つれづれなるままに心痛むあれこれ

知る事は幸福度を高める

大日本帝国議会では、「民族優性保護法案」が5度提出されていた

2025-02-07 23:39:23 | ハンセン病

 1996年6月18日国会は、1948年9月から実施された「優生保護法」の一部「不良な子孫の出生を防止する」を「削除」し、法律名称を「改称」した「母体保護法」を成立させた。ところで「優生思想」に関連して神聖天皇主権大日本帝国政府では、1931年には日本医師会が「遺伝の濃厚な疾患について断種の法的規制を」とする答申を政府に出していた。そして、その3年後の1933年第65回帝国議会からは、34年第67回帝国議会、36年第70回帝国議会、37年第73回帝国議会、38年第74回帝国議会と帝国議会に「民族優生保護法案」が提出されていたが、いずれも成立しなかったという歴史が存在した事を紹介したい。

第65回第67回議会での法案内容は以下の通りであった。

目的」は、「民族の優生を保護助長し、悪種遺伝を防止根絶する」とし、

対象」は、➀殺人、強盗その他狂暴な犯罪者で、その悪質を遺伝すべきと認められる者 ➁精神狂症、遺伝的脳脊髄病、早発性痴呆症等で、その症状により、これら悪疾を遺伝すべきと認められる者 ③諸種の中毒症、ヒステリー、遺伝性不具、結核病、頼病等の重症者その他優生学上不正常児以外は産めないと認められる者

手術方法」は、「保性断種

人口妊娠中絶」は、「断種対象者の悪種を懐妊した者に対しては、法医審判を経て堕胎させる」

結婚制限」は、「断種対象者で断種法の施術を受けない者又は梅毒淋疾の帯患者で完全に治癒していない者は婚姻できない。全て婚姻しようとする者は、法律上の条件を具備した旨の当該官公吏の証明書及び医師の健康診断書を提出して婚姻許可証を受けなければならない」

罰則」は、「以下の各号に該当する者は、1年以下の禁固又は500円以下の罰金に処す。➀本人が欺罔して結婚したとき ➁本人又は家族が虚偽の申立をしたとき ③故なく本法の手術を拒んだとき ④許可証なく婚姻したとき

施行日」は、「勅令をもって定める」

第70回第73回第74回議会での法案内容は以下の通りであった。

目的」は、我が民族の優秀なる素質を保護し、悪質遺伝を防遏する」

対象」は、「精神薄弱者、癲癇者、精神乖離症者、躁鬱病者、ハンチントン氏舞踏病者、強度な病的人格者、遺伝性盲者、聾者又は強度な身体的畸形者で、これら劣等な素質を遺伝するおそれ顕著なる者」

手術方法」は、「断種(精子又は卵の輸精管又は輸卵管を通過することを不可能ならしめる手術」

申請者」は、「➀本人 ➁戸主、法定代理人又は保佐人、官公立の精神病院、刑務所、矯正院又は教護院の長戸主、官公立の精神病院等の長の場合は本人の同意を要す、ただし本人が無能力者のときはその配偶者、法定代理人又は保佐人の同意で可」

審査機関」は、「優生診定委員会(保健衛生に従事する官吏及び医師若干名で組織、厚生大臣※が任命又は嘱託)」(※第70回議会提出法案では内務大臣)

手続」は、「地方長官は、申請を受けたときは、優生診定委員会の議に付し、優生診定委員会は3月内に断種の適否に関する協議をなし、その結果を厚生大臣※に具申しなければならない。厚生大臣※は、断種を適当とする旨の具申を受けたときは、1月以内に指定する場所において、任命された医師に断種手術を行わせなければならない」(※第70回議会提出法案では内務大臣)

報告」は、「断種の手術をした医師は、手術後30日以内に手術の結果及び経過を厚生大臣※及び優生診定委員会に報告しなければならない」(※第70回議会提出法案はでは内務大臣)

