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衆議院議員の任期延長は戦前に1回、その後「翼賛選挙」強行へ、自公政権は緊急事態条項で議員任期延長への危険性

2024-05-03 18:24:27 | 帝国議会

 林銑十郎内閣時1937年4月30日に第20回衆議院総選挙が実施された。次回第21回は通常どおりでは1941年4月30日の予定であった。しかし、1940年7月22日に成立した第2次近衛文麿内閣(~1941年7月16日)は、日中戦争(1937年7月7日~1945年9月2日)下である事を理由にして「議員任期を1年延長」し、任期満了は1942年4月29日とした。そして、その間、第2次近衛内閣は「大政翼賛会」(1940年10月12日)を成立させ、陸軍大臣と内務大臣を兼任した東条英機内閣(1941年10月18日~1944年7月18日)が1942年2月18日に「翼賛(政府推薦)選挙貫徹基本要綱」を閣議で決定し、同年4月30日に「翼賛選挙」(第21回総選挙)を実施した。投票率は全国平均83.2%(前回73.2%)であった。

 神聖天皇主権大日本帝国東条内閣のこの総選挙における目的は、「大東亜戦争完遂」のため政府・軍部に全面的に協力する翼賛議会を確立し、議会勢力を再編成して「政治力の結集」を図る事であった。新聞の見出しは、「国民の熱意・翼賛一票に顕現、全国の投票頗る好調、征戦完遂へ一致邁進」と煽った。

 政府は部落会・町内会・隣組(隣保班)を動員し官民一体の一大啓発運動を展開し、最適候補者推薦(候補者推薦組織として翼賛政治体制協議会結成。推薦候補へは選挙資金臨時軍事費から流用)の機運を盛り上げた。政府がその基本方針を決め、運動全般を指導し、地方官庁は基本方針に応じて地方での運動を指導した。大政翼賛会翼賛壮年団や在郷軍人会がそれに協力して運動を展開した。

 地方の翼賛壮年団は1942年1月には「大日本翼賛壮年団」として全国組織化した。彼らは、非政府推薦候補者に、「親英米的」「自由主義者」「非国民」「反軍思想」などとレッテルを貼って攻撃した。鳩山一郎尾崎行雄片山哲中野正剛は「翼賛(政府推薦)選挙」を批判したため選挙妨害を受けた。また、内務省は、斎藤隆夫の8万数千枚に及ぶ選挙運動用の印刷物すべてを差し押さえた。警察は、非政府推薦候補者の選挙事務長や運動員を経済事犯として検挙し、選挙関係の書類や資金を押収した。またその選挙事務所を訪れた者を直ちに留置した。

 「翼賛選挙」では「選挙」は、国民にとって、政治に参加する権利行使ではなく、政府の政治に翼賛する義務とされた。ゆえに「棄権」行為は義務を怠る行為として厳しく非難された東京府当局は、「棄権」する者はその理由を隣組長報告するようにという通達を出した。

 選挙結果は、当選者総計は466人、推薦者381人(81.8%)、非推薦85人(18.2%)であった。1942年5月20日、政府は翼賛政治会を発足させた。帝国議会衆議院予算審議権立法権も実質的に大幅に制限された。

 清沢洌の『暗黒日記』(1943年7月22日)は「議会とは現地派遣軍に感謝決議を行うところである」と皮肉と憤りを記している。

追記:「衆議院議員の任期延長に関する法律」は1941(昭和16)年2月24日公布、即日施行された。現任衆議院議員に限り1年間延長する事や、現任衆議院議員の在任期間中は現職議員数が定数の3分の2未満にならない限り補欠選挙や再選挙を行わない事を規定。翼賛選挙(第21回総選挙)での議員改選により、この法律が対象とする議員がいなくなり実効性は喪失したが、1954(昭和29)年5月1日公布、即日施行の「自治庁関係法令の整理に関する法律」により廃止された。

(2022年12月16日投稿)

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斎藤隆夫の第89回帝国議会衆院本会議(1945年11月28日)の質問と下村定・陸軍大臣の答弁から主権者国民が学べる事

2018-11-18 07:32:05 | 帝国議会

 斎藤隆夫は第89回帝国議会衆院本会議(1945年11月28日)で下村定・陸軍大臣に「我が国に於ける軍国主義の発達」について質問している。このやり取りから主権者国民が教訓として知っておくべき事を以下に紹介しよう。

