最近、天皇家の家族の公的行為に関する記事がメディアに頻繁に出てきている。たとえば、
2016年9月17日には、秋篠宮家の長女「眞子さま」について、パラグアイでの「日本人移住80周年記念式典」に出席するための訪問を終えて帰国した、とか、
2016年9月26日には、秋篠宮家の次女「佳子さま」について、25日に鳥取県倉吉市で開催された「第3回全国高校生手話パフォーマンス甲子園」に出席した、などが最も新しいものである。
さて、そこで、これまでも非常に問題視していた事がある。それは、メディアが「さま」付けして「呼び」「書く」事についてである。また、それが国民に及ぼしている影響についてである。
率直に言えば、この行為は、人権尊重や民主主義の精神とは正反対の行為であり、それらの発展を阻害する行為であるだけでなく、差別意識を生む温床ともなっていると考えるべきだと思う。だから、結論としてはやめるべきであると考える。
「天皇制」というものは、今日非科学的であるとされている「古事記」の神話に基づいて、天皇家が「神の裔」であり「天皇家の人間はその生まれによって尊い」という事を認める事を国民に強制する制度、システムとして機能しており、それを天皇家と腐れ縁の関係にある安倍政権が権力の補完勢力として利用しているというのが現状である。もちろん、天皇家にとっても都合が良い面があり、その点で利害の一致があるのである。そして、安倍政権に翼賛的であるメディアが、「~その生まれによって尊い」とする事に対し批判することなく(意図的であると考えてよい)、国民に対して、「さま」付けの「呼び」「書き」をする事によって、国民に天皇制肯定支持の意識を浸透させる「洗脳」の役割を担っているのである。
「さま」付するメディアやそれを無批判に受け入れている国民は、誰か他者が差別(人権侵害)を受けているという時に、果たしてそれに対して批判し抵抗するだろうかと考えると、とてもそうは思えない。つまり、傍観者の立場を決め込むであろうという事である。という事は彼らは差別(人権侵害)に加担する側(差別者の側)に立つという事であり、「さま」付けする彼らの世界は「差別意識を生む温床」となっているという事なのである。
結論として、「さま」付けをやめさせようという事である。そして、人権尊重と民主主義に反し、差別(人権侵害)の温床の元凶である「天皇制」を廃止しようという事である。「天皇制」が思考停止を生み、混乱停滞を生み、また時代逆行を生み、人権意識の発展を阻害している。「天皇制」廃止によってこそ日本社会の発展は保障される。
※名言紹介
「『天皇』を理由なく尊敬できる人間こそが、他者を理由なく差別できる人間なのだ」
(2016年10月3日投稿)