罰則」は、「秘密を守る義務に違反した者は、6月以下の懲役又は500円以下の罰金に処す」

施行日」は、「勅令をもって定める」

以上である。

これより後、神聖天皇主権大日本帝国政府は、1940年に「国民優生法」を成立させ、1941年7月1日には「国民優生法」を施行する。

(2024年10月30日投稿)

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貞明皇后(大正天皇の正妻))設立「財団法人・らい予防協会」の役割:天皇制には「軍国」と「慈愛」の2つの顔がある。「慈愛」は「軍国」を隠蔽するもので人権尊重に基づく行為ではない

2025-01-25 10:07:48 | ハンセン病

 明治以降の「天皇制」には2つの顔がある。1つは「軍国」の顔であり、もう1つは「慈愛」の顔である。そして、「慈愛」の顔国民を懐柔し統合する事を目的として行われてきたのである。敗戦後の日本国憲法に定められた「国事行為」の中の特に「栄典の授与」や、「生前譲位のお言葉」にある「象徴的行為」(公的行為)がそれに当たる。

 「軍国」の顔は、天皇は陸海軍の最高司令官であり、元首であり、政治と軍事の最高権力者の地位にあった事。また、男性皇族は全員軍人となり、軍国日本の象徴であった事である。もう1つの「慈愛」の顔は女性皇族の「慈愛」の顔で、彼女たちはそれに適った役割を担ってきた事である。「坤徳」という言葉があるが、これは「皇后の恩」という意味であり、皇后及び女性皇族は積極的に社会事業に関わっていった。

 たとえば、大正天皇の貞明皇后は「ハンセン病」に関わり、昭和天皇の香淳皇后は「結核予防」に関わっていた。こうした人たちを「憐れむ」(同情)事、これが「坤徳」である。女性皇族は傷痍軍人の慰問に関わった。

 1931年に「満州事変」を引き起こした神聖天皇主権大日本帝国政府は、兵士として使用するたくさんの健康な国民を必要とした。そのため、「ハンセン病」の感染を防ぐためとして患者の隔離を徹底して行おうとした。隔離を推進するために、内務省からの要望で貞明皇后がお金を出し「財団法人 らい予防協会」を設立(1931年)した。そして、皇后の慈悲深い気持ち(坤徳)により、患者は救済され、患者も喜んで隔離されるのだ、という認識の下で「隔離競争」が行われたのである。

 同年、神聖天皇主権大日本帝国政府は、「らい予防法」を制定し、全患者の強制絶対隔離・生涯隔離をめざした。あわせて「無らい県運動」も推進展開した。

 敗戦後の1951年になると、患者は「全国国立らい療養所患者協議会」を結成し、政府に対して、「らい予防法」の「改正」を訴える運動を起こした。強制隔離の廃止、完治者の退所を認めよ、と患者が立ち上がったのである。

 この動きに対し、「財団法人 らい予防協会」は、どのような対応をしたのかという事が主権者国民にとって重要である。1952年に貞明皇后が死去した。そのため、皇后の遺産を基金にして新たに「財団法人 藤楓協会」がつくられ、この総裁に高松宮がなり、その後には三笠宮の息子がなり、敗戦までと同様に皇族が「慈愛」を与えていく事となったのである。

 この「財団法人 藤楓協会」では、改正を訴える患者に対してどのような対応をしたかというと、「人権を主張すると社会の同情がなくなる。あなたたちは皇族や国民の同情によって生きているのだ。かわいそうだから予算を増やしてやっているのだ」という論法、、つまり「国家政府に刃向かうな、同情をありがたいと思え」という論法で運動を抑え込んでいったのである。つまり、皇室の「慈愛」は、患者が権利を主張し改正を求める運動を「否定」したのであり、そのため運動は抑え込まれたのである。

 そして、1953年、日本国憲法下の政府(現自民党系)は、「改正らい予防法」を強行に制定した。内容は、入所者の反対にもかかわらず「隔離を継続する」事としたのである。

