続いて参拝する報恩寺は有名な千本釈迦堂こと大報恩寺とは、
勿論違うお寺で余り有名なお寺ではありません。
何せ普段非公開寺院ですから仕方ありません。
だが報恩寺はある戦国武将臨終のお寺だという。
マジか?
全然知らんかったわ。
何故、そんな有名武将臨終の地になったかというと、
寺伝によると9世住持の甫公は豊臣秀吉の叔父であったといい、
秀吉の邸宅旧地を賜った縁があるからだろう。
そんな無名ながら凄いお寺は先に述べたように、
寅年の正月三が日以外は非公開です。
しかし、今回まるごと美術館に参加され公開するというではないか。
これはもう参拝するしかないでしょ!
所在地:京都府京都市上京区小川通寺之内下ル射場町579
宗派:浄土宗
御本尊:阿弥陀如来
創建:室町時代
開山:不明
札所:京の通称寺霊場
【縁起】
鳴虎の報恩寺といわれるこの寺は尭天山と号し浄土宗に属します。
中国の画人四明陶佾が描く猛虎の絵を豊臣秀吉の所望により、
聚楽第の床へ飾ったところ、夜中に虎の鳴き声が聞こえ、
秀吉は一晩中安眠出来ずすぐに寺へ戻されたことから鳴虎として有名になりました。
この絵は寅年の正月三が日に限り公開されます。
寺伝では室町時代一条高倉に開創したとあり、
法園寺または法音寺という天台・浄土兼学の寺でしたが、
文亀元年(1501)後柏原天皇の勅で慶譽が堀川今出川の舟橋の地に再興し、
浄土宗報恩寺と改めました。
天正13年(1585)秀吉によって現在の地に移されますが、
享保・天明の大火に類焼しています。
重要文化財の梵鐘はその由来を明らかではありませんが、
高い笠形、肩すぼまりの形態、乳の形、
八角素弁小形の撞座2個が龍頭の方向と直交している等、
奈良時代以来の古式を残す平安時代の鐘です。
池の間には金剛界四仏を籠字の梵字であらわし、
その下に梵文の真言を刻んでいる珍しい意匠です。
門前の石橋には慶長7年(1602)架橋の刻銘があり、
本法寺の石橋とともに今は埋められた小川の名残を止める貴重な遺産です。
【山門】
無料駐車場が10分ほどありました。
【稲荷社】
【狛狐】
【地蔵堂】
【鐘楼堂】
これが重要文化財の鐘楼です。
【御堂】
賓頭盧頗羅堕闍尊者が祀られていました。
【境内】
【庭園】
【求楽庵】
【手水鉢】
【石塔】
【賀陽宮墓】
第111代後西天皇皇女の墓。
僅か9歳という若さが悲しい。
もとは報恩寺塔頭・光珠院にあったものが、
明治時代に宮内庁管轄になったそうです。
【本堂】
【庫裏】
こちらが拝観入口です。
拝観料800円を支払い中へ。
【書院】
【床の間】
【生け花】
花瓶は備前焼と見ました。
さて、いよいよ本堂へ。
堂内に案内係の方がいらっしゃって説明をしてくれました。
まずは御本尊ですが快慶作と伝わる美麗な阿弥陀様でした。
確かに快慶作と言われれば頷くしかないですね。
撮影禁止なのが残念で仕方ない。
そして本堂向かって左側が黒田長政薨去の間で、
黒田官兵衛と長政の位牌がありました。
何故ここに位牌があるかというと、
徳川家光の三代将軍宣下の先遣として上洛し、
位牌寺である報恩寺で元和9年(1623)8月4日に病没した為。
ここで黒田長政が死んだのかぁと思ったら、
何とも言えない気持ちになりました。
残念ながら位牌も撮影禁止でした。
【庭園】
本堂前の庭園です。
このフクロウは何故?
【御朱印】
紅葉は報恩寺のものを貼りました。
勿論違うお寺で余り有名なお寺ではありません。
何せ普段非公開寺院ですから仕方ありません。
だが報恩寺はある戦国武将臨終のお寺だという。
マジか?
全然知らんかったわ。
何故、そんな有名武将臨終の地になったかというと、
寺伝によると9世住持の甫公は豊臣秀吉の叔父であったといい、
秀吉の邸宅旧地を賜った縁があるからだろう。
そんな無名ながら凄いお寺は先に述べたように、
寅年の正月三が日以外は非公開です。
しかし、今回まるごと美術館に参加され公開するというではないか。
これはもう参拝するしかないでしょ!
所在地:京都府京都市上京区小川通寺之内下ル射場町579
宗派:浄土宗
御本尊:阿弥陀如来
創建:室町時代
開山:不明
札所:京の通称寺霊場
【縁起】
鳴虎の報恩寺といわれるこの寺は尭天山と号し浄土宗に属します。
中国の画人四明陶佾が描く猛虎の絵を豊臣秀吉の所望により、
聚楽第の床へ飾ったところ、夜中に虎の鳴き声が聞こえ、
秀吉は一晩中安眠出来ずすぐに寺へ戻されたことから鳴虎として有名になりました。
この絵は寅年の正月三が日に限り公開されます。
寺伝では室町時代一条高倉に開創したとあり、
法園寺または法音寺という天台・浄土兼学の寺でしたが、
文亀元年(1501)後柏原天皇の勅で慶譽が堀川今出川の舟橋の地に再興し、
浄土宗報恩寺と改めました。
天正13年(1585)秀吉によって現在の地に移されますが、
享保・天明の大火に類焼しています。
重要文化財の梵鐘はその由来を明らかではありませんが、
高い笠形、肩すぼまりの形態、乳の形、
八角素弁小形の撞座2個が龍頭の方向と直交している等、
奈良時代以来の古式を残す平安時代の鐘です。
池の間には金剛界四仏を籠字の梵字であらわし、
その下に梵文の真言を刻んでいる珍しい意匠です。
門前の石橋には慶長7年(1602)架橋の刻銘があり、
本法寺の石橋とともに今は埋められた小川の名残を止める貴重な遺産です。
【山門】
無料駐車場が10分ほどありました。
【稲荷社】
【狛狐】
【地蔵堂】
【鐘楼堂】
これが重要文化財の鐘楼です。
【御堂】
賓頭盧頗羅堕闍尊者が祀られていました。
【境内】
【庭園】
【求楽庵】
【手水鉢】
【石塔】
【賀陽宮墓】
第111代後西天皇皇女の墓。
僅か9歳という若さが悲しい。
もとは報恩寺塔頭・光珠院にあったものが、
明治時代に宮内庁管轄になったそうです。
【本堂】
【庫裏】
こちらが拝観入口です。
拝観料800円を支払い中へ。
【書院】
【床の間】
【生け花】
花瓶は備前焼と見ました。
さて、いよいよ本堂へ。
堂内に案内係の方がいらっしゃって説明をしてくれました。
まずは御本尊ですが快慶作と伝わる美麗な阿弥陀様でした。
確かに快慶作と言われれば頷くしかないですね。
撮影禁止なのが残念で仕方ない。
そして本堂向かって左側が黒田長政薨去の間で、
黒田官兵衛と長政の位牌がありました。
何故ここに位牌があるかというと、
徳川家光の三代将軍宣下の先遣として上洛し、
位牌寺である報恩寺で元和9年(1623)8月4日に病没した為。
ここで黒田長政が死んだのかぁと思ったら、
何とも言えない気持ちになりました。
残念ながら位牌も撮影禁止でした。
【庭園】
本堂前の庭園です。
このフクロウは何故?
【御朱印】
紅葉は報恩寺のものを貼りました。