清水寺と言えば京都の世界遺産を思い浮かべますが、
全国には幾つもあって島根にもあります。
こちらの清水寺はBSで放送されていた五木寛之さんの、
百寺巡礼という番組を見て訪れたと願っていたお寺です。
山陰地方でも屈指の大寺で、
境内にある三重塔に登ることが出来るのです。
これが楽しみで仕方ない。
大型の無料駐車場に停めて参拝開始。
所在地:島根県安来市清水町528
宗派:天台宗
御本尊:十一面観世音菩薩
創建:(伝)用明天皇2年(587)
開基:尊隆上人
札所:中国三十三観音霊場、出雲國観音霊場、出雲國神仏霊場
【縁起】
寺伝によると当時は山深く谷窮まり、老松古柏が鬱蒼と生い茂り、
近づく者とてない気味の悪い山であったが、
夜になると里に向かって一条の光が現れ、里人を怖がらせていた。
そんな折り山陰道を巡錫中の尊隆上人が通りかかり、十神山の神の願いを受け、
光の源を探るべく山の中腹まで登ってくると、1人の白髪の老人が現れ、
今日まで観音様をお祀りしてきたが、そろそろ次の世に往かねばならぬので、
替わりに観音様をお祀りしてくれる人を探していたと、一体の霊像を託された。
尊隆上人が小さな草堂を結んで霊像を安置したのがお寺の始まり。
推古天皇5年(597)天皇は瑞夢に清水寺の観音、
厄ばらいの霊験あらたかなることを感得され、
詔を奉じて新たに本堂を造営させ、斎田を施して鎮護国家の道場としたもう。
その後幾多の星霜を経て堂塔伽藍ことごとく荒廃し、
中興開山盛縁上人16歳で登山、復興に努めるも道険し、
そんな折り平城天皇瑞夢にてその努力を知られ、詔を奉じて堂舎を再興させる。
これにより当寺は中国地方随一の伽藍を誇った。
その後は朝廷、豪族の庇護を受けて益々栄え、盛時には僧坊48を数えたと云われる。
しかし戦国時代となり尼子と毛利の戦いに巻き込まれ、尼子軍が根本堂に立て籠った為、
毛利軍によって焼き打ちに合い、根本堂のみを残して全山廃尽に帰すも、
勝った毛利家、江戸時代に入ってからは松江藩主代々の庇護を受け、今日の姿に復興した。
【石段】
108段あるらしい。
【大門】
趣のある門です。
【参道】
まだまだ参道が続きます。
【十一面観世音菩薩】
【門】
【参道】
この辺りには精進料理を出す旅館が三軒あるそうで、
蕎麦も食べれるみたい。
ちょっと寄ってみよう。
この坂道が意外としんどい。
凄い大木。
【紅葉館】
雰囲気がとても良さそうな料理旅館のようです。
個室を用意してくれました。(^^
【蕎麦】
本日も蕎麦。(笑)
普段は蕎麦は滅多に食べませんが、
蕎麦が美味い所に行くと年間に匹敵するほど蕎麦を食ってしまう。
美味かったです。(^^
【参道】
【開山堂】
【弁天堂】
【境内】
これはいい。
とても良い雰囲気です。
上に見えるのが本堂である根本堂です。
しかし、またしても石段がある。
【光明閣】
書院。
一週間前までに予約すれば拝観可能です。
事前チェック不足で拝観出来ませんでした。(泣)
【石段】
気を取り直して登る。
【大木】
【根本堂】
明徳4年(1399)建立された重要文化財。
とても厳かな雰囲気で良かったです。
堂内は撮影禁止でした。
【護摩堂】
【境内】
【毘沙門堂】
【三重塔】
いよいよ三重塔が近づいてきました。
【百観音お砂踏み霊場】
【三重塔】
渋い、実に渋い。
【石段】
ダッシュした。(^^
【三重塔】
安政6年(1859)建立されたもの。
これほどのものが国の重要文化財ではない。
まだまだ若い塔だからなのかな。
【境内】
【狛犬】
【悲報】
うわぁぁ~、三重塔に登れないなんて~。(号泣)
何でや~?