 「財団法人 藤楓協会」は2004年に解散し、「ふれあい福祉協会」と名称変更したが、解散の最後まで、「隔離に加担した」とは一切言わず、「患者のために尽くした」と言い続けたのである。この主張が事実と正反対である事は明白である。

 敗戦後、天皇制は「軍国」の顔を消す事により、生き残った。そして、皇后や女性皇族のみならず天皇や男性皇族も「慈愛」の顔を持つようになった。昭和天皇の弟たちも「慈愛」の顔をもち、スポーツ・学術・社会事業に関わった。そのため、天皇や皇后、皇太子や皇太子妃、その他の皇族に対するイメージも国民の間では変化した。しかし、この「慈愛」の顔こそ「軍国」の顔をサポートする顔として、「軍国」の顔を巧妙に隠蔽し国民を欺瞞する役割を果たしているのである

 現在においては、国事行為の中の特に「栄典の授与」(叙勲)や恩赦などや、公的行為(象徴的行為・公務)のすべてはこの「慈愛」の顔に当たるものである。この「慈愛」の顔は、国民を「懐柔」する事を目的としており、「懐柔」する事により「思考停止」させ、国民を「統合」する手法としてあらゆる分野で行われているという事である。それは結果的には、時の政権(現在は安倍自公政権)の政治政策に対する国民の不満や怒りをなだめ緩和したり反らせたり、国民を情緒的な判断に流れさせたり、疑問を持たせず反対させずに支持受容させる効果を生み出す事となり、時の政権の政治政策を正当化し補強する役割を果たす事になっているのである。また、天皇皇族がその役割を果たすために膨大な国民の税金が使われているという事も重要視しなければならない。

 「生前譲位のお言葉」では、この「公的行為」(お言葉では「象徴的行為」としているもの)や「国事行為」についての意向を述べているが、「公的行為」については法的に規定されたものではないという事と自ら増やしたものであるという背景を考えれば、この際厳密に法に則り、すべてを廃止すればよいのではないか。

 上記「お言葉」では「天皇の高齢化に伴う対処の仕方が、国事行為や、その象徴としての行為を限りなく縮小していく事には、無理があろうかと思われます」と述べているが、法に則る事こそ重要である。廃止した場合、天皇としては、主権者国民には明らかにしていない何らかの不都合が存在するという事なのだろう。この言葉にはそのような意味も感じられる。例えば、毎年、国民体育大会開催参列に合わせて、敗戦までの国家神道(靖国神社)の支社であり、敗戦後は憲法違反である国家神道の思想を堅持しながら全国都道府県に息をつないで存続する指定護国神社などとの関係を温めてきた(幣せん料などの経済的支援)慣例も継続できなくなるなどのように。この事は靖国神社の存立にも大きく関わっている。

 また、「宮中祭祀(皇室神道)」についても、廃止すべきであろう。「宮中三殿」やその「祭祀」自体が、明治時代になって、明治政府の国家神道樹立の意図に基づいて整備されたものなのだから。つまり、政府がつくった新興宗教なのだから。また、日本国憲法では「国家神道」を否認しているにもかかわらず、「伝統」として「継承」している事自体が本来問題とされるべき事なのであるから。国民が、時代が進むとともに生活も変化するのにあわせて、「冠婚葬祭のしきたり」も変えてきたように、皇室もそのしきたりを変えていかなければ、天皇はもちろん家族(皇族)が実生活上で矛盾を深め苦悩するだけである。

 ちなみに、1907年に法律第11号「らい予防に関する件」が制定されてから90年後の1996年になってやっと「らい予防法」は廃止(第1次橋本龍太郎内閣)された。患者は1998年には「ハンセン病国家賠償請求訴訟」を起こし、2001年には熊本地裁で「過度に人権を制限したらい予防法は違憲」「国が必要のない隔離を続けたのは憲法違反」という判決を得て全面勝訴した。同年6月「ハンセン病補償法」(植民地であった韓国・台湾も含む)の施行も実現させた。2008年には「ハンセン病問題基本法」も成立させ、国連人権理事会において日本政府の提案した「ハンセン病差別撤廃要求」が初決議された。

