長谷寺界隈から次なる参拝地の三輪へ。
奈良県の三輪と言えば三輪そうめんか大神神社ですが、
平等寺という古寺があります。
こちらは悪法の廃仏毀釈により完膚なきまで潰されたが、
現御住職の並々ならぬご尽力により復興された不死鳥のお寺です。
本堂の内陣拝観は事前予約が必要ということで、
急遽、長谷寺に居る時に電話予約成功。
お寺まであと少しというところで、
道が超絶細くなって対向車が来たらと心配するどころか、
このまま進んでも大丈夫かと思うような道があるからたまらない。
初めて行く人はそれなりの御覚悟を。(笑)
車をお寺の研修道場前の無料駐車場に停めて参拝開始。
所在地:奈良県桜井市三輪38
宗派:曹洞宗
御本尊:十一面観音菩薩
開基:伝・聖徳太子
札所:大和北部八十八ヶ所霊場
【縁起】
伝承によれば聖徳太子の開基、慶円の中興とされている。
大三輪町史は平等寺以前の大三輪寺遍照院の存在から空海開基説の存在も述べている。
平等寺が前述資料に明確に現れてくるのは鎌倉時代以降であり、
初見は弥勒如来感応抄草の嘉禎2年(1236)である。
同書によれば慶円によって三輪神社の傍らに真言灌頂の道場が建立され、
その道場が三輪別所であった。
この当時、平等寺が存在して三輪別所と呼称されており、
その後比較的早い時期に平等寺という寺号で呼ばれることとなったことは確実であり、
これが現在史料で明確に確認できる最古の例である。
鎌倉末期から明治の廃仏毀釈までは、三輪明神の別当寺の地位にたっていた。
一方で大乗院寺社雑事記には興福寺が平等寺に御用銭を課していることが見られ、
大和国の他の寺院同様、興福寺の末寺でもあった。
また、同時に修験道を伝えていたことから、醍醐寺との関係も保持していた。
江戸時代には興福寺の支配を離れ、真言宗の寺院となりつつも修験道も伝えていた。
平等寺は内供といって皇室の祈願をするお寺であった。
平等寺は南都大乗院の末寺であるが、
大峰勤行の寺院でもあって高野山金剛峰寺と同格であった。
神仏分離の太政官布告が出され明治3年(1870)年には、
平等寺は大御輪寺、浄願寺と共に三輪神社の神官が管理するにいたり、
堂舎は破壊され廃止となる。
廃仏毀釈の直後、小西家より現境内地の寄進を受け、
廃仏毀釈前の平等寺住職・覚信和尚と町内有志18名が塔頭の一部を境内に移し、
本尊十一面観世音菩薩、三輪不動尊、慶円上人像、仏足石等を守り、
曹洞宗慶田寺住職・梁天和尚が翠松庵の寺号を移し曹洞宗に改宗し法灯を護持した。
昭和52年(1977)曹洞宗の寺院三輪山平等寺として再興した。
丸子孝法の16年間の托鉢によって現在は伽藍も復元されている。
【山門】
旧平等寺の唯一のものだそうです。
【鐘楼堂】
昭和62年(1987)再建されたもの。
【聖徳太子】
【寺務所】
【境内】
【本堂】
昭和62年(1987)再建されたものですが、
節約の為に後住職が設計されたそうです。
早速御住職に導かれ本堂内陣に入堂。
私のような予約者がいる時は運が良ければ、
予約無くても一緒に入れますよ。
【内陣】
荘厳な雰囲気がとても良い。
写真は御住職の了承を得ております。
【十一面観世音菩薩】
御前立の仏様ですが、どこかで見たことあるよなぁと思っていたら、
それもそのはず、聖林寺の国宝十一面観音菩薩の写しです。
聖林寺の倉本弘玄住職より十一面観音に関する文化財の資料を頂いて、
本堂再建時と同時に建立されたもの。
【内陣】
中央の宮殿には平安時代作御本尊の十一面観音菩薩が祀られています。
時代によっては阿弥陀如来とされる不思議な仏様です。
【四天王】
【薬師如来】
【阿弥陀如来】
【中興開山慶円禅観大和尚】
【弘法大師】
【釈迦如来真像】
【誕生仏】
これにて内陣の拝観終了。
御住職がお話好きなのか、他の参拝者と一緒に一時間ぐらい、
お茶菓子をいただきながら談笑しました。
【二重塔釈迦堂】
境内に塔があるととても良く見えるから良い。
平成16年(2004)に800年ぶりに再建されたもので、
中央に生身釈迦、平等寺仏足石、Dharmarajika寺院(バングラデシュ)伝来の仏舎利が祀られているとか。
【十六羅漢】
二重塔のまわりに十六羅漢が安置されていますが、
物凄いインパクトのある羅漢さんが。
【羅怙羅尊者】
釈迦の実子で十大弟子であり十六羅漢の一人。
裂いた胸から顔が見えますがお釈迦様だとか。
どんな人の心にも仏は宿るということを表現しているそうだが、
その発想が凄いですね。
しかし胸のお釈迦様を見るとアフロっぽい頭してますね。(笑)
【不動堂】
弘法大師御自作と伝えられる三輪不動尊と役行者、理源大師が祀られています。
【波切堂】
【十一面観音菩薩】
【稲荷社】
【赤門】
昭和51年(1976)に現御住職が建立されたもの。
【御朱印】
これにて平等寺の参拝終了。
お寺はやはり内陣に入ってこそですね。
また御住職のお話を聞けることはとても有益です。
御住職のお寺再建に向けた努力や執念は尊敬出来ます。
