続いて津照寺から海を見ながらひたすら55号線を走る。
この55号線が本当に走り易い道で良いのだが、
食べ物屋どころかコンビニすら無い。(^^;
当然ながらガソリンスタンドも無い。(汗)
残量が半分以下なら即入れておけ!というレベル。
北海道も確かこんな感じだったな。(苦笑)
そんな55号線を25キロ走って奈半利という場所でコンビニ発見。(笑)
この辺りは少し栄えていて、
北川村モネの庭マルモッタンや岡御殿という観光スポットがあります。
勿論華麗にスルーしてお遍路札所の神峯寺へ走る。
約10キロ程走ると物凄い山道になって、
結構手に汗握るドライブでしたが何とか駐車場に到着。
昔は駐車場までの道が無くて難所だったらしいが、
ご住職や建設業者の尽力によりルートが出来たそうです。
そんな理由もあり駐車場料金は必須です。
確か300円だったような。
所在地:高知県安芸郡安田町唐浜2594
宗派:真言宗豊山派
御本尊:十一面観音菩薩
創建:(伝)天平2年(730)
開基:(伝)行基菩薩
勅願:聖武天皇
札所:四国八十八ヵ所霊場
【縁起】
寺伝によれば神功皇后が朝鮮半島進出の戦勝を祈願し、
天照大神を祀った神社が起源とされ、天平2年(730)に聖武天皇の勅願を受けて、
行基菩薩が十一面観世音菩薩を刻み、本尊として神仏合祀し開創したという。
その後大同4年(809)に弘法大師が堂宇を建立し観音堂と名付けたとされている。
その後、堂塔が多くあったが、元和年間(1615~1624)火災によりすべて焼失、
その後、本堂と大師堂と鎮守社のみ再建され、
十一面観音菩薩も麓にあって廃寺になっていた別当の神峯寺から納めて復調する。
しかし、険しい山中の札所ゆえ別当になっていた麓の常行禅寺や、
前札所の養心庵で遥拝し納経するものも多かった。
明治初年の神仏分離令によって神峯神社だけが残り、寺院としての部分は廃寺となり、
本尊と札所は金剛頂寺に預けられ、金剛頂寺で納経をしていたが、
明治20年(1887年)もとの憎坊跡に堂舎を建立し本尊と札所を帰還させ再興した。
大正元年には茨城県稲敷郡朝日村の真言宗地蔵院の寺格を移し、
そして、昭和に入って、それまでの神峯から神峯寺と称するようになった。
【野菜うどん】
駐車場横にあるドライブイン27神峯店で軽く昼食。
出汁とうどんは美味かったが、
肝心の野菜が火が通って無く生煮えで堅かった。(泣)
【山門】
立派な山門です。
【参道】
これは予想以上広そうな境内です。
微妙に疲れる登り。
【寺号石標】
【鐘楼堂】
【庭園】
【石段】
本堂と大師堂は上に登らないといけないらしい。(^^;
これはハァハァ確実や。
【境内】
お寺はめっちゃ山奥にあります。
あれが本堂と大師堂かな。
【不動明王】
【みちびき弘法大師】
【聖観音堂】
大師堂かと思ったが、
元大師堂で現在は聖観音堂だそうです。
【本堂】
実に渋い本堂です。
大師堂は更に上に登るとあるらしい。
行ってみましょう。
【大師堂】
かなり立派なもので参拝した時は、
こっちが本堂だと思っていたのは此処だけの話。(^^;
【お迎え大師】
【御朱印】
この55号線が本当に走り易い道で良いのだが、
食べ物屋どころかコンビニすら無い。(^^;
当然ながらガソリンスタンドも無い。(汗)
残量が半分以下なら即入れておけ!というレベル。
北海道も確かこんな感じだったな。(苦笑)
そんな55号線を25キロ走って奈半利という場所でコンビニ発見。(笑)
この辺りは少し栄えていて、
北川村モネの庭マルモッタンや岡御殿という観光スポットがあります。
勿論華麗にスルーしてお遍路札所の神峯寺へ走る。
約10キロ程走ると物凄い山道になって、
結構手に汗握るドライブでしたが何とか駐車場に到着。
昔は駐車場までの道が無くて難所だったらしいが、
ご住職や建設業者の尽力によりルートが出来たそうです。
そんな理由もあり駐車場料金は必須です。
確か300円だったような。
所在地:高知県安芸郡安田町唐浜2594
宗派:真言宗豊山派
御本尊:十一面観音菩薩
創建:(伝)天平2年(730)
開基:(伝)行基菩薩
勅願:聖武天皇
札所:四国八十八ヵ所霊場
【縁起】
寺伝によれば神功皇后が朝鮮半島進出の戦勝を祈願し、
天照大神を祀った神社が起源とされ、天平2年(730)に聖武天皇の勅願を受けて、
行基菩薩が十一面観世音菩薩を刻み、本尊として神仏合祀し開創したという。
その後大同4年(809)に弘法大師が堂宇を建立し観音堂と名付けたとされている。
その後、堂塔が多くあったが、元和年間(1615~1624)火災によりすべて焼失、
その後、本堂と大師堂と鎮守社のみ再建され、
十一面観音菩薩も麓にあって廃寺になっていた別当の神峯寺から納めて復調する。
しかし、険しい山中の札所ゆえ別当になっていた麓の常行禅寺や、
前札所の養心庵で遥拝し納経するものも多かった。
明治初年の神仏分離令によって神峯神社だけが残り、寺院としての部分は廃寺となり、
本尊と札所は金剛頂寺に預けられ、金剛頂寺で納経をしていたが、
明治20年(1887年)もとの憎坊跡に堂舎を建立し本尊と札所を帰還させ再興した。
大正元年には茨城県稲敷郡朝日村の真言宗地蔵院の寺格を移し、
そして、昭和に入って、それまでの神峯から神峯寺と称するようになった。
【野菜うどん】
駐車場横にあるドライブイン27神峯店で軽く昼食。
出汁とうどんは美味かったが、
肝心の野菜が火が通って無く生煮えで堅かった。(泣)
【山門】
立派な山門です。
【参道】
これは予想以上広そうな境内です。
微妙に疲れる登り。
【寺号石標】
【鐘楼堂】
【庭園】
【石段】
本堂と大師堂は上に登らないといけないらしい。(^^;
これはハァハァ確実や。
【境内】
お寺はめっちゃ山奥にあります。
あれが本堂と大師堂かな。
【不動明王】
【みちびき弘法大師】
【聖観音堂】
大師堂かと思ったが、
元大師堂で現在は聖観音堂だそうです。
【本堂】
実に渋い本堂です。
大師堂は更に上に登るとあるらしい。
行ってみましょう。
【大師堂】
かなり立派なもので参拝した時は、
こっちが本堂だと思っていたのは此処だけの話。(^^;
【お迎え大師】
【御朱印】