 天皇制の「慈愛」の顔は「同情、憐れみ」であり、それは日本国憲法が保障する「個人の権利や人権」を否定する「差別」的態度であり、「人権侵害」の姿勢態度そのものである。そして、「軍国」の顔を隠蔽し主権者国民を欺瞞するためのものでしかない。

 安倍自公政権は、2020年3月13日に、天皇の即位にあたり、天皇が社会福祉事業に合計1億円以内の寄付(寄付先は天皇の威光を踏まえて選定、発表されるという)を行う事を可能とする議決案を国会に提出する事を閣議決定した。

 この決議案は、安倍自公政権が、上記のような神聖天皇主権大日本帝国時代の政治手法をテキストにしたもので、天皇皇室を政権維持強化のために政治的に利用する企て以外の何ものでもない。寄付金は天皇の私費(内廷費)を充てるとの事であるが、その金は自分で稼いだという意味の「私費」ではなく、国民の税金である。天皇は年間3億2400万円(内廷費)もの国民の税金で生活が出来ている(実際にはその他を含め約300億円位?)にもかかわらず、自分の「カネ」であるがごとくに寄付行為に充てる事は許される事ではないのは当然であろう。

 これは国会議員などが政党助成金を国民への寄付行為として使用する事が認められないのと同じような事である。また、これは天皇の寄付先が社会福祉事業に対してであろうと認められないのは同様である。寄付をする意志があるのであれば、内廷費減額返金する意志表示こそすべきであろう。上皇が生前譲位の意志表示をしたほどであるから、その気があれば天皇もそれ位できるだろう。それをしないのはそのような考えがないからであり、その意志がないからであろう。安倍自公政権も天皇皇室もどちらも、改めて言うが、「同じ穴の狢」だという事である。主権者国民はもう気づいてもよさそうなものだが、現実はそうはならず、「ずる賢い為政者」=安倍自公政権が圧倒的多数の「お人好し」な主権者国民を欺き続けるのだろう。

(2023年10月25日投稿)

 

 

  

 

 

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ハンセン病家族訴訟についての新聞などメディアの見出しは安倍首相美化の印象操作:「首相『異例』判断」や「人権侵害を考慮」など

2024-07-23 20:30:50 | ハンセン病

 新聞などメディアは、元ハンセン病患者の家族への熊本地裁判決について、安倍首相が2019年7月12日、談話で正式に「控訴しない」と発表した、と報じたが、その新聞などメディアが付けた記事の見出しの言葉にうかがえる考え方に対し、主権者国民の立場から放置できない極めて重大な問題を感じている。

 その見出しの言葉は、「首相『異例』判断」や「人権侵害を考慮」というものである。   

 熊本地裁判決は、厚生相(現厚労相)、法務相、文部相(現文科相)など政府の責任を広く認定し、賠償を命じた。それに対し、新聞などメディアの報道は、安倍自公政府としては、控訴して高裁の判断を仰ぐのが規定路線であり、また、別の患者家族が起こしている訴訟が最高裁で係争中であるため、熊本地裁判決を控訴せずに確定させる事は困難であるという考え方が大勢であったが、安倍首相が、「異例の事ではありますが、控訴しない事と致しました」と表明した談話の言葉をそのまま「見出し」に使い、新聞などメディア自らもその通りとして「異例」と認めた報道しているのである。そこには、安倍首相の談話を、かつて昭和天皇を美化した作り話である「聖断」(反対意見を抑えてポツダム宣言受諾を決定した)というものの「安倍版」のように印象づけようとする意識がうかがえるのである。そうであればそれは明らかに故意に事実でない解釈をして(メディアが無意識に上記のような解釈をするならばメディアを業とする資格はない)国民に対し首相を美化する印象操作をしていると考えるのが妥当であろう。日本国憲法下の政府では政策の最終決定は反対や異議を有する閣僚に首相が理解を求め最高権限を行使して行うのが当たり前だ。それを英雄であるかのように美化する必要はない。神聖天皇主権大日本帝国政府の首相じゃあるまいし、何も驚く事ではないはずだ。

