なぜ今時、天皇は「生前譲位」の意思を発表したのか。それも、天皇自身の言葉を借りれば「憲法の下、天皇は国政に関する権能を有していない」立場を十分認識しながらも。
発表の内容は安倍政権との意思の疎通が十分になされている。それは、安倍政権の政策と深い関係があるからである。それは4年後に予定されている「東京五輪」開催であり、それを無事に成功させる事と関係があるのである。安倍政権は、そのためには、それまでの間、国内の受け入れ態勢準備態勢を整備していく上で、東京五輪の実施上致命的な不都合が生じないよう事前に可能な限り予想できる重大事態を回避するための手立てをしておく必要があると考えたからである。天皇家はこの機会に天皇の継承問題を進展させようとしているのである。
安倍政権にとってその重大事態の最たるものが天皇の「体調異変」やそれに伴う「死去」なのである。その可能性を有する事を想定してその事態を、「生前譲位」を認める事によって切り抜けようとしているのである。
天皇としては、父である昭和天皇が87歳で死去した事を思えば、自分もあと5年前後でその年齢となる。だから、それから生じる、自分もいつ重大事態となるかもわからない、という不安とその先の死去を想定して、天皇の地位の継承に対する不安や天皇家の存廃に対する不安を取り除いておこうとする意思が働いているのである。
その意思を「高齢による体力の低下……従来のように重い務めを果たす事が困難になった場合、どのように身を処していく事が、国にとり、国民にとり、また、私のあとを歩む皇族にとり良いことであるかにつき、考える」という言葉で表しているのである。「国にとり」というのは「安倍政権にとり」の意味である。国民は第一とは考えられていない事がわかる。
「皇族にとり」とは、現行天皇は自分が55歳で天皇に即位したのに対して、現皇太子は、56歳となっているため、早く即位させたいという思いがある事。またその事により、次男の秋篠宮を皇太子とし、将来の天皇への道を保障しようとしているのである。秋篠宮は天皇としての在位期間は短かくなるかもしれないが、その子(現行天皇からすれば孫)の悠仁親王に皇太子とその後の天皇の地位が保障されるであろう事によってそれぞれは了解し合っているという事である。
現行天皇の「生前譲位」の意思表示は、重大事態、それは、体調の異変や最悪は死去という事態であるが、そのような事態を回避するための手立てなのである。天皇はその事を、「天皇が健康を損ない、深刻な状態に立ち至った場合、これまでにも見られたように、社会が停滞し、国民の暮らしにも様々な影響が及ぶ事が懸念される。皇室のしきたりとして、天皇の終焉に当たっては、……。こうした事態を避ける事はできないものだろうか」と述べているがそれは、社交辞令のようなもので重要事とは考えられていない。それは国民に対して天皇制の二つの顔のうちの一つの顔「慈悲の顔」をアピールしようとする演出であり国民の事を本気で気遣った言葉ではない。なぜなら、生前譲位すれば新天皇の即位式が行われる。また即位後、東京五輪までに前天皇が死去した場合、譲位していても前天皇としての葬儀をするのであれば東京五輪に与える影響は上記の天皇の言葉と同じようになるからである。生前譲位しようがしまいがいずれにしても東京五輪に影響を与えるのであればわざわざ生前譲位の必要はないという事になる。国民にとっては、生前譲位によって前天皇に費やされる税金の負担がこれまでより増加するだけである。
しかし、現行天皇のままで、東京五輪を前にして現行天皇が重大事態になって困るのは安倍政権である。安倍政権は現在自らが五輪を迎えるために、総裁任期延長を成立させようとしていることからも重大事態は避けなければならないのである。そのため安倍政権にとっては生前譲位による新天皇を政権に利用する事を目論み、天皇家にとっては生前譲位によって天皇の継承問題を進展させる事ができ得る絶好のチャンスとしようとしているのである。
また、「象徴天皇の務めが常に途切れる事なく、安定的に続いていく事を念じ」との天皇の言葉も、東京五輪を意識した言葉なのであり、無事に成功させるためにも安定した象徴天皇制の継続を主張しているのであるが。この言葉はもっと、突き詰めていえば、天皇家はどんな形であろうとも天皇制を継続させたいという意思を主張しているのである。