「軍国主義は既に亡びてしまった、「ポツダム」宣言の一撃に遇って根本から亡びてしまった、我々は国家の為にこれ程痛快な事はないのである。唯しかし我々の力に依って軍国主義を打破する事ができず、「ポツダム」宣言、即ち外国の力に依って初めてこれを打破する事ができたという事は、何と弁解致したところで我々政治家、日本政治家の無力を語るものである、しかしこれは仕方がないとしても、元来我が国に於いてはかの満州事変当時より軍人が政治に干渉し、軍国主義者が漸次に勢力を得て、実際に於いては国家の政治に瀝るまで彼等によって左右せらるるに至った事は、これは争う事のできない事実である、而して、この弊害は積もり積もって停止する所なく、遂に今回の戦争を巻き起こし国を挙げて戦争の渦中に投じ、国を挙げて敗戦のどん底に蹴落として我が国今日の惨状を来した、今回の敗戦に依って軍備は悉く撤廃され、軍国主義者は悉く葬り去られる、これがために軍部を統轄する陸海両省も近く廃しせられて国民に別れを告げねばならぬ事になる、それ故にこの際に当たって、苟も軍の代表者たるものは、わが国においてどうしてこういう軍国主義が生まれ出たのか、又どうしてこれを未然に防ぐ事ができなかったのか、どうしてこれを抑圧する事ができなかったのか、そうしてどうして今回の戦争を導いたのか、これらの事について、全国民に一切の真情を説明せらるる必要がある、軍部大臣と相見る事は今回が最後と思うから、あえてこの質問をする……」

 これに対する下村定・陸軍大臣の答弁。「軍国主義の発生については、陸軍としては、陸軍内の者が、軍人としての正しき物の考え方を誤った事、特に指導の地位にある者がやり方が悪かった事、これが根本であると信じます、この事が中外の色々な情勢と、複雑な因果関係を生じて、ある者は軍の力を背景とし、ある者は勢いに乗じて、いわゆる独善的な横暴な処置を執った者があると信じます、殊に許すべからざる事は、軍の不当な政治干渉です、かような事が重大な原因となり、今回の如き悲痛な状態を国家にもたらした事は何とも申し訳がありません、私は陸軍の最後に当たって、議会を通じてこの点について全国民諸君に衷心からお詫び申し上げます、陸軍は解体をします、過去の罪責に対しても私共は今後事実を以てお詫びを申し上げる事、事実を以て罪を償う事ができません、誠に残念ですが、どうか従来からの国民各位のご同情に訴えて、この陸軍の過去における罪悪のために、純忠な軍人の功績を抹殺し去らない事、殊に幾多戦没の英霊に対して深きご同情を賜らん事を、切にお願いします、軍国主義の発生の経緯ならびにそれを抑制し得なかった理由などについて、この議会に開陳せよという斎藤君のご希望、誠に御もっともです、これには慎重の検討を要する事でして、私共もとよりその必要を感じていますが、今議会中に於て、斎藤君のご満足のいくように、具体的に詳細に申し上げられるかどうかはお約束できません」

(2018年11月18日投稿)

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福家俊一(元衆院議員・自民党)の第89回帝国議会衆院本会議(1945年11月29日)での質問に主権者国民が学べる事

2018-11-15 07:10:20 | 帝国議会

 福家俊一は1942年の帝国議会第21回衆院議員総選挙に初当選した。彼は敗戦後の第89回帝国議会衆院本会議(1945年11月29日)において、復員兵として已むに已まれぬ気持から行ったとする質問の中で、安倍政権下の今日において主権者国民が教訓とする事ができる興味深い一部を以下に紹介したい。