 新聞などメディアは上記のような記事を書く手法ではなく、原告団長の林力さん(94)の「(控訴しないのは)当然の事だと思います。多くの方々、世論の支援があってここまで来た。無念の中で死んでいった多くの(ハンセン病療養所)入所者の人々も喜んでいる事だと思う」という言葉を、政府に侵害されている権利を保障させるために闘う主権者国民の運動を大きく取り上げる事こそ使命としなければならないのではないのか。また、談話には「人権侵害」という言葉は使用していないし、政府による「人権侵害」であるにもかかわらず、「差別が存在した」という加害者意識のない表現をしている。判決は、元患者の隔離(談話では「施設入所政策」と表現)という国策が、家族への偏見と差別という「社会構造」を作ったと断じ、就学や就労の拒否、村八分、結婚差別などの「人生被害」をもたらしたと指摘しているにもかかわらず、安倍首相(談話)は、「差別」(=人権侵害)が政府の政策が根本原因で生み出された事を認めていないのである。それにもかかわらず、新聞などメディアは安倍首相の考え方を糾す事なく、「人権侵害を考慮」という見出しを付けているのである。これは明らかに安倍首相を美化する印象操作をしていると考えざるを得ない。そして、新聞などメディアは安倍首相を幇助していると言わざるを得ない。これまでの政府を幇助してきたように。新聞などメディアは、自己の加害責任にほうかむりしてその謝罪もせずに、国民に対して説教を垂れる事は偽善と傲慢以外の何ものでもなく許されない。そして、責任の負い方は、その国策実施にどのような立場で関わってきたかなどの関わり方によってその軽重もそのあり方も異なるものである。東久邇宮内閣が、負うべき者の戦争責任を曖昧化しようとした「一億総ざんげ」のように、国民に責任を負わせようとしてはならない。

 安倍自公政府声明の内容は、「判決には従えない」と司法と原告や主権者国民に不平不満や文句を権力を悪用して「声明」というカッコつけた名称で言っているだけだ。すべてその責任を認めたくないための「屁理屈」であり、国民に責任転嫁しようとするものである。また、森首相もそのような発言をしたが、公然と司法権を罵倒した考え方であり態度である。政府声明は三権分立の司法への司法権への圧力をかける事を目的としたものであり、三権分立を形骸化させ行政権が牛耳ろうとするものである。新聞などメディアは、前代未聞のこのような態度価値観の安倍首相、安倍自公政権に対して、無視するぐらいの対応が必要である。記者が無視されるように。無視する事によって国民が不利益を被る場合には、政府の非常識や無法を糾すべきであろう。元福岡高裁部総括判事・森野俊彦弁護士が「控訴断念は本来、訴訟の基本的な争点を是認した事と同じだ。政府の対応は、法律論的には相当問題がある」と指摘しているように。

 菅官房長官は政府声明を「法的拘束力はないが、政府としての大変重い意志表明だ」と説明したが、古い意識に凝り固まっている体質が露わになった。自己の正当化と権力維持のため、自己に都合の良い価値観や意識をご都合主義で「正しい」ものとして持ち出し、国民に対してそれを押し付けようとするその姿勢を改めようとしない事がこの件においても露わになった。時を経るとともに、その時間が短い場合もあるが、人間の意識や社会の意識はより良いものに変化発展してゆくものである。安倍自公政権はそれを認めないという事を政府声明で露わにしたという事である。このような事例が他に多々ある事に思い当たるだろう。自民党員公明党員はもうすでに、価値観や意識は化石人類に属しているのである。彼らを権力の座から追い払わなければ国民の権利は保障されず真に幸せにはなれない。国民の進歩発展も国の進歩発展もない。

