天皇皇后が4月3日、奈良県の橿原市にある「畝傍山東北陵」を訪れた。そこは、明治政府(伊藤博文)によって、皇室では「初代天皇」と位置づける「神武天皇」(歴史学では存在は否定されている)の墓所とされたところである。そして、今回の訪問は、神武天皇の没後2600年(戦後の歴史学では縄文時代)にあたるとして、参拝したとの事。
いわゆる「神武陵」は1863年5月に明治政府によって工事は着工され、12月に終えた。この時「神武田」にある「洞村」という集落を撤去し、住民を追い出した。明治天皇は、1877年2月11日、「紀元節」が制定されて4年目に、「神武天皇陵」に参拝した。「神門」の外の左右には「大真榊」を立て大阪鎮台から歩兵一大隊が儀仗として整列した。天皇は「有栖川宮熾仁親王」らの皇族を従えて拝礼、「お告文(祝詞)」を奏した。
1874年5月、明治政府の太政官は各府県に対して「御陵墓調査上古墳の届出方」とする通達を出した。太政官は「上世以来御陵墓の所在未定の分」について取り調べ中で、開墾などの時、「口碑流伝の場所は勿論其の他古墳と相見え候地」は、発掘などせず、「絵図面」などを付けて教部省へ問い合わせるようにせよ、と命じた。1880年11月には沖縄県を除き「再届出方の通達」を発し、古墳と思われるような土地は、個人所有であっても、みだりに発掘してはならない、などとした。1874年7月10日、明治政府は初めて自らの手で「神代三陵」を治定した。「大日本帝国憲法」や「皇室典範」を公布した1889年夏には「十三陵」を決定し、この年、歴代天皇陵すべてを治定した。
伊藤博文は、「十三陵」を決めた際に、「条約改正の議起こるに際し、伯爵伊藤博文以為らく、万世一系の皇統を奉戴する帝国にして、歴代山陵の所在の未だ明らかならざるものあるが如きは、外交上信を列国に失う」事になるので、速やかにこれを検証し、治定し「国体の精華を中外に発揚」するようにしようとした(『明治紀第七』)、という。
しかし、古代天皇陵について、当時同志社大学教授の森浩一氏は1986年6月8日の「毎日新聞」に述べている。「いまの指定のままでいいと言えるのは、天武天皇の野口王墓と天智天皇の御廟野古墳だけだ」と。
メディアが、「神武天皇陵参拝」は天皇家の行事「宮中祭祀」(これは国家神道なる宗教行事)の一つであると書いている事についてであるが。「宮中祭祀」は現在においても基本的には1908年9月の「皇室令」第一号で制定された「皇室祭祀令」に基づいて行われているようだ。「宮中祭祀」には「大祭」と「小祭」の別があるが、これらの大半は、「明治維新後」に新たに作られたものである。「明治維新前」から行われていた祭典は、「大祭」では「神嘗祭」と「新嘗祭」及びその「鎮魂祭」のみであり、「小祭」では「歳旦」「祈念」「賢所御神楽」の三祭に過ぎないという。「紀元節」はもちろんの事「神武天皇祭」も存在しなかったという事である。「国家神道」の祭祀の基準として編成された「宮中祭祀」は、新たに作り出された国家宗教(国家神道、天皇教)の儀礼にふさわしく、新登場の祭祀が大半を占めたのである。
4月3日(当初の3月11日を改めた)の「神武天皇祭」は敗戦まで国民の祝祭日(休日)としていた。「神武天皇祭」は、神武天皇の死去相当日に皇霊殿と陵所(墓所)において行う祭典であり、当日夜には特に神楽を奏奉して神霊を慰める「皇霊殿神楽」を実施していたのである。
問題は、このような「神武天皇祭」を天皇皇后が「まことしやかな顔」をつくって参拝する事の意味である。科学的な研究の成果を認めない非科学的な大日本帝国憲法下の国家神道に基づく「宗教」行為を行ったという事なのである。そして、メディアがこの「参拝」について報道をしながらも(意図的に)ほとんど問題の重要性について「コメント」を発表しないという「異様さ」を「主権者国民」は気づいているのかという点である。おそらくほとんど感じていないと思われる。主権者国民の「無知」につけ込んで、かつての「明治維新政府」が捏造整備した「現人神天皇制」と同じ思想に基づく、安倍自公政府の謀略と考えるべきなのである。
今回の天皇の「神武天皇陵参拝」行為は「神武天皇」の「実在」を「捏造」しようとする「謀略」と捉えるべきなのである。子どもたちが学校教育で教科書で「神話」を学んでいるとすれば、子どもたちにとっては「神話」(作り話)ではなくなり、「真実」として受け止められていく効果を生むという事なのである。
さらに、重要な事は、このような「私的であるとともに思想的に偏向し現憲法の定める政教分離原則を無視した無価値な行為」に主権者国民の納めた貴重な多くの「税金」が、「限られた為政者たち」によって「無駄遣い」されているという点なのである。
最後に、1977年4月の参議院内閣委員会で社会党の秦豊氏が「陵墓」を「公費」で賄っているのなら、「発掘」させるべきだと意見を述べた事を紹介しておこう。「天皇陵は国民共通の文化財だが、宮内庁は陵墓としておさえ、学術調査の対象にはなり得ない、として拒んでいる。今後ともずっと拒否するのであれば、天皇陵の維持管理に関する予算は認めるわけにはいかない。内廷費に加えるべきだ。国民の共通財産的な、歴史的価値あるものについて調査の対象にしてもらいたい、と言うと、それは拒否する、予算は国家のものを使います、天皇家の私的なものは守り抜きます。これでは憲法88条「皇室財産・皇室の費用」「すべて皇室財産は、国に属する。すべての皇室の費用は、予算に計上して国会の議決を経なければならない。」に誠実に対応しているとは、とても思えない」
(2016年4月5日投稿)