天皇家のそのような意思は、すでに、幕末明治維新の時期や、敗戦の時期の天皇の動向によって明白である。天皇制はどのような形であれ継続させる事こそが重要と考えられているのである。天皇制が存続できさえすれば、天皇家はどのような形にでも変化してゆく体質をもっている。ただし、自らの出自を否定されないかぎりで。つまり、古事記日本書紀に書かれた「神の裔」である事を否定されない限り。また、天皇制国家日本という「国体」を廃止されないかぎり。一方、安倍政権としては元首としての天皇制への回帰をめざしてとりあえず現行天皇制を存続させておきたいのである。
「生前譲位」の「お言葉」は、天皇と安倍自民党政権との間で結託し綿密に計算され計画され実施された政治政策であるという認識を持つ事が必要である。それを単に人間の誰もが生物として経験する老化や死を迎える事から生じる人間としての一般的な不安や苦悩としてのみ理解したり、天皇が自身の死去後の、家族などの将来に対する人間として一般的な不安や苦悩であるとのみ理解してしまうと真実は見えてこない。また、正しい判断をし対応する事はできない。
例えば、「天皇の高齢化に伴う対処の仕方が、国事行為や、その象徴としての行為を限りなく縮小していく事には無理があろうと思われる」。ここでは縮小が無理な理由を述べずに、自己の政治的主張を国民に強引に認めさせようとしている。実はこの裏には憲法違反に当たる行為が存在するのである。
また、摂政を置く事について「天皇が十分にその立場に求められる務めを果たせぬまま、生涯の終わりに至るまで天皇であり続ける事に変わりはない」と述べているが。この場合、国事行為や象徴的行為を果たせなくなれば生前退位したいという個人的な意思を強く主張しているだけである。そして、生前退位者の待遇についてやそれに対する国民の負担への深い思慮を示す言葉は存在しない。
天皇は天皇家を代表して、今後の、天皇の地位のあり方や、天皇家のあり方や、天皇制のあり方(象徴天皇制)について、その変革を求める意思を憲法や皇室典範の定めに違反して強く示したという事なのである。
その意思とは、老化に伴って、国事行為や、象徴的行為を縮小することはできない(その理由は国家神道に関わる政治的行為などであるため糺さなければならない)。また、摂政を置き、死ぬまで天皇の地位にある事は嫌だ。皇太子に天皇の地位を譲りたい、(象徴)天皇制という国体を護持するという事である。
生前譲位の希望の背景には、2020年の東京五輪が大きな原因として考えられる。五輪をスムースに開催するために天皇を利用しようとする安倍政権の考えがあり、五輪をきっかけに天皇には天皇の思惑があり、安倍政権の考えに応じながら利用もして、天皇の継承問題を進展させようとする意志があるという事である。
また、生前譲位は、「国にとり、国民にとり、また、私のあとを歩む皇族にとり良い事である」という意思に基づいている。そこには、国民のためではなく、天皇家(国)のためという考えが優先している。それは最後の言葉である「象徴天皇の務めが常に途切れる事なく、安定的に続いていく事を念じている」という言葉にも表れている。
そこには、天皇の地位の存廃を憲法第1条が規定している事にとらわれず、天皇家自らが「天皇制」を維持する事を当然の事として希望している事がわかるのである。これは明らかに政治的発言であり、政治的行為である。主権者である国民は看過してはいけない。
この背景には、喫緊の参院選で、民進党と共産党などが連合し議席を増やした事、特に共産党が増やした事が天皇家と安倍政権にとって、脅威となってきた事があると思う。
つまり、天皇は天皇家や天皇制(象徴天皇制であっても)を廃止されては困るのである。敗戦時にそれまでの「国体護持」にこだわったように。
また、安倍政権自民党は象徴天皇制を元首天皇制に回帰したいと考えているのである。
※日本国憲法において、天皇が「象徴」としての地位を獲得できたのは、マッカーサー(米国政府)と昭和天皇との交渉による利害の一致を基礎に、国会の決議によるものであった。
※現天皇家や皇族は、立憲主義にもとづく憲法と皇室典範の規定によってその地位を国民により認められている。
(2016年9月8日投稿)