(2019年7月19日)

 

 

 

 

 

 

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強制不妊救済法案:おわびの主体が「我々」では敗戦処理内閣東久邇宮の「一億総ざんげ論」と同根の発想。教訓を学び伝えるため責任と事実の明確化を。曖昧は政府と国会の無責任権利侵害の体制を蔓延させる

2024-07-03 21:57:23 | ハンセン病

 2019年3月15日の新聞が、「強制不妊救済法案」についての記事を掲載していた。それによると、「おわび」では「憲法違反」である事を認めておらず、主語についても「政府」や「国会」などを明記せず、責任の所在が明確にならない曖昧模糊とした意味をもつ「我々」とした。これについてWT座長の田村憲久元厚労相(自民)は「『我々』には政府と国会が含まれる。広くは地方自治体、優生思想の風潮があった社会も含まれるかもしれない」と説明した。この「おわび」に見られるWTと議連の意識は、「おわび」を意味する「常套語」を使用すれば「謝罪」したと受け取ってもらえるだろうという一方的な思い込みがうかがえるとともに、そのような意識は、被害者当事者の気持ちをまったく無視したものであり、そのような「常套語」は被害当事者にとっては、どんなに丁寧な「言葉」であっても、いくつ並べられても、言い回しを変えても、「謝罪」とは受け取れない事を理解できていない。むしろ被害当事者としては、再び馬鹿にし人権を無視しているとしか受け取れない事を理解できていないのである。この点は「一時金」にも表れている。「お金で納得させる解決できる」とする、被害当事者を馬鹿にした姿勢がうかがわれるのである。「賠償金」ではないのである。被害当事者に対して、「国家賠償を求める権利」をも進んで認めようとする意志はないという事のようである。さらに重大な事は、責任の所在を曖昧にする事は、主権者国民が歴史の事実を知り再発防止の教訓とする事を妨げ、政府や国会が責任を負わない無責任体質がさらに蔓延するであろう事が憂慮される事である。

※下記は「優生保護法(強制不妊)救済法案:おわびの主体が「国民」では敗戦処理内閣東久邇宮の「一億総ざんげ論」と同根の発想。教訓を学び伝えるため事実を明らかにする事を要求する」を再録したものである。

 2018年11月2日の新聞は、優生保護法による強制不妊手術について、超党派議連は救済法案の「おわび」の主体を、国会議員を含めた「国民」を意味する「我々」とし、違憲性については触れていない、と報じた。また、与党WT、「各地で続く国家賠償請求訴訟への影響を避けるため、おわびは違憲性や違法性に絡めない形」「政府が裁判(国家賠償請求訴訟)をされているので、立法府が何らかのもの(違憲性や違法性に絡めたおわび)を書くのは難しい」としている。これが世界に通用する理屈だと思っている事に呆れてしまう。

 全国で初めて実名を公表して提訴したKさんは子どもを産み育てる権利を奪われ、憲法違反なのは明らかだ」と訴える。熊本のWさんの代理人弁護士Hさんは「憲法違反は明白で、各地の国家賠償請求事件でも国側は違憲性について積極的に争っていない。なぜ違憲性を認めずに謝罪するのか理解に苦しむ」と訴える。

 弁護団が「優生手術等が憲法に違反する著しい人権侵害であり、国の政策が間違いだった事を認め、真摯な謝罪を表明するよう求める」と要望しているのは極めて妥当である。

 立命館大大学院の松原洋子教授がWT案について、「法律自体やその運用、政策のどこに過ちがあったのか、国の責任を明確にしなければ、真のおわびにはならない」と指摘しているが、その通りである。

