亀戸香取神社から歩いて5分ぐらいでしょうか、
亀戸七福神札所の一つである普門院に到着。
このお寺はネットでは廃寺とか薄気味悪いとか、
荒れ放題とかいろいろ書かれていて、
何とも怪しい評判がほとんど。
まぁ、私ぐらい沢山の神社仏閣を参拝していると、
そんな寺社も幾つか巡りあうというもの。
世の中には本当に怖い雰囲気の場所はありますが、
ネットで見る限り普門院はそこまで怖くないと思ったので、
とりあえず実際に自分で確認することにした。
所在地:東京都江東区亀戸3-43-3
宗派:真言宗智山派
御本尊:大日如来
創建:大永2年(1522)
開山:長賢上人
開基:千葉中務大輔自胤
札所:亀戸七福神
【縁起】
福聚山善應寺普門院は大永2年(1522年)武蔵国豊島郡三原にあった、
千葉自胤の城中に創建された。
創建時の本尊は聖観音で千葉自胤の家臣佐田善次盛光が、
冤罪によって斬罪に処されるところ、日頃の信心によって、
この観音に身を救われたことから、
千葉自胤が感じ入り寺院を建立したのだという。
後に年代不詳ながら別に堂が建てられ、
元和2年(1622)に現在の土地に移った。
その際、船で釣鐘を運ぼうとしたところ、誤って隅田川に落としてしまい、
これを引き上げることはできなかった。
これが鐘ヶ淵の地名の由来となっている。
慶安2年(1649)には徳川家光が立ち寄った際、5石の朱印状を拝領した。
安永年間(1772~1781)には栄範上人によって、
本尊が聖観音から大日如来に改められた。
また、江戸期には葛飾区青戸にある薬王山真頂寺宝持院の末寺であった。
【寺頭】
境内の外から見るとそんな怪しい雰囲気はない。
鬱蒼としてるなぁと感じたけど。
門の手前に伊藤左千夫の墓と刻まれた小さな石柱があり、
それは墓には見えないものであった。
しかし何故こんなお寺に入ってすぐの場所に墓があるのか不明。
伊藤左千夫とは誰ぞや、と調べてみると、
あの野菊の墓の作者でした。
確か松田聖子主演で映画化されていたっけ。(遠い目)
【観音菩薩】
観音経のようなモノをお持ちになって、
涼しげなお顔で佇むお姿。
これは珍しい菩薩像ですね。
【境内】
うーむ、これは何とも言えない雰囲気。
余りにも鬱蒼としている。
左右の木々は伐採して物置も撤去した方がいい。
【毘沙門堂】
【テーブルとイス】
テーブルの上に意味不明な焼き物が置いてある。
これをどうしろと?(^^;
いや~こんなに落ち着けないイスがあっただろうか。
コレには絶対座れないわ。(苦笑)
撤去しましょう。
【本堂】
本堂はまともなようで内陣には電気が点いていました。
やっぱり周りの木々が邪魔ですね。
【庫裏】
この辺りが特に荒れてる。
【御朱印】
勇気を出して御朱印をここでお願いしましたが、
書置きのみでした。
墨書きまでも荒れてるわ。(苦笑)
対応してくれた年老いた奥様を見てると、
御住職ともども境内の世話が追い付いていないんだろうなと推測。
或いは荒れてるのが平気な人かどちらかですね。
世話をしきれないのであれば境内の木々はバッサリいった方がいい。
このお寺の雰囲気が悪いのは鬱蒼とした木々と、
乱雑に置かれたモノのせいですね。
これらを取り除けば雰囲気もガラリと変わると思う。
普門院は決して霊的なもので雰囲気が悪いのではありません。
だから怖くはありません。
京都の某天皇を祀った神社の方がよっぽど怖かったよ。
亀戸七福神札所の一つである普門院に到着。
このお寺はネットでは廃寺とか薄気味悪いとか、
荒れ放題とかいろいろ書かれていて、
何とも怪しい評判がほとんど。
まぁ、私ぐらい沢山の神社仏閣を参拝していると、
そんな寺社も幾つか巡りあうというもの。
世の中には本当に怖い雰囲気の場所はありますが、
ネットで見る限り普門院はそこまで怖くないと思ったので、
とりあえず実際に自分で確認することにした。
所在地:東京都江東区亀戸3-43-3
宗派:真言宗智山派
御本尊:大日如来
創建:大永2年(1522)
開山:長賢上人
開基:千葉中務大輔自胤
札所:亀戸七福神
【縁起】
福聚山善應寺普門院は大永2年(1522年)武蔵国豊島郡三原にあった、
千葉自胤の城中に創建された。
創建時の本尊は聖観音で千葉自胤の家臣佐田善次盛光が、
冤罪によって斬罪に処されるところ、日頃の信心によって、
この観音に身を救われたことから、
千葉自胤が感じ入り寺院を建立したのだという。
後に年代不詳ながら別に堂が建てられ、
元和2年(1622)に現在の土地に移った。
その際、船で釣鐘を運ぼうとしたところ、誤って隅田川に落としてしまい、
これを引き上げることはできなかった。
これが鐘ヶ淵の地名の由来となっている。
慶安2年(1649)には徳川家光が立ち寄った際、5石の朱印状を拝領した。
安永年間(1772~1781)には栄範上人によって、
本尊が聖観音から大日如来に改められた。
また、江戸期には葛飾区青戸にある薬王山真頂寺宝持院の末寺であった。
【寺頭】
境内の外から見るとそんな怪しい雰囲気はない。
鬱蒼としてるなぁと感じたけど。
門の手前に伊藤左千夫の墓と刻まれた小さな石柱があり、
それは墓には見えないものであった。
しかし何故こんなお寺に入ってすぐの場所に墓があるのか不明。
伊藤左千夫とは誰ぞや、と調べてみると、
あの野菊の墓の作者でした。
確か松田聖子主演で映画化されていたっけ。(遠い目)
【観音菩薩】
観音経のようなモノをお持ちになって、
涼しげなお顔で佇むお姿。
これは珍しい菩薩像ですね。
【境内】
うーむ、これは何とも言えない雰囲気。
余りにも鬱蒼としている。
左右の木々は伐採して物置も撤去した方がいい。
【毘沙門堂】
【テーブルとイス】
テーブルの上に意味不明な焼き物が置いてある。
これをどうしろと?(^^;
いや~こんなに落ち着けないイスがあっただろうか。
コレには絶対座れないわ。(苦笑)
撤去しましょう。
【本堂】
本堂はまともなようで内陣には電気が点いていました。
やっぱり周りの木々が邪魔ですね。
【庫裏】
この辺りが特に荒れてる。
【御朱印】
勇気を出して御朱印をここでお願いしましたが、
書置きのみでした。
墨書きまでも荒れてるわ。(苦笑)
対応してくれた年老いた奥様を見てると、
御住職ともども境内の世話が追い付いていないんだろうなと推測。
或いは荒れてるのが平気な人かどちらかですね。
世話をしきれないのであれば境内の木々はバッサリいった方がいい。
このお寺の雰囲気が悪いのは鬱蒼とした木々と、
乱雑に置かれたモノのせいですね。
これらを取り除けば雰囲気もガラリと変わると思う。
普門院は決して霊的なもので雰囲気が悪いのではありません。
だから怖くはありません。
京都の某天皇を祀った神社の方がよっぽど怖かったよ。