私も見習わなければ。
奈良県の三輪と言えば三輪そうめんか大神神社ですが、
平等寺という古寺があります。
こちらは悪法の廃仏毀釈により完膚なきまで潰されたが、
現御住職の並々ならぬご尽力により復興された不死鳥のお寺です。
本堂の内陣拝観は事前予約が必要ということで、
急遽、長谷寺に居る時に電話予約成功。
お寺まであと少しというところで、
道が超絶細くなって対向車が来たらと心配するどころか、
このまま進んでも大丈夫かと思うような道があるからたまらない。
初めて行く人はそれなりの御覚悟を。(笑)
車をお寺の研修道場前の無料駐車場に停めて参拝開始。
所在地:奈良県桜井市三輪38
宗派:曹洞宗
御本尊:十一面観音菩薩
開基:伝・聖徳太子
札所:大和北部八十八ヶ所霊場
【縁起】
伝承によれば聖徳太子の開基、慶円の中興とされている。
大三輪町史は平等寺以前の大三輪寺遍照院の存在から空海開基説の存在も述べている。
平等寺が前述資料に明確に現れてくるのは鎌倉時代以降であり、
初見は弥勒如来感応抄草の嘉禎2年(1236)である。
同書によれば慶円によって三輪神社の傍らに真言灌頂の道場が建立され、
その道場が三輪別所であった。
この当時、平等寺が存在して三輪別所と呼称されており、
その後比較的早い時期に平等寺という寺号で呼ばれることとなったことは確実であり、
これが現在史料で明確に確認できる最古の例である。
鎌倉末期から明治の廃仏毀釈までは、三輪明神の別当寺の地位にたっていた。
一方で大乗院寺社雑事記には興福寺が平等寺に御用銭を課していることが見られ、
大和国の他の寺院同様、興福寺の末寺でもあった。
また、同時に修験道を伝えていたことから、醍醐寺との関係も保持していた。
江戸時代には興福寺の支配を離れ、真言宗の寺院となりつつも修験道も伝えていた。
平等寺は内供といって皇室の祈願をするお寺であった。
平等寺は南都大乗院の末寺であるが、
大峰勤行の寺院でもあって高野山金剛峰寺と同格であった。
神仏分離の太政官布告が出され明治3年(1870)年には、
平等寺は大御輪寺、浄願寺と共に三輪神社の神官が管理するにいたり、
堂舎は破壊され廃止となる。
廃仏毀釈の直後、小西家より現境内地の寄進を受け、
廃仏毀釈前の平等寺住職・覚信和尚と町内有志18名が塔頭の一部を境内に移し、
本尊十一面観世音菩薩、三輪不動尊、慶円上人像、仏足石等を守り、
曹洞宗慶田寺住職・梁天和尚が翠松庵の寺号を移し曹洞宗に改宗し法灯を護持した。
昭和52年(1977)曹洞宗の寺院三輪山平等寺として再興した。
丸子孝法の16年間の托鉢によって現在は伽藍も復元されている。
【山門】
旧平等寺の唯一のものだそうです。
【鐘楼堂】
昭和62年(1987)再建されたもの。
【聖徳太子】
【寺務所】
【境内】
【本堂】
昭和62年(1987)再建されたものですが、
節約の為に後住職が設計されたそうです。
早速御住職に導かれ本堂内陣に入堂。
私のような予約者がいる時は運が良ければ、
予約無くても一緒に入れますよ。
【内陣】
荘厳な雰囲気がとても良い。
写真は御住職の了承を得ております。
【十一面観世音菩薩】
御前立の仏様ですが、どこかで見たことあるよなぁと思っていたら、
それもそのはず、聖林寺の国宝十一面観音菩薩の写しです。
聖林寺の倉本弘玄住職より十一面観音に関する文化財の資料を頂いて、
本堂再建時と同時に建立されたもの。
【内陣】
中央の宮殿には平安時代作御本尊の十一面観音菩薩が祀られています。
時代によっては阿弥陀如来とされる不思議な仏様です。
【四天王】
【薬師如来】
【阿弥陀如来】
【中興開山慶円禅観大和尚】
【弘法大師】
【釈迦如来真像】
【誕生仏】
これにて内陣の拝観終了。
御住職がお話好きなのか、他の参拝者と一緒に一時間ぐらい、
お茶菓子をいただきながら談笑しました。
【二重塔釈迦堂】
境内に塔があるととても良く見えるから良い。
平成16年(2004)に800年ぶりに再建されたもので、
中央に生身釈迦、平等寺仏足石、Dharmarajika寺院(バングラデシュ)伝来の仏舎利が祀られているとか。
【十六羅漢】
二重塔のまわりに十六羅漢が安置されていますが、
物凄いインパクトのある羅漢さんが。
【羅怙羅尊者】
釈迦の実子で十大弟子であり十六羅漢の一人。
裂いた胸から顔が見えますがお釈迦様だとか。
どんな人の心にも仏は宿るということを表現しているそうだが、
その発想が凄いですね。
しかし胸のお釈迦様を見るとアフロっぽい頭してますね。(笑)
【不動堂】
弘法大師御自作と伝えられる三輪不動尊と役行者、理源大師が祀られています。
【波切堂】
【十一面観音菩薩】
【稲荷社】
【赤門】
昭和51年(1976)に現御住職が建立されたもの。
【御朱印】
これにて平等寺の参拝終了。
お寺はやはり内陣に入ってこそですね。
また御住職のお話を聞けることはとても有益です。
御住職のお寺再建に向けた努力や執念は尊敬出来ます。
私も見習わなければ。