 与党WTは、「各地で続く国家賠償請求訴訟への影響を避けるため、おわびは違憲性や違法性に絡めない形」「政府が裁判(国家賠償請求訴訟)をされているので、立法府が何らかのもの(違憲性や違法性に絡めたおわび)を書くのは難しい」としているがこの理屈では、国会の立法行為は司法裁判所の意向に沿うようになされなければならないという事になる。これは国会議員が立法機関の使命や責任の自覚が乏しく、「独立して立法する原則」を放棄しているのに等しい誤った認識をしているといえる。さもなくば、「曖昧」に処理してしまおうと意図しているとしか思えない。与党WTはこの手を使っているのかもしれない。謝罪の言葉で「一件落着」、とする口先だけの軽薄な信用できない体質である。そのため、再び同じ過ちを犯すものである。国民は同じ過ちを繰り返して欲しくないと思っている。同じ過ちを繰り返さないためには、事実(1948年の法制定から95年の廃止までの間の法改正の経緯と内容も含めて)を明らかにしそこから教訓を学びとりそれを共有し後世に伝える事を原則として解決する姿勢こそ政府に要求しなければならない。そのためには、憲法や法律を根拠としない「反省」や「おわび」などの謝罪の「ことば」を並べただけとか、それも「国民」「我々」という言葉で「主体」を「あいまい」な形にして済ます事を許してはならない。この事は超党派議連に対しても同様である。ちなみに反省とは「過去の事実をそのままに現在の人間に見せる事」であるともいわれる。あいまいな解決は真の解決にはならず何も生み出さない。より一層無責任な政治が蔓延するだけである。この手法は、アジア太平洋戦争敗戦後の戦後処理内閣・東久邇宮首相の「一億総ざんげ論」とまったく同根の発想といってよい。「一億総ざんげ論」を一部抜粋して紹介しておこう。

「世界の平和と東亜の安定をおもい、万邦共栄を願うは、肇国以来帝国が以て不変の国是とする所であった、世界の国家民族が相互に尊敬と理解を念として相和し、相携えてその文化を交流し、経済の交通をあつくし、万邦共栄、相互に相親しみ人類の幸福を増進し、益々文化を高め、以て世界の平和と進運に貢献する事こそ歴代の天皇が深く念とせられたところである、世界平和の確立に対し、常に海の如く広く深き聖慮を傾けさせられたのであり、……、敗戦の因って来る所はもとより、一つにして止まりません、後世史家の慎重なる研究批判にまつべきであり、今日我々がいたずらに過去に遡って、誰を責め、何を咎める事もないのである、前線も銃後も軍も官も国民ことごとく静かに反省する所がなければならない我々は今こそ総ざんげをして神の前に一切の邪心を洗い清め、過去を以て将来の戒めとなし、心を新たにして、戦の日にも増して挙国一家乏しきを分かち、苦しきをいたわり、温かきを心に相援け、相携えて、各々その本文に最善を尽くし、来るべき苦難の途を踏み越えて帝国将来の進運を開くべきである……」以上

 東久邇宮内閣(初の皇族内閣)の使命は「天皇制に対する国民の離反を防止する事と、占領に先立って天皇制支配体制の安定を作り上げておく事」であった。ちなみに、この内閣の閣僚の顔ぶれは、いずれも第1級の戦争責任者ばかりであった。

 さて、1945年9月26日、治安維持法違反でいまだに投獄されていた哲学者・三木清が獄中で病死した事をきっかけに、外国人記者たちが治安維持法について10月3日、山崎内相や岩田法相に見解を求めた。この回答がポツダム宣言第10条を否定する内容であったため、GHQが10月4日に人権指令治安維持法や特別高等警察の廃止、政治犯の即時釈放など、自由を制限する制度の廃止)を発した。それに対し東久邇宮内閣は実施困難として翌日の5日総辞職した。

(2019年3月15日投稿)

 

 

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強制不妊手術は障害者に人権を認めない差別政策だったのであり、障害者雇用率の偽装も同根。国会審議なしの母体保護法制定