せっかく滅多に行けない島根まで来て、
これはもう泣くしかない。
後日、オフィシャルHPで確認してみると、
一週間前までに予約しないとダメらしい。
うーむ、地方の寺院はこれが普通なのかな。
関西の観光寺院だといつでも拝観出来るから、
予約しないでもいけると思っていた自分が甘かったです。
この悔しさを次回参拝する原動力にしたいと思います。
【石段】
【鳥居】
稲荷社へと続く鳥居。
【根本堂】
これで見納め。
また必ず参拝します。
【御朱印】
【御朱印帳】
全国には幾つもあって島根にもあります。
こちらの清水寺はBSで放送されていた五木寛之さんの、
百寺巡礼という番組を見て訪れたと願っていたお寺です。
山陰地方でも屈指の大寺で、
境内にある三重塔に登ることが出来るのです。
これが楽しみで仕方ない。
大型の無料駐車場に停めて参拝開始。
所在地:島根県安来市清水町528
宗派:天台宗
御本尊:十一面観世音菩薩
創建:(伝)用明天皇2年(587)
開基:尊隆上人
札所:中国三十三観音霊場、出雲國観音霊場、出雲國神仏霊場
【縁起】
寺伝によると当時は山深く谷窮まり、老松古柏が鬱蒼と生い茂り、
近づく者とてない気味の悪い山であったが、
夜になると里に向かって一条の光が現れ、里人を怖がらせていた。
そんな折り山陰道を巡錫中の尊隆上人が通りかかり、十神山の神の願いを受け、
光の源を探るべく山の中腹まで登ってくると、1人の白髪の老人が現れ、
今日まで観音様をお祀りしてきたが、そろそろ次の世に往かねばならぬので、
替わりに観音様をお祀りしてくれる人を探していたと、一体の霊像を託された。
尊隆上人が小さな草堂を結んで霊像を安置したのがお寺の始まり。
推古天皇5年(597)天皇は瑞夢に清水寺の観音、
厄ばらいの霊験あらたかなることを感得され、
詔を奉じて新たに本堂を造営させ、斎田を施して鎮護国家の道場としたもう。
その後幾多の星霜を経て堂塔伽藍ことごとく荒廃し、
中興開山盛縁上人16歳で登山、復興に努めるも道険し、
そんな折り平城天皇瑞夢にてその努力を知られ、詔を奉じて堂舎を再興させる。
これにより当寺は中国地方随一の伽藍を誇った。
その後は朝廷、豪族の庇護を受けて益々栄え、盛時には僧坊48を数えたと云われる。
しかし戦国時代となり尼子と毛利の戦いに巻き込まれ、尼子軍が根本堂に立て籠った為、
毛利軍によって焼き打ちに合い、根本堂のみを残して全山廃尽に帰すも、
勝った毛利家、江戸時代に入ってからは松江藩主代々の庇護を受け、今日の姿に復興した。
【石段】
108段あるらしい。
【大門】
趣のある門です。
【参道】
まだまだ参道が続きます。
【十一面観世音菩薩】
【門】
【参道】
この辺りには精進料理を出す旅館が三軒あるそうで、
蕎麦も食べれるみたい。
ちょっと寄ってみよう。
この坂道が意外としんどい。
凄い大木。
【紅葉館】
雰囲気がとても良さそうな料理旅館のようです。
個室を用意してくれました。(^^
【蕎麦】
本日も蕎麦。(笑)
普段は蕎麦は滅多に食べませんが、
蕎麦が美味い所に行くと年間に匹敵するほど蕎麦を食ってしまう。
美味かったです。(^^
【参道】
【開山堂】
【弁天堂】
【境内】
これはいい。
とても良い雰囲気です。
上に見えるのが本堂である根本堂です。
しかし、またしても石段がある。
【光明閣】
書院。
一週間前までに予約すれば拝観可能です。
事前チェック不足で拝観出来ませんでした。(泣)
【石段】
気を取り直して登る。
【大木】
【根本堂】
明徳4年(1399)建立された重要文化財。
とても厳かな雰囲気で良かったです。
堂内は撮影禁止でした。
【護摩堂】
【境内】
【毘沙門堂】
【三重塔】
いよいよ三重塔が近づいてきました。
【百観音お砂踏み霊場】
【三重塔】
渋い、実に渋い。
【石段】
ダッシュした。(^^
【三重塔】
安政6年(1859)建立されたもの。
これほどのものが国の重要文化財ではない。
まだまだ若い塔だからなのかな。
【境内】
【狛犬】
【悲報】
うわぁぁ~、三重塔に登れないなんて~。(号泣)
何でや~?
せっかく滅多に行けない島根まで来て、
これはもう泣くしかない。
後日、オフィシャルHPで確認してみると、
一週間前までに予約しないとダメらしい。
うーむ、地方の寺院はこれが普通なのかな。
関西の観光寺院だといつでも拝観出来るから、
予約しないでもいけると思っていた自分が甘かったです。
この悔しさを次回参拝する原動力にしたいと思います。
【石段】
【鳥居】
稲荷社へと続く鳥居。
【根本堂】
これで見納め。
また必ず参拝します。
【御朱印】
【御朱印帳】