Gomaler's~神社仏閣巡り~癒しを求めてⅢ

主に関西の神社仏閣巡りと御朱印が趣味です。
生きた証として好き勝手に書いております。(笑)

比叡山 法然堂<金勝院>(2017年12月10日参拝)

2018年01月27日 | 仏閣
身心共に引き締まる思いがする根本中堂参拝であった。

次は迂回ルートもあるが文殊楼へと続く石段を登って、
初めて参拝する法然堂へ向かう。

こちらはあの法然上人が得度されたとされる地だそうです。


【文殊楼】




文殊楼でも御朱印はいただけますが、
今回は華麗にスルーして反対側の石段を降りる。

そこには昭和天皇・皇后陛下が延暦寺に行幸啓された際に、
ご休憩された大書院があります。

それまで比叡山には貴人をお迎えする時に、
相応しい建物が無かったので、
比叡山開創千百五十年を記念して設けられたそうです。



所在地:滋賀県大津市坂本本町4220
宗派:浄土宗
御本尊:法然上人
創建:昭和7年(1932)
開山:日下俊隆大僧正


【縁起】
ここ法然堂は現在金勝院と呼ばれていますが、
古は功徳院と呼ばれ扶桑略記を撰した皇円阿闍梨の住房の跡地。

法然上人が勢至丸と名乗られていた頃、比叡山に登られて、
元服の15歳の時に剃髪得度されて、
皇円阿闍梨から天台の学問を修められた所です。

初めて授けられた名前が円明房善弘と申されました。

そのような経緯から現在の法然堂は法然上人得度の霊跡、
浄土門発祥の地、剃髪の故地であります。

昭和7年(1932)6月、この堂宇無き霊場を再興せんと発願し、
西山浄土宗柳谷揚谷寺貫主日下俊隆大僧正が願主となり、
浄土教の各宗派の道友が一丸となって草庵を構え、
法然上人得度の御尊像を安置されました。

更に昭和10年(1935)浄土宗西山深草派の真宗院秘蔵の
法然上人晩年の尊影と法然上人一代絵伝を祀って現在に至ります。



【防災道路】


宿泊施設の延暦寺会館横の道を下っていきます。




これが結構な坂道で帰りの登りを考えるとつらい。(^^;




この辺りに車が三台ほど停まっておりました。




御住職に確認してみると、
坂元からこの防災道路でここまで車で来れるとか。

それは知らんかったなぁ。

下の係員に法然堂に行くといえば通してくれるそうです。


【境内】




こじんまりとした質素なお寺です。


【法然上人得度御旧跡碑】



【本堂】


今日は御住職がおられるので、
早速堂内へ上がらせていただく。

御本尊の法然上人得度の尊像と阿弥陀如来にお参り。


【堅焼き煎餅】


コーヒーと煎餅を御馳走していただきながら、
面白い御住職としばし歓談させていただく。

見た目は芸人の兵動大樹がもう少し太った感じ。(^^


先代の御住職は質素倹約を貫いた高潔な方で、
食事をする時も電気をつけず、月明かりで食べたそうで、
現代の僧侶でそこまでやっている方が何人いるだろうか。

そんな己に厳しい人柄に信者さん達から、
篤く信心を集めていたそうです。

また、法然上人二十五霊場の特別霊場として、
この法然堂が入っていないのはおかしいですねと、私が言うと、
頷いて霊場会には言っているが認めてくれないと仰ってました。

霊場会にも考えがあると思いますが、
この法然堂を特別霊場にして欲しいと願うばかり。


御住職は嵯峨野にあるお寺と兼任されていて、
3月までの冬の間は雪が深く法然堂は閉めているそうです。

また、冬季以外の毎月第二日曜日には、
写経や法話、音楽会を通じて、一般の方とのふれあう、
法然堂の集いという催しがあります。

ご興味がある方は是非。


【御朱印】




全部で五体の御朱印がありました。


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