2024-07-03 21:55:03 | ハンセン病

 旧優生保護法は、障害者を劣性とみなし排除抹殺すべきものとした当時の国会議員の大勢の意識風潮により1948年に成立したものであり、また、時の政府はその国会と同じ意識に基づいて障害者に対する施策(国策)を積極的に推進してきた。すでに戦後の政治や社会の基本として日本国憲法が1947年に施行されている点を考えれば、このような前近代的な保護法が成立した背景には、当時の国会議員の意識が、日本国憲法にその原理として定めている、基本的人権の保障についての理解が十分になされていなかった事を表しており、国会議員間においても共通認識となっていなかった事を表している。ちなみに保護法成立時の国会議員は、憲法成立時と同じ構成メンバーであり、1945年4月の新選挙法による第22回総選挙で選出された議員(当選者の50%は保守系で、翼賛選挙での推薦議員中心の日本進歩党が20%、非推薦議員中心の日本自由党30%、のち両党は財界の強い要望により自由民主党を結成)であるにもかかわらずである。強制的に不妊手術を推進した行為は、障害者には人権を認めないとする差別的な価値観を有する政府(自民党)の差別的政策(国策)として実施されたものである。1996年、橋本自民党政府において人権侵害の「らい予防法」を廃止した際にも政府は保護法には意図的に触れなかった。そして、国会議員間においても問題提起されていない。つまり、政府も国会も「人権侵害」という「憲法の原理に背く犯罪とも言うべき重大な間違いを犯してきた」という事実に目を向けなかったのである。

 1993年には障害者基本法を制定し、第1条には「すべての国民が、障害の有無にかかわらず、等しく基本的人権を享有するかけがえのない個人として尊重される」と規定し、2014年には、その第17条に「全ての障害者は、他の者との平等を基礎として、その心身がそのままの状態で尊重される権利を有する」と規定し、第23条には「障害者が、他の者との平等を基礎として生殖能力を保持すること」と明記している障害者権利条約を批准しているのである。

 2016年3月には、国連の女性差別撤廃委員会が安倍自公政府に対し、優生保護法下で強制的に行われた不妊手術に対し国による補償や謝罪を求める勧告を出したが、それに対する2016年6月のNHK取材でも厚労省は「当時、不妊手術は合法的なものだった」とまったく理解できない独善的な回答をしている。

 しかし、このような差別(人権侵害)体質は、どのように装っても暴露するものであり、それは2018年8月に発覚した、中央省庁及び地方自治体による障害者雇用数の偽装である。

 それでも安倍自公政府は、未だに「旧優生保護法下の強制不妊手術は合法だった」という姿勢を改めていない。これまでの自民党政権も現在の安倍自公政権もいかに独善的で差別的な体質を有しているかを改めて認識すべきである。

 最後に、優生保護法が1996年に母体保護法に改定された驚くべき経緯を以下に紹介し、この点についても究明する事を求めたい。

 改定の際には、国会での審議はまったくされなかった。改定の理由についても橋本政府まったく説明しなかった。メディアも「らい予防法」の廃止だけしか取り上げなかった。そして、96年9月に施行された。1997年8月、メディアは「スウェーデンで強制的な不妊手術」を報道した。しかし、前年まで日本に存在していた優生保護法について報道する事はなかった。衝撃を受けた女性団体が1997年9月16日、厚生省要望書を提出した。内容は、①優生保護法の下で強制的に不妊手術された人、「不良な生命」と規定された人々への謝罪と補償、②実態検証のための特別調査委員会設置、③優生保護法も禁じている子宮摘出事例の調査と被害者救済、などである。それに対し当時の厚生省母子保健課の課長補佐は「優生保護法の下では、優生手術は合法であった。現代社会にそぐわない法であったとしても、すでに改正がなされている」と回答したのである。すでに法改定したから何もする必要はない、謝罪も補償も実態調査の予定もない、という態度を示したのであった。

(2019年4月17日投稿)

 

 

 

 

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