤清正の下屋敷がありました。
そして二代・忠広の時に加藤家が改易になったのを機に、
この屋敷は井伊家へと引き継がれ、幕末まで中屋敷として使用されました。
その後、伏見宮邸宅となり美しい庭園として知られるようになりました。
第二次大戦後、伏見宮家がここを手放すにあたり、外国人の手に渡ろうとしたのを、
ホテルニューオータニ創業者である故大谷米太郎が、
この由緒ある土地を外国に売り渡すのは惜しいとして 買い取って自邸とし、
荒れ果てた庭を大谷米太郎自ら陣頭指揮して改修しました。
大谷米太郎は政府の依頼に応じて、東京オリンピックの為、
この地にホテルニューオータニを建設。
こうして日本庭園はホテルニューオータニの一部となったのです。
【近江藩井伊家屋敷跡】
少し歩いていると近江藩井伊家屋敷跡の石柱があった。
主に隠居や世継ぎなどが暮らした中屋敷跡です。
ちなみに藩主とその妻子が暮らしたのが上屋敷です。
【なだ万 山茶花荘】
ここも私には無関係のお店です。
昼間から2万5千円オーバーなんて庶民には無理。(^^;
ホテルニューオータニの創業者大谷米太郎の自宅だった建物だそうです。
【もみじ亭】
鉄板焼きのお店。
ランチで8千円オーバーです。
ここは庶民でも無理すればいけます。(笑)
【十三重の塔】
南北朝時代作。
【日本庭園】
優雅に鯉が泳いでいましたが、
水が循環式なんで水が臭かったです。(^^;
【鷺】
日本庭園は他にも見所があったが、
豊川稲荷東京別院が私を待っている。
急ごう。