「(前略)私はこの有難い聖旨を奉体して新日本建設に当たり、是非とも質したい事は戦争責任者の究明に関する問題である、…幸いに昨日(幣原)総理大臣の演説で述べられているように、大東亜戦争に関する調査をして、我々の子孫は再びかくの如き過ちを繰り返さないようにしたいと申された、しからばこの戦争責任者の究明なくしてこの目的にそう事が果たしてできるでしょうか、昨日斎藤隆夫君の質問に対する総理大臣の答弁を承ると、総て急所をはぐらかして逃げておられるかのように感じた、誠に遺憾千万であり、総理大臣は自家撞着も甚だしいと言うべきである、新日本再建の全責任を背負って立つ政府の首脳者として、その責任が全うせられるや否や甚だ疑わしい。そもそも大東亜戦争に於ける責任者の何人たるかという事はあまり多く議論する事は要しない、しかし苟もこの戦争責任者たる者は、少なくとも重臣、軍閥、官僚、財閥並びに政治家等の中にあって、これらの人々はいわゆる戦争挑発に一連の脈絡ありと思われる、全国民を敗戦のどん底に引きずり込んできたのであり、連合国司令部ではすでにこの事については追及致しているが、今なお免れて恥なしとして、恬然として(平気で)その地位にある人が沢山いる、しかも何ら反省の色も見せず、かえって敗戦の責任を国民に転嫁し、自ら承詔必謹の袖に隠れんとするに至っては、断じて私共復員兵の一人として許し難い、(中略)今や全国民の視線はこの戦争責任者の究明に注がれている、そこで自ら政府は進んで軍閥財閥にして未だその処置を受けざる者はもちろんの事、政治家、重臣、官僚、その他戦争責任者たる者はこれを徹底的に究明し、その責任を明確にすべく方途を講ずべきである、これは少なくとも新日本建設の礎石をなすもので、断じてこれを忽せ(おろそか)にしてはならない、これに関して具体的な総理大臣の所見を伺いたい

 次に、終戦のあのどさくさに紛れて行われた公用金の着服、軍需物資の横領並びに民間と結託して転売又は隠匿したるなどの、不当なる行為に出た所のいわゆる終戦犯罪に関する件である、一体我が日本の軍隊は、最も軍律厳しくして正しき事は自他共にこれを許し、又世界各国も高くこれを賞賛致したのである、ここに国民的信頼が繋がれていたにもかかわらず、いかに終戦のどさくさとは言いながら、この種の不法行為が公々然と行われ、あたかも匪賊化したかのごとき観ある事に対しては、その非難の声は私ども復員すれば日本国中を蔽うている、敗戦という事実が伝統ある日本の軍隊において、斯くまで紀律を堕落さすものかと思うと新日本再建のために誠に涙なきを得ない、ところがこの憎むべき終戦犯罪は比較的楽な日本本土に駐屯した軍人であるに対して、遠く異境にあって、しかも長期にわたってあらゆる艱苦に堪え、困苦を嘗めていた私共外地の兵士はどうでしょう、九死に一生を得て、漸く復員致したものの、懐かしき家は焼土と化した、故郷には父母、妻、子、兄弟は住むに家はなく、食うに米なく、貧苦に泣いて生死の岐路に立っている、己はどうか、就職の途なくして路頭に迷って前途に何等の希望もない、各方面においては浮浪者の群れに投じている復員戦友が沢山いる、懐かしい故国に復員した歓喜は直ちに一夜の夢と化している、更に一方では戦時成金は華美豪奢な生活に耽っている、かかる世相をまざまざと見せつけられて悲憤の情抑えがたい、同じ将兵でありながら一方は泥棒をして相当な生活をなし復員成金となっており、一方は憐れな姿に陥って乞食同様になり果てている、(中略)新日本の再建に邁進せんとする時先ず第一に国内におけるこの不祥事件を残しているならば、一体新日本の再建はどこへ行くのか、しかるに総理大臣は昨日の施政演説の中に、国内及び国際の羅針盤は銃剣の力でなく徳義の力であると言われた、正しく人心を正し、国内を清浄に導かねば徳義日本の再建は成り難い、この意味において、この終戦犯罪の糾明こそ先決問題でなければならない、(中略)私共の見解では、陸海軍司令官、部隊長、部隊指揮官、憲兵隊長、憲兵分隊長、高級官吏、統制会社、軍需会社の重役並びに関係者、あたかも軍官民の指導者にあった者がこの種の罪を犯した者が多いという事を聞いている、政府はこの際徹底的にこれを糾弾して頂きたい、何となれば数十万の英霊は瞑目致す事ができない、未だ帰らざる350万の在外戦友は、かかる汚名の下では復員できない」

(2018年11月15日投稿)

 

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