大山の麓から30分程移動し、
別格官幣社の名和神社へ。
こちらは後醍醐天皇を助けた名和長年が祀られています。
駐車場は当然ながら無料でした。
所在地:鳥取県西伯郡大山町名和556
御祭神:名和伯耆守源朝臣長年公
創建:承応・明暦年間(1652-1658)
社格:別格官幣社、別表神社、県社
【由緒】
建武の忠臣名和長年公はじめ、一族四十二名をまつる神社。
元弘3年(1333)長年公は隠岐島に流されていた後醍醐天皇の脱出を助け、
天皇を船上山に迎え鎌倉幕府軍を破った。
後醍醐天皇はこの年鎌倉幕府を倒し、天皇親政を復活(建武の新政)、長
年公はこの新政権で重用された。
承応・明暦年間(1652-1658)名和長年の威徳を慕う地元の人々によって、
名和邸跡とされる場所に小祠が建立されたのに始まる。
延宝5年(1677)鳥取藩主となった池田光仲が長年を崇敬し、
名和邸跡の東方の日吉坂の山王権現の社地に新たに社殿を造営して遷座し、
山王権現を末社として氏殿権現と称した。
明治7年(1873)に県社に列し氏殿神社と改称した。
明治11年(1878)1月10日、氏殿神社の社号を名和神社に改定し、
別格官幣社に列することを太政官が決定し、
名和長重以下の将士を配祀すべきことを命じた。
現在の社殿は昭和十年に完成。建築界の重鎮伊藤忠太の指導のもと、
明治神宮を造影した角が手がけた。
本殿から日本海を望むと、海を越え一直線上に後醍醐天皇隠岐行在所がある。
【鳥居】
なかなか立派な鳥居です。
【参道】
長い参道です。
春になると両端の桜が咲き誇るそうです。
【注連縄柱】
【太鼓蔵】
【神門】
この地方にすればかなり立派な神門ですね。
【拝殿】
【本殿】
【神楽殿】
【蔵】
【御朱印】
シンプルです。
全体的にバランスがイマイチなので、
真ん中の印は大きくした方がいいです。(←余計なお世話)
別格官幣社の名和神社へ。
こちらは後醍醐天皇を助けた名和長年が祀られています。
駐車場は当然ながら無料でした。
所在地:鳥取県西伯郡大山町名和556
御祭神:名和伯耆守源朝臣長年公
創建:承応・明暦年間(1652-1658)
社格:別格官幣社、別表神社、県社
【由緒】
建武の忠臣名和長年公はじめ、一族四十二名をまつる神社。
元弘3年(1333)長年公は隠岐島に流されていた後醍醐天皇の脱出を助け、
天皇を船上山に迎え鎌倉幕府軍を破った。
後醍醐天皇はこの年鎌倉幕府を倒し、天皇親政を復活(建武の新政)、長
年公はこの新政権で重用された。
承応・明暦年間(1652-1658)名和長年の威徳を慕う地元の人々によって、
名和邸跡とされる場所に小祠が建立されたのに始まる。
延宝5年(1677)鳥取藩主となった池田光仲が長年を崇敬し、
名和邸跡の東方の日吉坂の山王権現の社地に新たに社殿を造営して遷座し、
山王権現を末社として氏殿権現と称した。
明治7年(1873)に県社に列し氏殿神社と改称した。
明治11年(1878)1月10日、氏殿神社の社号を名和神社に改定し、
別格官幣社に列することを太政官が決定し、
名和長重以下の将士を配祀すべきことを命じた。
現在の社殿は昭和十年に完成。建築界の重鎮伊藤忠太の指導のもと、
明治神宮を造影した角が手がけた。
本殿から日本海を望むと、海を越え一直線上に後醍醐天皇隠岐行在所がある。
【鳥居】
なかなか立派な鳥居です。
【参道】
長い参道です。
春になると両端の桜が咲き誇るそうです。
【注連縄柱】
【太鼓蔵】
【神門】
この地方にすればかなり立派な神門ですね。
【拝殿】
【本殿】
【神楽殿】
【蔵】
【御朱印】
シンプルです。
全体的にバランスがイマイチなので、
真ん中の印は大きくした方がいいです。(←余計なお世話)